第66話

 結局、美彩に「不公平よ」と言われたから、俺も美彩のことを名前で呼ぶようになったと説明した。その最中、紗季ちゃんは常に大興奮で、熱くなっていく体を冷やすためにジュースは急激になくなっていった。


 なんとか紗季ちゃんとの間接キスを免れることができたところで、俺たちの容器は全て空になった。


 美彩が手のひらを上に向けて、こちらに差し出してくる。


「蓮兎くん。ゴミを捨てに行ってくるから、その空になった容器いただくわ」

「え。いいよ、自分で行くって。むしろ俺が二人の分も捨てに行くよ」

「いいのよ。まだ体調が完璧でない中来てもらっているのだから、これくらいは私がするわよ」

「……いや、でもさ。美彩、迷子にならない?」

「なっ。ば、馬鹿にしすぎよ! ふんっ、早く渡しなさい。行ってくるわっ」


 美彩は俺の手から容器をぶん取っていき、怒った様子で駅の構内へと歩いて行った。


「大丈夫かなぁ」

「流石に大丈夫ですよ。何かあったら連絡も取れますし。それより、お姉ちゃんが方向音痴なことご存知だったんですね」

「薄々気付いてたけど、なにより本人からそう言われたからな」

「お姉ちゃんが自分から!? 今日は驚くことばかりです……男子、三日会わざれば刮目して見よとはこのことなんですね」

「ちょっと違う気がする」


 校内では俺と美彩が付き合っていることになっているなんて知ったら、紗季ちゃんは卒倒してしまうんじゃないだろうか。美彩も、そのことについては流石に言ってないみたいだ。


