第119話

「いまの夜咲先輩と日向先輩は先輩の恋人に相応しくありません。これからはボクが先輩のそばにいるので、お二人は先輩から離れてください」


 小井戸の発した言葉の意味が分からず、美彩と晴は一瞬フリーズする。しかし次の瞬間、二人は彼女を睨んで激昂する。


「な、なにそれ! レンと別れろってこと!?」

「やっぱりあなたも蓮兎くんを狙っていたわけね。初めから私たちを排除して彼の唯一の恋人になろうとしていたのかしら」


 二人の怒気を孕んだ声を浴びるも、小井戸は怯むことなくむしろ呆れたようにため息をつく。


「だから言ってるじゃないですか。ボクは先輩の彼女になろうとか思っていませんって。そもそもボクは恋愛感情とかよく分かりませんし」

「恋愛が分からないあなたに、私たちの恋愛を邪魔する権利はないと思うのだけれど」

「分からないこそ第三者目線で恋愛について分析してきたんですよ。なので変にバイアスのない恋愛観をボクは持っていると思いますけどね。まあ、そういった感情を持つところまではいきませんでしたが」

「バイアス? とかはよく分からないけど、どうしてあたしたちが小井戸ちゃんにそんなこと言われないといけないの⁉」

「どうしてって、先輩が苦しんでるからですよ」


 蓮兎が苦しんでいるからと聞いて、二人は反撃の手を止める。


 二人は思い当たる節があるのか、口を開いては閉じてを繰り返すだけで、言葉が出てこない。


 小井戸はそれを見てため息を一つつき、話の続きをする。


「先ほど先輩の体質についてまでお話ししたのはこのためです。先輩は今、過度なストレスを抱えてしまっています。そして、それはお二人との関係が原因です」

「ま、待ちなさい。蓮兎くんは好きな女の子二人と付き合っているのよ? どうしてストレスを感じるというの」

「それは先輩がその関係を望んでないからですよ。今の関係って夜咲先輩と日向先輩が押しかけたものですよね。一度でも先輩から望みましたか?」

「で、でもこの関係を提案したとき、レンも頷いてくれたし……」

「先輩は少し流されやすいところがありますからね。お二人の勢いに飲まれて頷いてしまったのでしょう。それに、もしかしたら前みたいに三人で仲良くできると思ってたんじゃないですか。つまり、お二人が仲良く先輩をシェアすることができていたら、こんな風にボクが先輩たちの関係に出しゃばることもなかったんですよ。まあ、ボク的にはそんなことありえないだろうなと思っていましたが。……お二人は、先輩が病院に通われていることを知っていますか?」

「え……」

「嘘……」


 寝耳に水といった反応を見せる晴と美彩。別に彼女らは蓮兎の体調をまったく気にかけていなかったわけではない。蓮兎が二人に気づかれないように振る舞っていたためだ。


 だけど、先日の例の遅刻から彼の体調不良を察することができたのが紗季だけだったあたり、美彩と晴が彼の体調を常に考えていたとは言い切れない。


「今は薬を飲んで凌いでるみたいですけど、いつかまた倒れちゃいますよ。お二人のせいで」


 また自分のせいで蓮兎が倒れることになる。その事実を突きつけられ、二人の表情は一気に暗くなる。


 だけどここで折れるわけにはいかない。好きな人をそう簡単に手放せるはずもない。


「……小井戸さんに教えてもらって気づくなんて自分が情けないわ。ありがとう小井戸さん。私たち、少し暴走していたみたいね。これからはしっかり蓮兎くんの体調に気を配るようにするわ」

「頭冷やさなきゃだね。レンはあたしたちに仲良くしていてほしいのに、喧嘩もしちゃってたし。レンとこれからも付き合っていくために、こういうところも気をつけなきゃいけないね」


