第118話
蓮兎がいなくなった喫茶店の中、席に座った小井戸は対面の二人の先輩に睨まれていた。
「そんなに睨まないでくださいよ。ボクはお二人とお話をしに来たんですから」
「別に私はあなたと話すことなんて何もないのだけれど」
「そう言わずに付き合ってくださいよ」
「ねぇ小井戸ちゃん。どうしてレンを追い出したの?」
「それは……お二人が蘭さんの話をし始めたからじゃないですか」
小井戸の発言に、美彩と晴は眉を顰める。
「小井戸さん。あなた、蘭のことを知っているの?」
「はい。むしろボク的には、先輩方が知っていたことの方が驚きですよ。まあ、その経緯はなんとなく分かりましたが」
「さっきから私たちの話を聞いていたのね。それよりあなた、店の奥から現れたわよね」
「はい。マスターにお願いして隠れさせてもらってました。おそらく先輩は今日の放課後にお二人を連れてここにくるだろうなと思ったので、先回りしたんですよ」
「……どうして小井戸ちゃんはレンの行動が読めたの?」
「うーん、勘としか言いようがないですね。まあ、ボクは先輩のことは何でもお見通しなので……ってお二人にこれを言ったらそんな顔されますよね、あはは。別に煽ってるわけじゃないんです、本当に、はい」
苦笑を浮かべる小井戸に、二人は鋭い視線を向ける。
小井戸が少し失言してしまったなと内省しているところに美彩が質問する。
「それで、どうしてあなたは蘭のことを知っているの」
「平たく言えば先輩のお母さんから聞いたからですね」
「蓮兎くんのお母様から? そんな……私たちは教えてもらっていないのに……」
「あたしも、レンと蘭って名前似てるでしょとしか教えてもらってない」
「何それ。私聞いていないわよ」
「たまたまスーパーで会ったときに教えてくれたんだよ。……レンのことだから独り占めしたくて誰にも話してなかったの」
「……そう」
美彩は晴の気持ちに共感したのか、好きな人の情報を隠していた彼女を責めるようなことをしなかった。
少しの沈黙の時間が流れ、小井戸が話を再開させる。
「ちなみに、先輩は蘭さんの名前以外に何か言ってたんですか?」
「……そうね。それを知りたいなら、あなたが知っている蘭の情報を教えなさい」
「あー、だったらいいです。何となくは分かっているので。おそらく先輩は蘭さんに謝っていたんじゃないですか」
「え。どうして……」
「あ、本当にそうみたいですね。日向先輩、分かりやすくて助かります」
「……うぅ」
自分のせいで交渉材料を失ってしまった晴は顔を俯かせる。
美彩はそんな彼女を見てため息をつくが、その目には彼女を非難する色は宿っていない。
小井戸はそんな二人の様子を見て、ふむと腕を組んで少し考える。
そして、一つの提案をした。
「そうですねえ、別の条件だったらいいですよ」
「別の条件? 何かしら」
「まず、蘭さんについては他言無用でお願いします。もちろん先輩にもです。それと、後でボクがする話を最後まで聞いてください。そしてしっかりと考えてください。思考を放棄しないでください。それを約束してくださるなら、ボクの知る限りの蘭さんの情報を提供します」
「……それだけでいいのね。分かったわ」
「あ、あたしも。レンに関係することなら知りたいもん」
二人は小井戸の提案に即答する。それを受けて、小井戸はゆっくりと頷いた。
そして真面目な表情を浮かべ、おもむろに口を開く。
「まず先に蘭さんのお話をしますね。……まあ、ざっくり言えば蘭さんは先輩の妹さんです」
「えっ」
衝撃の事実に晴は目を見開いて固まる。
一方、美彩は一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに切り替えて自分の考えを述べる。
「妹……? 待ちなさい、小井戸さん。蓮兎くんにご兄弟はいないはずよ。あなた、適当なことを言っていないかしら。それとも蓮兎くんが嘘をついているとでも言いたいのかしら」
「そ、そうだよ。あたしたちレンの家にも行ったし、レンの昔のアルバム写真も見たんだよ。だけど、どこにもレンの妹みたいな子はいなかった。レンに妹なんかいないよ」
「うーん、いるって言うと語弊を生むんですよね。いるけどいない、と言いますか」
小井戸の言葉を受け、晴は首を傾げ、美彩は顎に手を当てて考え込む姿勢を取る。
「いるけどいない、そしてあの時の蓮兎くんの言葉……そういうことだったのね」
「美彩、わかったの?」
「えぇ。……蓮兎くんの妹さん、その蘭って子は既に亡くなっているのね?」
「……え」