 中学校での暮らしはどうなのっていう親戚のおじちゃんみたいな話題を振っていたところ、誰かが俺たちに近づいてきた。美彩が去っていった場所とは逆方向だ。


 警戒しつつ振り向くと、そこにはピンク色の派手髪少女がいた。


「おひさっす紗季ちゃん。また会いましたね」

「茉衣さん!」


 その少女、小井戸茉衣は俺ではなく紗季ちゃんの方に声をかけた。そして紗季ちゃんも彼女を知っているかのような反応を見せる。


「どういうこと?」

「ふふふ。驚いてますね先輩。その反応が見たかったんすよ!」

「あれ? 蓮兎さんと茉衣さんはお知り合いなんですか?」

「小井戸は高校の後輩なんだよ」

「え、茉衣さんってお姉ちゃんたちと同じ高校なんですか?」


 紗季ちゃんは小井戸の通っている高校を知らなかったのか。じゃあ、二人はどういう出会い方をしたんだろう。


「そうっすよ。あ、先輩。紗季ちゃんとはですね、この前たまたま彼女が迷子になっているところに出会でくわしまして、その時の縁ってやつなんすよ」

「紗季ちゃん、また迷子になってたんだね」

「迷子にはなっていません。ただ人生という迷路に迷い込んでいただけです」

「それ人類みんなそうだからね」


 苦しい言い訳をする紗季ちゃんは、俺のツッコミを受けて「むぅ」と頬を膨らませる。


「しかし、小井戸とはよく外で会うな」

「ほんとっすよ。この前、次いつに会えるか分からないって悲しいシーンを演じたのに。これじゃ台無しですよ」

「全くだな。こんな事態になることを予測できないなんて。やっぱり小井戸は師匠になれる器じゃなかったってことだ」

「なんでそうなるんすか!? っていうか、先輩こそ紗季ちゃんとデートっすか? やっぱりロリコンなんすか?」

「夜咲と一緒だよ。この子、夜咲美彩の従姉妹なの」

「あー、なるほど。夜咲先輩をダシに、紗季ちゃんを誘き出したってことっすね」

「ロリコンを否定したつもりだったんだけどな」


 小井戸は「冗談っすよ」と言って笑う。俺もそれを分かっているので、これ以上は特に何も言わない。いつもの調子だ。


 そんな俺たちの会話をさっきから黙って聞いていた紗季ちゃんが、「あの」と会話に入ってくる。


「茉衣さん、なんだか前回会ったときよりテンション高くないですか?」

「……そうっすか? こんなもんでしたよ?」

「うーん、確かに口調とかは変わらないんですけど、雰囲気? が違う気がします」


 紗季ちゃんの追及に、小井戸は「えっと、その、あはは」と苦笑を浮かべてたじろいでいる。そんな彼女の様子は珍しい。


「あ、そうだ。それで夜咲先輩はどこにいるんすか?」


 露骨に話題を変えてきたなと思ったが、確かにそろそろ戻ってきてもおかしくないのに、なかなか彼女が帰ってくる気配がない。


「ゴミを捨てに行ってくれてるんだけど、戻ってくるの遅いな。……まさか」

「その可能性はありますね。まだ連絡は来ていませんが」

「……美彩のことだ。迷子になったけどプライドが許せなくて連絡できない、なんてこともありえる」

「うわぁ、お姉ちゃんっぽいです。すごくありえると思います」


 俺と紗季ちゃんは顔を見合わせて頷き合い、ベンチから立ち上がる。


「すまん、小井戸。ちょっと俺ら夜咲を探しに行ってくるよ」

「あ、はい。その方が良さそうっすね」

「あ、そうだ。そこのフルーツジュース屋に期間限定で季節外れのいちごミルク売ってたぞ。年中飲んでそうな小井戸にオススメだ」

「あはは、本当に季節外れっすね。ん、まあ今日はいいですかね」

「喉乾いてないのか?」

「そういうわけではないんすけどね〜」


 はっきりと理由を言わない小井戸。もしかしてお小遣いがピンチだったりするのかなと思い、紗季ちゃんに声をかける。


「ごめん紗季ちゃん。ちょっとここで待ってて。動かないでね。本当に。マジで」

「え? わかりました……けど、なんかすごくバカにされた気がしますっ」

「ごめんごめん。小井戸も、紗季ちゃんのこと頼むな」

「え、はい。了解っす」


 俺は二人のもとから離れ、駆け足で例のフルーツジュース屋へ向かい、いちごミルクを購入して戻ってきた。


「ほい。小井戸の分な」

「……え? いやいやいや。悪いっすよ」

「先輩からの奢りは素直に受け取れ。もう買っちゃったし」

「……ありがとうございます、先輩。ごちになるっす!」

「小井戸には色々世話になってるからいいんだよ。紗季ちゃんの件もあるし……他にも、な。それじゃあな、小井戸」

「はい! あ、またね紗季ちゃん」

「はい。またお会いしましょう!」


 小井戸と別れて、俺たちは手を繋いで駅の構内へと向かう。一応、紗季ちゃんに美彩へ連絡してもらったので、行き違いになることはないだろう。


「……蓮兎さんにとって、茉衣さんはどういう方なんですか?」


 美彩を探すために周りを見ながら、紗季ちゃんはそんなことを聞いてきた。


 んー、なんだろう。小井戸は学校の後輩で、師匠で、だけど目が離せない時もあって……


「ごめん、よく分かんないや。まあ高校の後輩だよ」

「……そうですか。なんだかわたしのポジションが奪われそうな気がしたのですが、杞憂だったのかもしれませんね」

「あはは、何それ。紗季ちゃんは紗季ちゃんでしょ」


 紗季ちゃんとそんな話をしながら、俺たちは美彩の捜索を続ける。


 大きな街の駅なだけあって、かなりの広さを誇っているため探すのには骨が折れるだろうなと思っていたのだが、案外とすんなり見つけることができた。彼女はゴミを捨てた後、集合場所だったモニュメントのところまでは辿り着いたみたいで、そこから何処へ向かえばいいのか分からずきょろきょろと周りを見渡していた。


 俺はそんな彼女のもとへ近寄り、声をかける。


「美彩」

「あ。……ど、どうして蓮兎くんと紗季がこちらに来ているのかしら」

「どうしてって、お姉ちゃんが迷子になってたからですよ」

「あら。私は迷子になってなどいないわ。少し自分の方向性に悩んでいただけよ」

「なんで今自己分析してるんだよ。ほら」


 彼女の前に、空いている方の手を差し出す。彼女はそれをきょとんとした表情で見つめる。


「どうしたのかしら。まさか罰金?」

「そんなわけないだろ。……また迷子になられたら困るからな。手を繋ごうってことだよ」

「……ふふ。蓮兎くん、顔真っ赤よ」

「誰かさんが迷子になったから、必死に探し回ったせいで暑いんだよ」

「あら。私のこと必死に探してくれたのね」


 何を言っても言い負かされそうなので、俺は視線を逸らす。すると彼女はクスクスと笑い、「ありがとう」と言って俺の手を取った。そして指を絡めてくる。


「わぁ。お姉ちゃんと蓮兎さんとても仲良しさんです」

「ふふ。今頃気づいたの?」


 そういえば、紗季ちゃんは小悪魔だけど、美彩はその親玉である魔性の女だった。それを今更ながら思い出し、そんな二人に挟まれた自分はどうなってしまうんだろうと冷や汗をかくのだった。




 * * * * *




 美彩と合流してから、俺を中心に二人と手を繋いだ状態でショッピングへと繰り出た。


 周囲の視線を感じるが、俺は校内で鍛えられているため何とも思わなかった。紗季ちゃんは常にニコニコしている。美彩はすました顔をしているが、耳が赤くなっている。少し可愛いなって思ってしまった。


