第98話

 エスカーというのは、結局のところエスカレーターのことだ。


 施設内にあるエスカレーターに乗り、俺たちは上へと向かっていく。


「ロープウェイみたいに景色が眺められるわけではないのね」

「その代わり広告がたくさん並んでるね」

「社会を学べている気がするな。これが遠足による教育か」

「おそらく違うと思うわよ……」


 景色を見ることはできないが、この空間は非日常感があり、まるでアトラクションみたいでこれはこれで面白い。


 そんなエスカーもあっという間に終わり、俺たちは辺津宮へつみやに到着した。


 御社殿が見えたことで、鳥居を見て以来、俺たちは神社に来たのだと実感する。エスカーを使ったことで少し変な感覚だが。


辺津宮へつみやのご利益は金運、勝負運、厄除けだよ」

「バイトをしていない学生にとって金運って微妙だよな。給料もないしギャンブルもしないし、ドンッとお金が入ってくることってあんまりないから」

「たしかにそうね。なら、勝負運はどうかしら。来年は受験なのだし」

「うーん、来年までご利益持ち越せるものかな。受験日に関しては再来年だし」

「それじゃあ厄除けはどうかな!」

「どうかなぁ」


 ここに小井戸がいたら「先輩には女難の相があるのでピッタリっすね!」とか言ってきそうだ。そしてその内容は肯定しかねる。


「ねえ瀬古。今、別の女の子のこと考えなかった?」

「ダメじゃない蓮兎くん。今は私たちのことだけを考えなさい」


 だって両隣にいる彼女らが離れていくのは、やっぱり寂しいから。




 * * * * *




 とりあえずお参りを済ませた俺たちは、次の目的地、中津宮を目指す。


 しばらく平坦な道を進んで行き、少しだけ階段を上った先にそれはあった。


 意外と楽勝で拍子抜けだ。もしかしたらキツいのは初めの階段だけだったのかもしれない。


「日向博士。ここにはどのようなご利益が?」

「ふっふっふ。あたしに任せて! 中津宮のご利益は芸能向上、商売繁盛、美のご利益だよ!」

「美のご利益ですって?」

「そう、美のご利益だよ! 美彩!」

「えぇ。本気でお願いしないといけないわね」


 二人は顔を見合わせて同時に頷き、大股でお賽銭箱へと向かって歩き始めた。俺も二人を追いかけるように駆け出す。


 少しだけ列に並び、自分達の順番になってお賽銭箱に五円玉を放り投げる。


 二回礼をして、次に二回拍手をする。そして手を合わせたまま目を瞑ってお願い事をする。


 ただ、先ほど聞いたご利益に自分が求めているものはなかったので、適当に健康を祈って目を開ける。


 俺の拝む時間が短かったのもあるだろうが、隣を見ると二人はまだ手を合わせて目を瞑っていた。目を瞑っているために美彩の長いまつ毛がよく見えて、色っぽいなと考えてしまう。