「その通りです。蘭さんは既に亡くなっています」
「で、でもさ、もう亡くなってたとしても写真の一枚くらい残ってるはずじゃないの?」
「そこは私も引っかかったのだけれど、おそらくその子は……この世に生まれ落ちる前に亡くなった。そうでしょう、小井戸さん」
美彩のその問いに、小井戸は黙って頷くことで回答する。
晴は二人の会話を聞いて困惑するが、一度深呼吸をして冷静になって考える。そして、やっと理解することができた瞬間、口元を手で押さえる。
「……つまり、蘭ちゃんはレンのお母さんの中で亡くなったってこと……?」
「はい。ボクが知っている限り、事実はそうなっています」
「そんな……」
晴は想像する。同じ女性として、自分の中に尊い生命が宿った嬉しさ、その子と対面する瞬間に胸を膨らませる時間、そしてそれが打ち壊された絶望を。
そして、そんな蓮兎のお母さんが、自分のことを娘にしたいと言ってくれたこと。その意味を考え、少し胸が痛くなる。
「彼は以前言っていたわ。『もしかしたら俺には妹がいたかもしれない』って。あれはお母様が娘さんを所望されていたという話の流れだったから、あくまで可能性があったといった話だとばかり思っていたのだけれど、本当はそういう意味だったのね……」
「先輩は蘭さんの誕生をとても楽しみにしていたそうです。先輩のお母さんに『あなたは今度、お兄ちゃんになるのよ』と言われ、立派な兄になるよう本を読んで勉強なんかもしていたみたいですね」
「あ……この前モモちゃんと遊んだときに言ってたあれ、そういうことだったんだ……」
過去の蓮兎の発言を思い起こした二人の中で、小井戸から聞いた蘭の正体の信憑性が高まっていく。
「これは先輩が幼稚園に通われていたときのことです。なので、先輩の変に世話好きな性格はこのときに形成されたものですね」
「……そう。納得がいったわ」
「ね、ねえ小井戸ちゃん。レンに蘭ちゃんの話をしようとしたあたしたちを止めてくれたけど、名前を出した時点で、やな記憶を思い出させちゃったかな……?」
「全然大丈夫とは言えませんが、そこまでダメージはないと思いますよ。先輩のお母さんが先輩に蘭さんの話をしないでと言ったのは、そこじゃないと思うので」
「どういうことかしら。小井戸さん。ここまで話したのだから、最後まで聞かせて欲しいわ」
「お願い小井戸ちゃん」
二人のお願いを受け、小井戸は目を伏せながら答える。
「蘭さんを亡くした原因は先輩にあります」
「っ……レン……」
「……それは事実なのかしら」
「事実かどうかっていうのはここでは重要じゃないんです。例えば先輩のお母さんは否定すると思いますし。問題は、先輩が自分のせいだと思っていることです」
「分かったわ。詰まるところ、蓮兎くんに蘭さんの話をして欲しくない理由は、彼が自責に苛まれるからということね」
「それは半分正解で半分間違っています。実際のところ、先輩は当時のことを覚えていません」
「え、覚えてない? でもさっき、レンは自分のせいだと思ってるって」
「はい。覚えてはいません。けど記憶はあります。先輩の脳の奥の奥の奥に封印されていますが。……蘭さんが亡くなった当時、先輩は病院に運ばれています。先日の時のように」
「先日……河川敷で私たちが蓮兎くんのことで揉めたときね」
「はい。過度なストレスを受けた先輩はショックで倒れてしまい、病院に運ばれ、次に目が覚めたとき、そのときのことを思い出せないと言い出したみたいです。おそらく思い出せないのは脳の防衛機能みたいなものだと思います。……そして、その日を境に、先輩は時折ひどい頭痛に襲われるようになりました。過度なストレスを感じたとき、過去にあった似た記憶を思い起こそうとする力と封印しようとする力がせめぎ合ってそうなっているのかなとボクは考えています」
蓮兎の体質の背景を知った美彩と晴は納得しつつ、彼の気持ちを考えて心を痛める。
小井戸は話を終えたとばかりにふぅと一息つき、「さて」と話題を切り替える合図を出す。
「蘭さんについて、ボクが知っているすべての情報を話しました。これからはボクの話を聞いてもらいます」
「えぇ。もちろんよ」
「約束、だもんね」
改めて話を聞く体勢に入った二人の目をまっすぐ見て、小井戸は言った。
「いまの夜咲先輩と日向先輩は先輩の恋人に相応しくありません。これからはボクが先輩のそばにいるので、お二人は先輩から離れてください」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます