第20話

 マスター自慢のコーヒーを一口飲む。口にする前から香っていた焙煎の匂いと、口の中に広がる苦味が合わさり、コクのある味を楽しむことができる一杯となっている。うまい。


 そんな素人食レポを胸中で披露しているのは、現実逃避からか。俺は今、想い人とその従姉妹の前で恋愛について語らなければいけない状況に陥っている。


 コーヒーカップをテーブルに置き、ゆっくりと顔を上げると、視線が紗季ちゃんのキラキラとした目と夜咲の少し紅潮しながらも期待がこもった目とぶつかり、自然と苦笑を浮かべてしまう。苦いのはコーヒーだけじゃないってか。やかましい。


「恋愛観なんて人それぞれなわけであって、参考になる正解例なんてないと思うんだけど……」

「いいんですよ。わたしたちは蓮兎さんの恋愛観を聞きたいんですから。ね、お姉ちゃん」

「えぇ。人それぞれだからこそ、自分は持っていない考え方を知ることができて有意義だと思うわ」

「さいですか……」


 これはもう逃げきれないと察した俺は腹を括り、一呼吸入れてから自分の恋愛観を語り始める。


「そうだなぁ。恋をする、誰かを好きになるっていうことは、結局その人のそばにいたいっていう気持ちの表れじゃないかな」

「わたしは蓮兎さんやお姉ちゃんと一緒にいて楽しい、この時間が続けばいいなって思います。これも恋ですか?」

「きっとそれは親愛だったり家族愛だったりするんじゃないかな。友達と遊ぶのも楽しいし」


 あと俺の名前を先に言ってくれるあたり、紗季ちゃんはあざといなぁ。ちょっと嬉しくなってしまった。


「そこの区別はどうやってするのかしら」

「それは難しいんじゃないかな。はっきりと区別なんてできるものじゃないと思う。昨日まで友達だと思っていた人が、気がついたら恋愛対象になっているなんてこともあると思うし」

「……そう。そういうものなのね」


 夜咲の表情が一瞬暗くなった気がしたが、次の瞬間いつもの表情に戻っていたので気のせいだろう。


「あとは相手がどんな状況に陥ってもそばで支えてあげたいと思える、とかね」

「あら。瀬古くんは私が窮地に立たされた時に助けてくれるのね」

「お姉ちゃんがピンチになるってなんだか想像できない」

「夜咲は……ちょっと違うかもしれない。支えたいって気持ちがないわけじゃないけど、それが全面的かと言われると、そうじゃないかな」

「え……」


 困惑の声と共に夜咲の表情が曇る。今回は気のせいではなかった。


「夜咲はなんというか、尊敬する相手って感じが強いかな。俺もこんな人になりたいなっていう。それが転じて好きになった感じなのかな」

「うーん、でもそれっておかしくないですか? さっき蓮兎さんが言っていたことと違いますよ?」

「だから正解なんてないんだよ。気がついたら好きになっていて、理由は後からついてくるものだからさ。理屈なんて無いっていうかさ。好きになった人が好きなタイプとか言うじゃん」

「なるほど……ちなみに、蓮兎さんはお姉ちゃんのどんなところを見て好きになったのか詳しく聞いていいですか?」

「えっと、最初は性格というか姿勢かな。さっきも言ったけど俺にとって夜咲は憧れなんだよ。今の俺がいるのは夜咲のおかげでって言っても過言ではないし。あ、俺って夜咲のことが好きなんだなって思えてからは、綺麗だな可愛いなとかそういった魅力にも気づけてきて、それで——」

「ち、ちょっと私、お手洗いに行ってくるわね」


 いつの間にか吹っ切れていて、夜咲の魅力を語りまくるマシンとなっていたところ、顔を赤くした夜咲が突然席を立ち、俺たちから離れて行った。


 普段はあんな反応見せないのに、珍しいこともあるもんだと心の中で呟く。紗季ちゃんの前だし、流石に恥ずかしくなったのだろうか。あんな夜咲の反応が見れたのなら、この辱めも別にいいやという気持ちになってくる。


