第144話
「今の先輩を救うために、紗季ちゃんの力をお借りしたいんです」
茉衣さんの言葉は要領を得ないものでしたが、わたしは二つ返事で頷きました。
蓮兎さんのため。それだけでわたしが首を縦に振るには十分な理由だったから。
それからわたしは茉衣さんと連絡先を交換しました。そして少し日を空けてから、茉衣さんからお出かけのお誘いが来ました。
蓮兎さんと一緒にお出かけしませんか、と。
わたしは嬉しくなる気持ちを抑えながら、茉衣さんの思惑を探ります。
お誘いがくるまでの間、わたしは茉衣さんとたくさんお話しました。
茉衣さんは最近、勘違いさせた相手に告白されることに悩まれているみたいで、どうしたらいいものかとわたしに聞いてくださいました。どうも前からわたしに聞いて見たかったみたいです。
一方で、わたしも茉衣さんにお聞きしたいことがあったので、いい機会だと思い聞いてみました。
「茉衣さんも、蓮兎さんのことが好きなんですか?」
わたしが質問すると、茉衣さんは「あはは」と一笑され、
「たしかに先輩のことは好きっすよ。でもボクは先輩の後輩。それで幸せなんすよ」
そう答える茉衣さんの声のトーンは高かったけど、何か引っかかるものを感じました。
でもその言葉通りに受け取るのであれば、茉衣さんは純粋に蓮兎さんの心配をされているということになり、今回のお出かけもその一環でしかないことになります。
以前お会いした日から間が空いたのも、蓮兎さんがお休みになる時間を設けたということですね。
だったら……いいかな。わたしも、蓮兎さんとお出かけしたいですし。
考えがまとまったわたしは、茉衣さんに了承する旨の返事を送りました。
そして当日。パパに集合場所である駅に送ってもらい、先に到着されていた茉衣さんと待っていると、蓮兎さんがやって来ました。
「よっ」
「あ、先輩! おはようございます!」
蓮兎さんは茉衣さんの方にまっすぐ向かってきて、そのまま茉衣さんに挨拶をしました。
わたしより先に茉衣さんに挨拶されたことに、少しだけ、むっとしちゃいます。
なのでわたしは、お会いできた嬉しさより勝りそうなムカムカを抑えながら、蓮兎さん挨拶をしました。
わたしに気づいて欲しくて。
「お久しぶりです、蓮兎さん!」
「え……紗季ちゃん!」
蓮兎さんはわたしの方を見て一瞬驚いた顔をしました。わたしも来ることは茉衣さんから事前に聞いていたはずなので、本当に茉衣さんにしか気づいていなかったのだと分かり、わたしは悲しくなってきました。
「む。なんか先輩、紗季ちゃんの存在に気づいた瞬間、ボクに挨拶してくれたときより嬉しそうな表情になりましたね」
茉衣さんがそんなことを言う。それを聞いて、わたしの心はすっと軽くなりました。自然と笑顔が溢れてしまいます。
「えへっ。蓮兎さんはわたしのこと大好きですもんね!」
「好きというか、崇めてます」
「わたし崇拝の対象になってます!?」
後からお聞きしたところ、蓮兎さんは茉衣さんの頭を目印に合流を目指されていたみたいで、だからわたしに気づくのに少し遅れたみたいでした。
わたしの中にあったムカムカは完全になくなり、それからはたくさん蓮兎さんに甘えちゃいました。
このお出かけが蓮兎さんの気分転換が目的であることは承知していました。だけど、蓮兎さんのそばにいたら、ついつい甘えたくなってしまいます。もっと近くにいたいと思ってしまいます。もっと意識をしてもらいたいと思ってしまいます。
今日はわたしの要望でスイーツバイキングに来ました。店内に入ると甘くて美味しいものが並んでいるのが見えて心が躍りましたが、それよりわたしは隣を意識してしまいます。
少し強引に蓮兎さんの隣の席を確保しちゃいました。だけど蓮兎さんは嫌がることなく、わたしを隣にいさせてくれます。
ふと店内を見渡すと、お店の特徴柄、女性同士か恋人同士のお客さんが多くいらっしゃいました。
話の流れもあってか、雰囲気にのまれたわたしは勇気を出して自分のケーキを刺したフォークを蓮兎さんに差し出す。
「あーん、してくださいっ」
すると蓮兎さんは初め遠慮していましたが、わたしのケーキを食べてくださいましたっ。
「えへっ。蓮兎さんにあーんしちゃいましたっ。それに、か、間接キスまで。以前はできなかったので……」
「あ」
蓮兎さんのお口から気づきの声が漏れる。
「ごめん紗季ちゃん。新しいフォーク取ってくるよ」
「むぅ。……えいっ」
蓮兎さんがいじわるなことを言うので、わたしは先ほど蓮兎さんが口にしたフォークを使ってケーキを食べる。
そして笑顔を向けて言いました。
「この通り、新しいフォークなんて必要ありません。なので、その、蓮兎さんも気にしないでくださいっ」
最後まで言い切ると、恥ずかしさのあまり蓮兎さんから顔を背けちゃいました。
そんなわたしたちのやり取りを、茉衣さんは温かい視線で見守っていました。
* * * * *
それからわたしは、間隔を空けながら蓮兎さんと茉衣さんのお二人と一緒にお出かけするようになりました。
でもほとんどが近場で、一日の時間も短いものでした。
ですが、今日はなんと海に行くことになりましたっ。
勇気を出して着てみた水着も褒めてくださり、わたしの気分は最高潮。
ですが、時折、蓮兎さんの視線が茉衣さんの胸元に行ってる気がして……それは許せませんでした。なので勢い余って蓮兎さんのお顔にバレーボールを炸裂してしまったのですが、気分が晴れるどころかむしろ申し訳ない気持ちになってしまいました。
