第21話

 一年生の春は入学したてで新しい環境にドキマギする時期だろう。毎日が新鮮で、日常の中のふとしたことにさえ心を動かすこともある。


 三年生の春は最も忙しい時期じゃないだろうか。就職する生徒もいるだろうが、我が校は一応進学校のためほとんどの生徒が受験勉強に明け暮れる日々を過ごす。別に強制ではないが、やらなければ自分の首を絞めることは分かっているので、皆死に物狂いで勉学に向き合う。やることは毎日変わらないが、時間は少しでも欲しい時期だろう。


 では二年生の春はどうだろうか。ぶっちゃけると何もない。何もないのだ。新しい環境に身を投じたわけでもなく、何かに追われることもない。一番心休まる時期と言ってもいいが、一番退屈な時期でもある。それでも将来のことは考えないといけないので、なんだか宙ぶらりんな日々を送っているような気がする。


 そんなわけで、


「どこか遊びに行く計画を立てませんか」


 俺は二人にそんな提案をしていた。


「どこかって具体的にどこよ」

「特に決めてない。けど、いつも行ってる場所じゃなくて、なんか新規開拓したいなって」

「新規開拓、面白そうね」

「でもこれといってアイデアがないんだよなぁ。鎌倉とか行ってみる?」

「いいじゃん。あたしたち、あんまり観光地とかって行ってなかったし」

「みんな小さい頃に行ったことあるだろうけど、家族で行くのとは違った楽しみがあるだろうしな」


 俺と日向の間ではこれからは観光地でも攻めていきますか〜という空気になったのだが、一人、それに異議を申し立てる人がいた。夜咲だ。


「たしかに観光地も魅力的だけれど、何度も行くような場所ではないでしょ? そうなるといつかネタ切れを起こすわ」

「ん、まあたしかに」

「だから私はもっと身近な場所がいいと思うの。……例えば、そ、その、瀬古くんのお部屋とか」

「……へ?」

「は?」


 夜咲からまさかの提案が飛んできて、俺は唖然として固まり、お隣からは低い声が聞こえた。


「……だ、ダメだよ美彩。瀬古の部屋なんかに行ったら危ないって」


 日向のその発言に俺は何も言えない。肯定するのはありえないし、否定するのは日向との関係が引っかかる。いやどのみち危険なんてないけどさ。


「そうかしら。カラオケとかも個室だけれど、瀬古くんは何もしてこなかったわ」

「それは一応外だからさ! 自分のテリトリーの場合だとやっぱり違うって!」

「大丈夫よ。晴もいるのだし。何かあっても守ってくれるでしょ?」

「うっ……」


 そう言われると日向は何も言い返せなくなる。今まで日向は夜咲を俺から守るよう動いてきており、それが評価されたが故の夜咲の言葉なのだから。


「晴は瀬古くんの部屋に興味ないの? 私は興味があるわ。一体どのようなレイアウトで、本棚にはどのような本が並んでいるのでしょうね」

「それは……いや、興味ない! 全然興味ない!」


 日向は興味ないと言うが、実は日向は俺の部屋に一度だけだが来たことがある。あれは日向が仮病を使い、俺と歪な関係を結んだ日の翌日。あまりの急展開に頭がショートして体調を崩した俺は学校を休んだ。すると「お返しだから」と言って日向が見舞いに来てくれたのだ。その際、彼女は俺の部屋をガッツリ観察していたように思える。


