第143話

 蓮兎さんとお姉ちゃんの恋を応援すると決めたわたし。


 そのためにはお姉ちゃんの恋愛音痴を治さなくてはいけない。だけど急に治るわけでもないだろうし、荒療治はしたくない。なのでここは慎重に行おうと思う。


 それより、わたしが危惧しているのは晴さんの存在です。


 お姉ちゃんから聞いた話だと、晴さんは蓮兎さんがお姉ちゃんに告白をする度に飛んできてお二人の間に割り込み、そして蓮兎さんに「しつこい」と注意をするそう。


 たしかにお姉ちゃんは曖昧な態度を取ってしまっているので、傍から見たら蓮兎さんの度重なる告白を迷惑行為だと捉えてしまっても仕方ない気がする。


 けど、わたしにはいくつか引っかかる点があった。


 まず、お姉ちゃんと晴さんの関係について。晴さんはお姉ちゃんにとって初めての友人であり、そして唯一の親友である。これはお姉ちゃん自身が言っていたことで、間違いないはず。


 それならお姉ちゃんが本当に蓮兎さんに迷惑していないということは、親友である晴さんが把握していてもおかしくないと思う。


 それと、これが一番引っかかる点だけど、晴さんと蓮兎さんの関係。これが一番わたしを困らせる。


 晴さんは蓮兎さんに少しキツい言葉をかける一方で、蓮兎さんがお姉ちゃんに告白する時以外は蓮兎さんと普通にお話をしたりするそう。


 流石に二人きりにはならないらしいけど、蓮兎さんのことを本当に煙たがっているのであればそのような態度を取らないはず。友人として接する分には問題ないというお考えなのか、それとも……。


 そういえば、晴さんは少しドジっ子さんなんだとか。ある時期、忘れ物が多かったことがあるらしく、授業中隣の席の蓮兎さんに教科書を見せてもらっていたとお姉ちゃんが話していたのを思い出す。


 ……やっぱり一度会ってみたいですね。そして確かめなくてはいけません。


 だけど、そんなわたしの気持ちとは裏腹に、お姉ちゃんはなかなか晴さんに会わせてくれませんでした。


 それが半年ほど続き、わたしが中学生になって初めてのゴールデンウィーク前の休日のこと。


 突然、お姉ちゃんに「晴を紹介するわ」と言われ、わたしはお姉ちゃんと一緒におでかけすることになった。


 待ち合わせ場所である駅までお姉ちゃんのパパさんに送ってもらうと、そこには背丈がわたしくらいの女性がいた。


 彼女はわたしの隣にいるお姉ちゃんに気づくと、大きく手を振り始めた。彼女が晴さんなのだと確信する。


 晴さんのもとまで歩くと、わたしは先制攻撃も兼ねて、先に挨拶をした。


「はじめまして。わたし、夜咲紗季と申します。お姉ちゃんがいつもお世話になってます」

「紗季!」

「あはは。お世話になってるのはあたしの方かな。美彩から聞いてると思うけど、あたしは日向晴だよ。よろしくね紗季ちゃん」

「はい。よろしくお願いします」


 第一印象、晴さんはお姉ちゃんとは真逆の人だなと感じた。でも知っている感じ。多分、お姉ちゃんから聞いたお話の人物像と全く一緒だからだろう。


 近づいてみても、やはり晴さんは身長が低い。それも童顔だから、全体的にあどけなさが残っている。……だけど一部分だけ、とても大人ですっ。


 珍しいことに蓮兎さんは少し遅れるそうで、わたしたちは先に近くにある喫茶店の中に入った。どうやらお姉ちゃんと晴さんは来店されたことがあるみたいで、顔馴染みのようなマスターさんによってスムーズに席へと案内された。


 それから晴さんと少しお話をしてみたけど、やっぱりお姉ちゃんのお話通りの人で、それ以上の情報は出てこない。もしかしてわたしの勘違いだったのかな。


 わたしは晴さんの裏を探るのを一旦やめて、代わりに今回のことについて探ることにした。


「わたし、実は前から晴さんとお会いしてみたかったんです」

「え、そうなんだ。嬉しい。あたしも会ってみたいなって思ってたよ〜」

「嬉しいです。お姉ちゃん、わたしがお願いしてもなかなか話を進めてくれなくて。でも今日はお姉ちゃんから言ってくれたんです。晴さん、お姉ちゃんのこの心変わりに何か思い当たるところありますか?」

「え? うーん……」


 晴さんは少し考え込んだ後、少し申し訳なさそうな表情を浮かべて「分かんないかなぁ」と答えた。


 やはりお姉ちゃんの腹のうちはお姉ちゃんにしか分からないみたいです。


 しかし本人は黙秘を続けるので、どうしたものかと考えていたその時、お店のドアのベルがチリンチリンと鳴った。


 その瞬間、わたしの対面に座る晴さんがものすごい勢いでそちらを振り向いた。わたしも釣られて視線をそちらに向ける。


 蓮兎さんだ。


「ごめん、遅刻しちゃって」

「大丈夫よ。けれど、あなたにしては珍しいわね」

「……ほら、模試が近いからさ。夜遅くまで勉強してたんだよ」

「そう。でも記憶を定着させるにはしっかり睡眠を取ることも重要よ」

「うん、そうだな。気をつけるよ」


 お姉ちゃんとの会話を終えた蓮兎さんがこちらを振り向き、目が合った。


 自然と口角が上がり、わたしは無意識に体を前に出しながら声をかける。


「お久しぶりです蓮兎さん! ずっと会いたかったです」

「あー……うん。久しぶり」


 蓮兎さんはわたしに挨拶を返すと、晴さんの方を一瞥した。


 晴さんの表情を窺うと、少しどんよりと陰りが見えている。


「2人は、その、前に会ったことあるの?」

「あれ、晴さんご存知なかったんですか? 去年の夏休みに街中で蓮兎さんに偶然お会いしてからの付き合いですよ。数週間おきに蓮兎さんに遊んでいただいているんです。その時はお姉ちゃんも一緒ですが」

