if 夜咲美彩6

高校時代にドロドロした恋愛なんてなかった場合。

本編とは関係ありません。

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 寒いとどうしても動きが鈍くなる。あたたかいとあれだけ活発に動けていた体が縮こまってしまうのだ。


 これは人間活動するために最低限必要なものなのだと言い訳しながら暖房を付けたいところだが、つい先日からエアコンが故障してしまっている。大家さんに修理を頼んだが、業者さんも忙しいらしく、もう少し時間がかかるらしい。


 そのため、最近はコタツの中に入って丸くなることが多くなった。今もまさにそうだ。


 だけど生活する上でずっとそうしているわけにもいかず、意を決して立ち上がり、机の上の空になった食器類を拾う。


「美彩のも持っていくよ」


 そう言って、一緒にコタツで寒さを凌ぎながら食事をしていた彼女の食器を自分の皿に重ねていく。


「大丈夫よ。自分のものは自分で持っていくわ」

「いいって。外は寒いからさ、その中にいなよ」

「蓮兎くんだって寒いでしょう?」

「こうした方が、彼女に快適な空間を提供できない不甲斐なさを誤魔化せて楽なんだ」

「……もう」


 美彩は唇を尖らせ、少しだけ俺を睨むように見つめてきた。


 抗議のつもりなのだろうが、そんな仕草も可愛いと思えてしまうので俺には効果がない。


 食器を台所まで運び、シンクの中に置いて代わりにスポンジを手に持つ。


 同じ室内なのに俺の体温はどんどん奪われていき、冷水が手にあたって更に冷え込んでいく。ぱぱっと済ませて早くコタツに帰ろう。


 スポンジに洗剤をつけて、よし洗うぞと構えた瞬間、俺の背中に重みが追加された。


 それと同時に体温が上昇していく。物理的にあたためられて。それと、心臓が忙しくなったから。


「蓮兎くん。どう、かしら」


 背後から聞こえてくる彼女の声に俺は苦笑する。


「あたたかいよ。でも寒いから出ることないよって言ったのに」

「いいじゃない。こうして蓮兎くんをあたためることができるのだから。……それに、どれだけ体をコタツにあたためられても、蓮兎くんが隣にいないと心は冷えてしまうの」


 危ない。皿を落としてしまいそうになった。


 くらっとくるような言葉を不意にぶつけてきた彼女は更に抱きしめる力を強め、俺の体をあたためようとする。


「はたから見たら美彩が甘えてるように見えるだろうな」


 やり返す気持ちで揶揄うように言う。


 しかし、彼女はたじろいだ様子を見せず、更に体を密着してきた。


「そうね。だって、本当にそうなのだから」


 言葉と一緒に吐かれた彼女のあたたかい吐息が首筋をなぞる。


「知っているかしら、瀬古くん。寒い環境では身体が温かさを求めて他者に寄りかかりたくなると心理学で言われているのよ」


 またそんな学説的な根拠を持ち出され、


「だから、ね。蓮兎くん。もっとくっつきましょう」


 俺は彼女のするがままにされる。




 * * * * *




 大学のスケジュールは時期によってガラッと変わる。


 同じ曜日でも春と今は異なる時間割で動いている。だから美彩を迎えに彼女の駅へ向かう時間も異なるのだが。


「こんにちは、瀬古さん」


 街中がイルミネーションなどで彩られ始めたこの時期になっても、彼女は俺のことをここで待っている。


 短く言葉を交わしたのち、いつも通りに横に並んで大学へ向かう。横目で見ると、ギターケースのストラップを掴む彼女の手は真っ白になっていた。


 彼女がいつもどれだけの時間あそこで待っているのかは分からないが。寒いだろうから待たなくてもいい、なんてことは言えない。


 その言葉を口にした時、彼女がどんな表情をするのか。短くないと言える時間を過ごしてきた、過ごしてきてしまったから分かってしまう。


 だから、俺は別の行動を取るしかなかった。


 上着のポケットに忍ばせておいた——本当は別の人に渡すためだった——カイロを隣の少女に差し出す。


「蓮見。これ使う?」

「えっ。いいんですか?」

「うん。ほら、ギター弾くとき手が悴んでたら辛いだろ。俺はこの後帰るだけだからさ。カイロを最も有意義に使ってくれるのは蓮見だと思うから」


 それらしい理由を述べてやると、蓮見は頬を綻ばせてカイロを受け取ってくれた。


「ありがとうございます、瀬古さん」


 彼女はお礼を言って、カイロを大事そうに両手で包み込み、自身の胸の辺りに持ってくる。


「あたたかいです……」


 目を細めてそう呟く彼女を見続けることができず、俺は正面を向き直した。


 それから気を紛らすためにもたわいもない話を振り続け、蓮見と別れる校門前まで到着した。その間、彼女はずっとカイロを宝物のように握っていた。


「それでは瀬古さん。また、お会いしたいです」

「……練習頑張ってな」

「はい。瀬古さんのおかげで、今日はいつもより上手に弾けそうです」


 ずっと彼女の手の中にあったカイロが、最後だけチラッとその姿を見せた。見せられた。


「……はぁ」


 彼女が去った後、俺の口元から白い息がこぼれた。


「ごめんなさい瀬古くん。待たせたかしら」


 待ち合わせ相手である美彩がやってきて、俺の顔を覗き込みながらそんなことを聞いてくる。


「ううん。今来たところだよ」

「本当かしら。瀬古くんはいつもそればかりだから……えいっ」


 突然、美彩が俺の頬に両手を当ててきた。その手はかなり冷んやりしている。


「冷たい……」

「あら。私の手の方が冷たかったみたい」

「美彩は冷え性なんだから、この確かめ方は不適切だろ」

「ふふっ。ごめんなさい」


 謝罪の言葉を口にするがお茶目に笑う彼女は手を下ろし、右手を俺の上着のポケットに突っ込んできた。同様にポケットに入れていた俺の手が彼女の手に触れる。


「蓮兎くんのここ、あたたかいわね」

「まあポケットの中だからね」

「それにしてもよ。どうしてかしら」

「あ、さっきまでカイロを入れてたからかな」

「そういうこと。それで、それは今はどこにあるのかしら」

「……あー。寒そうだったからさ、蓮見にあげたんだよ。ほら、手が悴んでたら演奏に響くだろ?」


 さっきも口にした理由を述べる。なぜか、さっきより苦しい言い訳に聞こえる。


「……そう」


 美彩はそれだけ呟くと、ポケットの中で俺の手を握った。


「私は、蓮兎くんの手にあたためてもらうから」


 指を絡め、互いの手の密着度合いが増す。


「帰りましょう、蓮兎くん。私たちの家に」


 俺たちは同棲していないのだが……ここでツッコむのは野暮だと思い、俺は「あぁ」とだけ答えて、彼女と手を繋いだまま来た道を戻るため歩き始めた。


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