「俺的には全然構わないんだけど、何もないぞ? それと休日は親が家にいるし」

「あら。ご両親にご挨拶しておきたいと思っていたから、むしろお会いしたいわ」

「ご挨拶って……」

「うぅ……そ、それならあたしも行きたい。瀬古のお母さんとお父さんに会いたい、かな」

「俺みたいな奴を育て上げた親の顔が見てみたいってやつか」

「ち、違う! そういうんじゃない……」


 どこか必死に否定してくる日向に、俺は言葉を呑む。こちらとしてはいつもの冗談のつもりだったが、日向は純粋に俺の両親に会いたいのだろうか。


「す、すまん」

「……ううん。あたしこそ急に大きな声出してごめん」


 二人して謝る。少しだけ空気が重たく感じる。それを振り払うように、夜咲がパンッと自身の両手のひらを打ち合わせる。


「それじゃあ今週末、瀬古くんのお家にお邪魔していいかしら」

「あ、あぁ。親に都合を聞いとくよ」

「えぇ、お願い。楽しみね、晴」

「……うん。ありがとう、美彩」

「ふふ。なんのことかしら」

「……はは。美彩はかっこいいな〜このこの」


 日向は美彩に抱きつき、自分の頬を夜咲の胸に擦り付ける。夜咲はそれをくすぐったそうにしながらも、笑って受け入れている。そんな二人を見て俺も自然と微笑む。


 俺たちはなんだかんだバランスが良い。何か不穏な空気になっても、誰かがフォローしてくれるから未だ大きな喧嘩に発展したことはない。


 だから俺たちは何の隔てもない仲の良いグループに見えるだろう。少なくともはたから見たら。




 * * * * *




 そういった経緯で、二人が我が家にやってくることになった。


 母さんに週末の都合を聞いたところ「女の子を呼ぶなら他の予定なんてキャンセルよ! 母さんも会いたい!」という回答が返ってきたため、スケジュールはスムーズに組まれた。父さんは趣味の釣りに行くらしい。いつも通りのマイペースさだ。


 当日の朝、俺は最寄り駅まで二人を迎えに行き、そこから三人で歩いて我が家へと向かった。集合した時点で夜咲と日向は何やらそれぞれ紙袋を手に持っていた。それを持つ日向の手が震えていたのが印象的だった。


「それじゃあ、我が家へようこそ。何もないけど」

「お邪魔します」

「お、お邪魔しまぁす」


 いつもより小綺麗になった我が家へ二人の友人を通す。小田や他の男友達を家に招くことはあったが、女友達を招いたのは初めてで少しだけ緊張する。


「いらっしゃい! どうも〜このバカ息子の母です! 二人とも本当に可愛いわね! どうして蓮兎なんかと一緒にいてくれてるのかしら。蓮兎がこうして女の子を連れてきたのは初めてで、私なんかもう張り切っちゃって、今朝なんか——」

「えっと……」

「あ、あはは」


 自分の母親の暴走を目の当たりにして、そんな緊張は吹き飛んだ。二人は眉を八の字にして困惑している。


「母さん。二人を玄関に居させたままでいいの?」

「あら本当。何しているの蓮兎、早く案内してあげなさい」

「誰のせいだと……。二人とも、適当に靴脱いで上がっちゃって。俺の部屋は2階にあるから——」

「ちょっと。リビングに案内しなさいよ。まだ母さんこの子たちとお喋りしたいわ」

「……リビングはこちらで〜す」


 母さんに振り回されながらヤケクソ気味に二人を誘導する。そんな俺がおかしいのか、二人は顔を見合わせてクスッと笑う。それで緊張が解けたのか、家に上がった二人は会った時から持っていた紙袋を母さんに手渡しながら円滑に挨拶をする。


「はじめまして。蓮兎くんとは中学三年生からのクラスメイトで、夜咲美彩と言います。こちら、うちの母から瀬古くんのお母様へと」

「あら、ありがとう。……え、これって有名な高級菓子じゃない? こ、こんなもの貰っていいの?」

「はい。本日はお世話になるので、ほんの気持ちですが」

「あらまぁ……蓮兎、この子ってもしかしてお嬢様? あんた逆玉狙ってんの?」

「母さん失礼だよ、夜咲にも俺にも」

「あんたにも……?」

「本当に分からないみたいな顔しないでくれ!」

「……ふふ。お母様と仲が良いのね、瀬古くん」

「え、どこ見てそう思ったの?」


 たしかに歯に衣着せぬ物言いをできる関係を築けてはいるが、俺はいつも母さんに振り回されている感覚があるため、仲が良いと言われるとうーん。


「は、ははは、はじめまして! あた……わたし! 瀬古……れ、レン……トくんのクラスメイトで、美彩とは違って高校に入学してからで、その、仲良くさせてもらってます! あ、名前! 名前は日向晴って言います! あた、わたしからもこれ! つまらないものですが!」

「なにこの子可愛い。母性本能くすぐられちゃう。晴ちゃんもわざわざ用意してくれてありがとうね」

「い、いえ! 美彩と違って、本当に粗品ですけど……」

「ねえ蓮兎、この子甘やかしてもいいかしら? うちの娘になって欲しいんだけど」

「あたしが瀬古家の娘!? ってことは……」

「ほら母さん、日向困って固まっちゃったよ。いい加減にしてくれよ」

「……はぁ。ごめんなさいね、晴ちゃん。息子が」

「俺が!?」

「い、いえ。レントくんにはお世話になっているというか、その、はい」


 お世話になっているのは俺の方なんです……とは口が裂けても言えない。


 二人の我が家への初来訪(正しくは日向は二回目だが)は、そんな感じで始まった。

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