「へ、へぇ〜。そうなんだ……」


 わたしがお答えすると、晴さんは顔を伏せてしまった。


 わたしはその反応を見て、察してしまった。晴さんが落ち込んでしまった原因を。晴さんが、蓮兎さんに恋心を抱いていることを。


 先ほどの蓮兎さんがやってきた時の晴さんの反応からして、やはりそうなのだろう。


 でもまだわたしの推測でしかない。だから確認するためにも、わたしは晴さんの反応を引き出すことのできそうな質問をしてみた。


「蓮兎さん。最近、お姉ちゃんとどうですか? この前お会いしたときは、お互いに名前で呼び合っていましたが」

「えっと……まあ、相変わらず仲良くやってるよ」

「それは分かっていますよ。こうして休日に一緒に遊んでいるんですから。わたしが聞きたいのはですね——」

「レンは美彩よりあたしとの方が仲良いよ。ね、レン」


 思っていた通り、晴さんも蓮兎さんのことが好きみたいで、対抗するように出てきてくれた。


 でも、お姉ちゃんから聞いていた印象と少し違うかも。なんというか、こんなに攻撃的な目をしてくるとは思わなかった。


「そうなんですか?」

「うん。だって、あたしとレンは付き合ってるもん」

「……へ?」




 * * * * *




 怒りのままに喫茶店を飛び出したわたし。その隣には、わたしの機嫌を窺いつつ申し訳なさそうな空気を出している蓮兎さんが歩いている。


 お姉ちゃんは恋愛音痴だ恋愛音痴だと思っていたし、晴さんも抜けているところがあるとは思っていたけど、まさか三人でお付き合いするなんて馬鹿なことをしているとは思っていなかった。


 そして、そんな二人に振り回されて疲労困憊な様子の蓮兎さんに気づかない二人に呆れてしまった。


 もちろん蓮兎さんに全く非がなかったとは思えない。蓮兎さんが「こんな関係はありえない」とばっちりと言ってくださっていれば、こんなことにはなっていなかったかもしれない。


 だけど蓮兎さんは自分の気持ちを押し殺して、二人とお付き合いしていたように思える。つまり、三人の間にわたしの知らない重要な情報があるのだろう。


「俺たちの関係について、だよね」


 唾を飲み込み意を決した蓮兎さんにそう訊ねられた。


「はい。どうしてこんなことになっているんですか。2人共と付き合うなんて不健全です。それに、未来がありません」

「そう、だよね」

「分かっているのならどうして蓮兎さんはこんな関係を……お姉ちゃんと晴さんのため、ですか?」

「どうだろう。そうかもしれないし、自分のためかもしれない。ごめん、よく分かんないんだよ。自分の気持ちも、正解も」

「そうですか……分かりました。蓮兎さんが2人のために頑張っているってことを」

「……え? いや、そこはよく分からないって——」

「だって蓮兎さん、今日遅刻してきたのも体調が優れなかったからですよね? その原因はこの関係。違いますか?」

「…………」


 わたしの質問に、蓮兎さんは答えず沈黙してしまった。


 だけど、それが肯定を意味していることは聞かずとも分かった。


 それと、今これ以上聞き出すのは蓮兎さんの体調的にもよろしくないことも。


 ロータリーの近くまで着いたわたしは立ち止まり、蓮兎さんの方に体を向き直す。


「ここまで案内していただきありがとうございます。お父さんが迎えに来てくれるので、もう大丈夫です」

「……うん、気をつけてね」

「……蓮兎さん、またお会いしましょう。今度は、お姉ちゃん抜きで」


 わたしがそう言うと、蓮兎さんは苦笑を浮かべながら「うん」と答え、わたしに背を向けた。


 その背中に向かって、わたしの手が自然と伸びる。


 このまま蓮兎さんと会えなくなる気がして。このお別れが、今生のお別れになる気がして。


 だけど、これ以上蓮兎さんに負担をかけたくない。でも、蓮兎さんと離れ離れになりたくない。そんな葛藤がわたしの中でせめぎ合い、気がつけば宙ぶらりんな手が捕らえていた背中は視界から消えてしまっていた。


 わたしは手を体の横に戻し、蓮兎さんのいた場所をぼーっと眺める。


「よく我慢できましたね。えらいえらい」


 そんな声が近くから聞こえた。


 わたしは咄嗟に反応して振り返ると、そこには茉衣さんがいらっしゃった。


「茉衣、さん?」

「はい。お久しぶりです、紗希ちゃん。先輩の後輩、小井戸茉衣です」


 おかしな自己紹介をする茉衣さんは、やっぱり蓮兎さんと一緒にいる時よりテンションが低いような気がする。


 そんなことより。どうして茉衣さんはここにいるのでしょう。どうしてこのタイミングでわたしに話しかけてきたのでしょう。……どうして、お二人のもとへ戻る蓮兎さんを止めなかったわたしを褒めてくださったのでしょう。


 色んな疑問がわたしの頭の中に浮かぶ中、茉衣さんはにっこりと笑って言った。


「紗季ちゃん。協力してくれませんか」

「……協力、ですか?」

「はい」

「あの、すみません。要領を得ないのですが」

「あぁごめんなさい。紗季ちゃんなら察してくれると思って説明を端折ってしまいました」


 茉衣さんはたははと笑った後、真剣な表情に切り替えて言いました。


「今の先輩を救うために、紗季ちゃんの力をお借りしたいんです」

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