 夜咲の姿がトイレの中に消えていくのを確認して、紗季ちゃんはその年齢にそぐわない妖艶な笑みを浮かべて俺の目を真っ直ぐ見つめてきた。


「お姉ちゃん、愛されてますね」

「その愛はなかなか届かないみたいだけどね」

「ところで蓮兎さん。わたしってお姉ちゃんに似ていますか?」

「ん? 似てるよ。特に目元がそっくり」

「じゃあ蓮兎さんはわたしのことも好きってことですか?」

「え? まぁ好きだけど」

「あ、違いますよ。もちろん女の子としてって意味です。好き、ですか?」

「それは……ほら、好きになるのって見た目じゃないしさ〜」

「わたしはお姉ちゃんと違って性格の悪い、悪い子なんだ……ぐすん」

「そ、そんなわけないよ! 紗季ちゃんは真っ直ぐで優しい心を持っている女の子だって俺は思うよ!」

「じゃあわたしのこと好き?」

「この子、悪い子だわ」


 もしかしたら、俺を含めたそこらへんの高校生より恋愛を熟知しているかもしれない小悪魔少女。それが夜咲紗季である。




 * * * * *




 そして時は現在に戻り。俺は紗季ちゃんと会っていた。もちろん夜咲も一緒だ。


 しかし最近はあまり会えていなかった。というのも、彼女は中学受験組で2月初旬あたりまで受験で忙しかったのだ。それ以降は離ればなれになってしまう小学校の友人との思い出作りや中学校生活の準備などがあり、4月中旬の今、こうして余裕ができたので久しぶりに会おうということだった。


 今の目の前にいる紗季ちゃんは制服を着ている。彼女が進学した中学校は名門の中高一貫校で、その制服姿を俺にお披露目したくて休日にも関わらず着て来てくれたらしい。


「久しぶり。それとおつかれさま。制服似合ってるね」

「ありがとうございます。大きめのものを購入したのもあって、まだ着られている感じがしますが」

「いずれピッタリになるさ。その時はとびきりの美少女が誕生ってことだな」

「あ、ふふ。蓮兎さんはあたしの制服姿を見て惚れてくれますか?」

「ノーコメントで」

「ぶぅ。いじわるです」


 紗季ちゃんは頬を膨らませて不満感を表すが、俺はその顔を見て「可愛いな」と思うだけなのでノーダメージである。


 何度か会っていく内に、紗季ちゃんの小悪魔的ムーブの対処を心得てきた俺はこんなにも余裕を持っている。


「ね、ねえ蓮兎くん。私はどうかしら? この服似合ってる?」

「うっ。も、もちろん似合ってるよ! 可愛いと綺麗が共存してる。初めて見たけど最近買ったの?」

「ふふ。ありがとう、嬉しいわ。そうなの、初お披露目よ」


 ある日を境に、このメンバーでいる時のみ、夜咲は俺のことを「蓮兎くん」と呼ぶようになっていた。俺はまだその呼ばれ方に慣れておらず、名前を呼ばれるたびにドキマギしてしまう。余裕なんてなかった。


 だけど俺は未だに夜咲のことを「夜咲」と呼んでいる。紗季ちゃんと二人でいる時に「夜咲」呼びは混乱するから名前で呼んでと言われたが、紗季ちゃんは紗季ちゃんって呼んでいるから区別つくからいいじゃんと言い訳して頑なに拒否した。本当の理由は恥ずかしいからである。マジで余裕なんてなかった。


 紗季ちゃんと会う時はいつもこの三人だ。


 未だ日向は紗季ちゃんに会ったことがない。それは紗季ちゃんが人見知りだからだ。どうやらこの小悪魔キャラは普段は鳴りを潜めているらしく、本当に親しい間柄の人の前でしか見せないらしい。俺の時は結構早めに小悪魔の頭角を現していたように思えるが、俺は異例らしい。


 そのため日向、というか新しい人を招くことで紗季ちゃんが萎縮して楽しめなくなるのは避けたいということで、日向を紹介するのは紗季ちゃんのタイミングに合わせており、まだその機会が来ていない。


 そして日向にはこの三人で遊んでいることを隠している。自分を除け者にして遊んでいることがバレたら悲しむだろうから黙っておいた方がいいだろうと夜咲が言い出したのだ。俺は一理あると思い、それに従っている。日向も夜咲に俺関連で隠していることがあるし、おあいこ……とは言えないけど、まあ親友でも全て話すってわけでもないよなと思う。


「紗季ちゃんは部活とか入ったの?」

「はい。吹奏楽部に入りました。フルートを担当する予定なんですよ」

「へぇ、フルート。楽器とか授業でしか触れたことないから、難しそうだなあってイメージしかないや」

「ふふ。わたし、先輩に褒めていただきました。笛の扱いが上手だって。指の動きが滑らかで、タンギングも綺麗って言ってくれました。蓮兎さん、タンギングはご存知ですか? 舌を使うんですよ」

「……紗季ちゃん?」

「なんですか?」

「……ううん、なんでもない。笛の話だもんね」

「はい。笛の話ですよ? 変な蓮兎さん、ふふ」


 なんか色っぽい話に聞こえたのは気のせいだろうか。うん、気のせいだろう。気のせいったら気のせいなのだ。


 でも紗季ちゃんの表情が少し艶っぽいんだよなぁ。もしかしてこの小悪魔、中学生になってから更に進化してる……?


「運指とかタンギングとか、さっきから紗季はフルートのお話しかしていないと思うのだけれど、どうして二人はそんな顔をしているのかしら」


 一方でその姉はピュアッピュアなのだった。

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