 紗季ちゃんが買いたい本があると言うので、俺たちはまず本屋にやって来た。


「何買いに来たの?」

「愛読してる少女漫画の新巻です!」


 なるほど。彼女のやけにませている知識は少女漫画由来のものか。俺は胸中で勝手に納得する。


 手を繋いでいるため、俺も少女漫画コーナーへと足を運ぶ。なんか気まずいから嫌なんだよね、このコーナー。


「わぁ、気になっていた作品の新巻も出てます」

「本屋あるあるだね。それも買っちゃうの?」

「うーん、悩んじゃいます。あの、わたしは少し考えたいので、蓮兎さんとお姉ちゃんは自由にしていただいて大丈夫ですよ」

「え、そう? 分かった。だけど紗季ちゃん、絶対にここから動いちゃダメだからね」

「むぅ。なんですかそれ。またわたしのこと子供扱いして揶揄ってるんですかっ」

「いや君たち姉妹に関してはガチだからね」

「あら。聞き捨てならないわね。紗季はともかく、どうして私もその対象に含まれるのかしら」

「さっきの失敗をもう忘れてるよこの人」


 いいかげん、自分達が方向音痴であることを認めてほしい。本当に。切実に。


 まぁそんなこんなで、紗季ちゃんを少女漫画コーナーに残して、俺たちは参考書が並んでいる棚へ移動した。


 大学受験の参考書が並んでいる中、俺は予備校が出版している物理の参考書を手に取る。


「……それ、晴のための参考書かしら」

「え。……まぁ、そんな感じ」

「私とのデート中に他の女のことを考えるなんて。蓮兎くん生意気よ」


 美彩の繋いでいる手の握る力が強まる。だけど痛くはない。


「はい、すみません」

「……ふふ。冗談よ。あの子の進路がかかっているのだから、本屋に寄ってあなたが気にするのも仕方のないことよね。むしろ、その、私はそういうあなたの優しさに惚れているのだから」

「うっ」


 急なデレは心臓に悪い。それも好きな子からの好意だ。


「蓮兎くん。あなた自身は勉強に苦労していないの?」

「んー……国語が少し苦手かな。それもあって理系に決めたところもあるし」

「あら。最難関の大学以外でも、国立なら共通テストで国語は必要よ」

「そうなんだよなぁ。だけど何をどう勉強すればいいのか分かんないんだよ」

「それなら、私が教えてあげるわよ。例えば、この参考書とかおすすめよ。それに古文ならこれで……」


 それから美彩は、俺におすすめの国語の参考書を教えてくれた。流石にいっぺんに全ては買えないので、とりあえず最初におすすめされた一冊を買うことにした。


 それと、これから定期的に読解の仕方とかを一対一で教えてくれるらしい。なんて手厚いサポートなんだろう。


 無事に紗季ちゃんと合流した後、俺たちは各自会計を済ませて、本屋を後にした。


 その後はあてもなくぶらぶらと歩き、気になった店へ入るといういつものスタイルで過ごした。


 ただいつもと少し異なる点として、美彩が頻繁に「そろそろ休憩しましょう」と言ってくれるのだ。おそらく俺の体調を気にしてのことだろう。その気遣いに感謝しつつ、俺たちは小休憩を挟みながら楽しい時間を過ごした。


「あっ。蓮兎さん、お姉ちゃん。わたし、あのお店に行きたいです」

「いいわよ」

「いいよ」


 紗季ちゃんが行きたいと言った店は、いわゆるアクセサリーショップだった。お手頃価格のアクセサリーが並んでいる。


 紗季ちゃんはお目当てがあるみたいで、俺の手から離れてある商品のところまで真っ直ぐ進む。そしてそれを手に取り、自身の横の髪の毛を手で束ねて、手に持ったシュシュを束ねた部分にあてがう。


「どうですか蓮兎さん。似合ってますか?」

「うん。最高に可愛いよ」

「えへへぇ。じゃあ、これ買いますね!」

「そんなに簡単に決めちゃっていいの?」

「はい! わたし自身これに一目惚れしましたし、蓮兎さんに『最高に可愛い』と言っていただけので!」


 最高に可愛いのは紗季ちゃん自身だよ、という言葉が出そうな寸前のところで何とか呑み込んだ。どうしてか、この子は褒めないといけないという気になってくる。これもまた小悪魔系少女の為せる技なのだろうか。


「れ、蓮兎くん」


 声の方を振り向くと、顔を紅潮させた美彩が、紗季ちゃんみたく手で後ろ髪を束ねている。


「私に似合うヘアアクセサリーを、選んでほしいの。……ダメ、かしら」


 そんなことを聞かれてNoと答えられるはずもなく、俺は瞬時に並んでいる商品を眺め始めていた。そして、直感で選んだ小さい赤い花がワンポイントに付いた白いシュシュを美彩に手渡す。


 美彩は俺から受け取ったシュシュを少しだけ眺めた後、髪を束ねた部分にあてがって「どうかしら?」と訊ねてきた。白いシュシュが彼女の綺麗な黒髪の中で浮かび上がっており、とても——


「綺麗だ」


 素直な感想が口から漏れていた。咄嗟に口を手で覆う。


 そんな俺の仕草から、今の言葉が本音なんだと美彩も察したみたいで、耳まで真っ赤になっている。


「……ありがとう。私、これ買ってくるわね」


 美彩はそそくさと言った感じで、例のシュシュを持ってレジへと向かった。一緒に会計するみたいで、紗季ちゃんも一緒にレジへと向かう。


「わぁ、素敵なシュシュですね。この花は何でしょうか」

「薔薇、かしらね」


 二人の会話を聞いて、花に関する知識が皆無な俺は、あれって薔薇だったんだと思うのだった。


 今の俺の頭はそれぐらいしか考えることができなかった。


 ただただ、彼女の綺麗な姿に見惚れていたから。

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