それから三人で泳ぎに出た時、事件は起きました。
大きな波にさらわれて、浮き輪に乗っていた茉衣さんが溺れかけてしまいました。
それを救ったのは蓮兎さんです。蓮兎さんは冷静に茉衣さんを抱き寄せて、彼女が落ち着くまで優しく声をかけていました。
しばらくして落ち着いた様子をみせた茉衣さん。
「……もう少しこうしていたいっす」
そう言って蓮兎さんの体にしがみつくその表情は、わたしのよく知るものでした。
そう。お姉ちゃんが蓮兎さんのお話をするときによくこの顔をしていました。
そして、蓮兎さんとお出かけに行く日の朝、身支度をしているわたしを映した我が家の鏡で。
胸騒ぎがして、わたしはすぐにお二人に声をかけた。
* * * * *
今日は花火大会にやって来ました。
今年は夏といえばで、先日の海に引き続きお祭りまで蓮兎さんとご一緒できてとても嬉しい。
色んな屋台を一緒に回って、美味しいものを食べて、射的屋さんで蓮兎さんにわたしの欲しいものを取ってもらって。最後に並んで花火を見上げる。そんな少女漫画で見た素敵な思い出ができると期待していました。
だけど、気づけばわたしたちは蓮兎さんと逸れてしまっていました。
今回は決してわたしの方向音痴が原因ではない。茉衣さんに声をかけられて蓮兎さんから目を離した瞬間、人混みに巻き込まれ、気づけば蓮兎さんの姿を見失っていました。
「ど、どうしましょう、茉衣さん。早く蓮兎さんを探さないと」
「まあまあ。落ち着いてください」
「そ、そうだ! 蓮兎さんの携帯に連絡を入れれば——」
わたしが携帯を操作しようとすると、茉衣さんがわたしの手に茉衣さんの手を重ねてきました。まるでわたしの行動を制止するように。……いえ、確かに制止をかけてきたのです。
どうしてわたしの行動を止めるのか。それを聞き出そうとしたその時、茉衣さんは少し離れたところにいる、赤色のインナーを入れたお姉さんに近づいて声をかけました。
「すみません。かき氷屋さんってどこにあるか分かりますか?」
「え? ご、ごめん。分かんないや」
「そうですか……」
蓮兎さんのことを聞くのかと思えば、なぜかかき氷屋さんの場所を聞く茉衣さん。
「あ……あーでも、そういえばあっちの方で見かけたような? 気がする、かも?」
「あっちってどっちですか?」
「ほら、ここからまっすぐ行った先のあそこ」
「んー……? ちょっと難しいですね」
「なんで!? この通りは直線なんだから、迷うことないでしょ」
「えっと、具体的な方角は北ですかね?」
「分かるか!」
わたしは痺れを切らし、まるで時間稼ぎをしているかのような無駄な会話を繰り広げる茉衣さんの腕を掴んでしまう。
「わたしたちが探さないといけないのはかき氷屋さんじゃないですっ!」
「でも、いちごミルク味があるかもしれないじゃないっすか」
「後で買いに行けばいいですよ! 今はあの人を探すことが優先です!」
「いや、もう今日は会わないっすよ」
何を言っているんですかこの人は。
「どうしてそんなことを言うんですか! わたしは納得してませんよ!」
わたしは耐えきれず、茉衣さんに怒声をぶつけてしまう。
それでも茉衣さんは顔色をひとつも変えず、もう一度「今日はもうダメっすよ」と言う。
茉衣さんの考えは分かりませんが、そのつもりならわたしだけでも探そうとその場を離れる。茉衣さんは意外にもわたしについてきた。
「どうして茉衣さんも来るんですかっ」
「紗季ちゃん迷子になっちゃうじゃないっすか。一人にはできないっすよ」
「うっ……一緒に来るなら蓮兎さんを探してください」
「それは無理っす」
「どうして!」
「だって、いま先輩は日向先輩に会ってますから」
「……え」
茉衣さんが口にした言葉に衝撃を受け、わたしは足を止める。
そして茉衣さんの方に向き直し、キッと茉衣さんを睨む。
「どういうつもりですか」
「どうって。言ったじゃないっすか。先輩を救うって。ボクはそのために動いてるに過ぎないっすよ」
「だったら、尚更。……あの人たちは、蓮兎さんを傷つけました。だから、会わせちゃダメなんですよ」
「でも、先輩にはあのお二人しかいないっすから」
……わからない。
蓮兎さんはあのお二人のせいで疲弊してしまった。だから茉衣さんも蓮兎さんからあのお二人を引き離したはず。それなのに。
それに……茉衣さんはわたしと同じだと思った。先日、海に行った時に。
「茉衣さんは、蓮兎さんのことが好きなんじゃないんですか。蓮兎さんの彼女になりたいんじゃないんですか」
わたしが最近抱いていた疑問をぶつける。すると、茉衣さんは薄く笑って答えた。
「前にも言ったじゃないっすか。ボクは先輩の後輩。……そういうのは求めてませんよ」
わたしの体が固まる。
茉衣さんの答えはたしかに以前聞いたものと変わらない。
だけど、答えるときの茉衣さんの目は、光がなくて、濁っていて、引きずり込まれそうなくらいに深かった。
「帰りましょう。紗季ちゃん。お家まで送るっすよ」
そう言って差し伸べられた手を、わたしは何も言わず掴んだ。
いや、何も言えなかった。
あのような大きな感情を目の当たりにしたのは、初めてだったから。
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