「うぅ……お願いします、もっと身長を……綺麗な体型を……!」

「どうか私にも強力な武器を……主に上半身に……」


 本気すぎて力が入っているせいか、彼女らの願いが口から漏れていた。


 俺はその声を聞いていないことにするため、ゆっくりと二人から離れようとする。しかし、それは叶わなかった。


「蓮兎くん」

「瀬古」


 さっきまで参拝していたはずの二人に両腕を掴まれてしまった。


 その状態のまま連行される形で横に逸れて、二人に詰められる。


「私たちのお願い、聞いていたわよね」

「……なんのことやら」

「瀬古わかりやすっ。……でさ、どう思った?」

「ど、どうって?」

「私たちのお願い、蓮兎くんも必要だと思うかしら。……その、私の身体はこのままでは不満?」

「そんなことないよ。美彩の長くて綺麗な手足、まるでモデルさんみたいだなあって常々思ってるし。全体的にバランスが良いというか、完成された体型って感じがする」

「そ、そう。それならお願いする必要もなかったわね。……ふふ」

「あ、あたしはどう、かな。正直、自分のことちんちくりんだと思う時もあって……」

「日向はたしかに平均より身長が低いかもしれないけど、俺は可愛いと思うよ。それに、引き締まるところは引き締まってるし、出るところは、その、出てるし」

「……瀬古は変態だなぁ。でもまあ、瀬古なりに褒めてくれたんだし、ここは喜んでやるかー」


 俺なりに彼女らの体型を称賛すると、美彩も晴も上機嫌になり、両腕を解放してくれた。


 なんとなく、彼女らはわざとお願い事を口にしたのだと考えてしまう。神様にお願いするほど深刻なお願いだと分かれば、俺も回答をはぐらかすことができない。


 だけど、今の彼女らの様子を見れば、ある意味願い事は叶ったと言えるのではないだろうか。結局、人が求める美というものは、その人本人がそれで満足するラインなのだろう。


 俺が褒めきったことで、彼女らは自身の身体に満足するようになった。もしかしたら、恋人の聖地におります神様はこれを伝えたかったのかもしれない。


 頭の中でそんな理論を展開していると、名前も知らない神様が「ちゃうねん」と抗議する声が聞こえた気がした。




 * * * * *




 中津宮を去り、最後のお宮である奥津宮を目指す。


 道中で見かけた展望台のある灯台に登って眼下に広がる景色を楽しんだりもした。適当に撮った写真を見直し、これなら小井戸が送ってくれた写真にも勝てそうだなと笑う。


 展望を楽しんだ後、俺たちは更に奥へと進む。


「なんか急に道が狭くなってきたな」

「勾配もすごいわね。階段が用意されているし」

「気をつけないとだね」

「一番心配なのは日向だけどなぁ」

「む。バカにしないで! この歳になって転けたりなんかしないし!」

「いや去年、プールで転けてただろ」

「あ……うぅ!」

「その言葉にならない抗議やめてくれよ。戦意削がれるからさ」

「ある意味最強ね」


 そんな話をしながら、足元に気をつけつつ歩を進める。


 商店が立ち並ぶエリアに入ったところで、晴が何かを見つけて足を止める。


「みてみて。女夫饅頭だって」

「あら、漢字が違うわね。夫婦ふうふの字じゃないのね」

「なんか理由があるらしいよ。忘れちゃったけど」

「忘れちゃったのか」

「だ、だって別の意味の方があたし的には重要で……と、とにかく食べてみようよ! 一つずつ売ってるみたいだしさ」

「有名みたいだし、そうするか」

「そうね」


 俺たちは店前の列に並び、白色と茶色の2種類あるうちのどちらを注文するか考える。


「つぶ餡とこし餡の違いか。うーん別にどっちが好きとかないんだよなぁ」

「じ、じゃあ瀬古は白色にすれば? あたしは茶色にするからさ」

「俺と半分個ずつにするつもり?」

「ち、違う! これは1人1つずつ食べないと、なんだよ」

「え、じゃあなんで自分とは別のものを俺の分に決めたの」

「そ、それはー、えっと……」


 答えあぐねる晴に、俺は首を傾げる。そんな答えにくい質問だっただろうか。


 そんな晴の様子を観察していた美彩は、何かに気づいたような顔をする。


「……ふーん。そういうこと。それなら、私も茶色にしようかしら」

「えっ。み、美彩はこし餡の方が好きって前言ってなかったっけ?」

「えぇ。けれど、なんとなく茶色に惹かれたの」

「美彩みたいな色白さんには、白色のこし餡がお似合いかなーって」

「あえて逆のイメージを選ぶのも、旅行の醍醐味じゃない?」

「……うぅ」


 晴が口論で美彩に勝てるわけもなく、美彩は本当に茶色の饅頭を注文した。


 どうして晴が美彩の注文に関してそんなに意地になっていたのか分からないが、俺は晴が言ってくれた通りに白色の方を注文した。そして晴は宣言通り茶色を購入する。


 受け取った饅頭は表面からほかほかと湯気が出ており、とても美味しそうだと思うと同時に熱そうだと思ったので、手で半分に割ってみた。すると中から更に湯気が出てきて、もしかして割ったのは正解かもしれないと口元を綻ばせる。


 そして割った片方を一口で食べると、ガツンとくる甘味が口内に広がりとても美味しい。餡だけでなく生地も心なしか甘く、ここまで歩いて疲れた体に染み渡る。


 俺のテンションは上がっていく一方、晴はさっきから少しだけ暗い表情を浮かべていた。原因はわかるが、理由はわからない。そのため慰めようにも慰めることができない。


 だけど、美味しいものを食べたらハッピーな気持ちになるものだ。


「晴」

「ふぇっ!? せ、瀬古。今あたしのこと名前で——んぐっ」


 驚いて振り向いた晴の口の中に、自分の残りの饅頭を押し込んだ。


 晴は一瞬動きを止めるが、次第に饅頭が口の中に入ったのだとわかり、もぐもぐとし始めて遂にはそれを飲み込んだ。そして、


「もう瀬古! 急に口の中に入れないでよ! それと饅頭は1人1個って言ったじゃん!」

「まあまあ。許可もなく口の中に饅頭入れたのは謝るけどさ、美味しいものはシェアしたくなるじゃん。こし餡も美味しかっただろ」

「……うん。美味しかった」

「そっか。それならよかった」

「……レン」


 気づけば晴の目はとろんとしており、俺のことを名前で呼んでしまっているし、俺の手を握ろうと手を伸ばしてきている。


 いま周りにうちの生徒はいなさそうだけど、どうするべきだろうかと判断に悩んでいると、俺と晴の間に美彩が割り込んできた。


「それなら蓮兎くん、私の饅頭を分けてあげるわ。はい、あーん」

「え、あ、あーん」

「どう? 美味しい?」

「う、うん。つぶ餡はつぶ餡でいいな」

「ふふ。そうね。私も普段はこし餡派だけれど、ここのつぶ餡は美味しいわ。……こうして味を共有するのって楽しいわね」

「そうだな。晴も、つぶ餡美味しかった?」

「……え? あ、うん。どっちも美味しかった!」


 そう返事をする晴の目はいつものくりっとしたものに戻っていた。


 こうして、糖分を摂取して体力を回復させた俺たちは、奥津宮を目指して再び歩き始めるのだった。

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