 小井戸の忠告を受け、心を新たにして蓮兎との付き合いを更に良いものにしようと決心する二人。


 そんな二人の決意表明を聞いて、小井戸は「はあ?」と完全に呆れた声を出す。


「何言ってるんですか? お二人は先輩とお付き合いを続けることはできないってさっき言いましたよね」

「えぇ。だからこうして、私と晴は考えを改めてるところじゃない」

「そんなことで変われるわけないじゃないですか。そもそも、それだけじゃないんですよ。先輩方のダメなところは」

「……あたしたちの何がダメなの?」

「そうですねぇ」


 小井戸は腕を組み、うーんと少し考え込んでから晴の質問に答える。


「日向先輩はとてもシンプルです。ズバリ、先輩に甘えすぎです。たしかに先輩は甘えられると喜ぶタイプですが、さすがにキャパがあります。それなのにも関わらず、日向先輩は先輩を頼りっきりです」

「そ、それはわかってる。わかってるもん。でも、あたしがレンに甘えるのを我慢し続けてたら、その間に美彩にレンを取られる気がして……」

「こんな関係になった以上、自分から動かないといけないという焦燥感に駆られて先輩に甘えまくるのは分かります。だけど、それも自分達が招いたことですよね」

「……うぅ」

「とにかく、日向先輩はもう少し自立してください。先輩は少し無理するところがあるので、むしろ支えてくれる人の方がボク的には安心しますね」


 小井戸に言い伏せられて意気消沈する晴。


 一方、美彩は笑みを浮かべた。


「私なら蓮兎くんを支えることができるわ。やはり蓮兎くんには私が——」

「ぶっちゃけ、夜咲先輩の方が問題だらけですよ」

「……はい? 何を言っているのかしら」

「夜咲先輩は他人に対して求めすぎです。優秀な夜咲先輩自身を基準にしているせいかもしれませんが、他人は思っているより凡才です。そんな彼らに寄り添うことがコミュニケーションの基本ですよ。夜咲先輩はそれができていないから、先輩と日向先輩以外で仲の良い人がいないんですよ」

「あ、あなた、さっきから勝手なことばかり言って」

「勝手に言いますよ。言わないと分からないみたいなんで。それと、夜咲先輩は甘え方が下手です。正直この点を考慮すると、夜咲先輩は先輩とすこぶる相性悪いような気がします」

「なっ! ……たしかに、私は他人に頼るのが苦手だわ。けれど、最近は……彼に甘えるようにしているわ。彼は、晴に対して無条件で甘やかすから。その度に、彼は良い笑顔を浮かべるから。だから、私も甘えないといけないと思って……」

「甘えるっていうのは頑張ってすることじゃないですよ。自然と寄りかかるようにするものなんです。それができないのって、結局夜咲先輩は他人を信頼していないんですよ。寄りかかっても避けられない、自分の体をしっかりと支えてくれると心の底から思うことができていないんです。だから下手な甘え方をしてしまうんです。例えば、自分を傷つけることによって、向こうが支えなければいけない状況を仕立て上げるとか。それで傷つくのは夜咲先輩だけじゃないんですよ」


 小井戸に完膚なきまでに正論を突きつけられた美彩は唇を噛み締め、反論する言葉が出てこない。


 二人への指摘を終えた小井戸はふぅと一息つき、ソファに深く座り直す。


「お付き合いを始めてからのお二人の様子を遠くから観察していましたが、不憫に思えて仕方がなかったです。水面にぷかぷかと浮かんでいる先輩が欲しくて、手前を頑張って掬っているだけ。それによって波紋が生じ、どんどん先輩は遠ざかっていることに気付かずに」


 本当の意味で蓮兎を捕まえている者は一人もいなかったことを、小井戸はそんな皮肉じみた言い方で伝える。


「でも同情しているところもあります。結局のところ、先輩も含めて皆さん未熟なんです。恋とはそういうものなのかもしれませんが、あまりにエゴの押し付け合いをしすぎです。先輩もお二人のためとかいって、結局は自分のために動いてましたしね」

「レ、レンをそんなふうに言わないで!」

「言いますよ。だって実際そうじゃないですか。本当にお二人のことを思うなら、こんな関係は断固拒否するはずなんですよ。二人同時に深い関係を築いたりなんかしないんですよ」

「やだ……やだ! レンのこと悪く言われるのやだけど、小井戸ちゃんがレンのこと知ってる感じ出してるのがやだ!」

「実際に知っているんですよ。ボクは。先輩のことを。それに、やだやだ言っても仕方ないんですよ。そんなに嫌ならボクより先輩のことを知る努力をしてください。……お二人はご存知ですか? 先輩って結構告白されてること」


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