第18話

「あ、あの、蓮兎さん。わたし、喉が渇きました……」


 さっそく電車まで案内しようとしたところ、紗季ちゃんがそのようなお願いをしてきた。


「でもお迎え来てるんでしょ。急がなくていいの?」

「ふふん。少しは迷うかなと思って早めに出てきたのでまだ大丈夫ですよ」

「ドヤ顔で言うことじゃないけどね。それじゃあ、そこのカフェにでも入ろうか」

「よかったですね蓮兎さん。ナンパ成功ですよ」

「あ、うん、そうだね」


 もうナンパを否定するのも疲れたので、俺はツッコミを放棄することにした。それにしても、夜咲(姉)とは違ったスルーをしてくるなこの子。


 適当なカフェに入り、俺はアイスコーヒーを、紗季ちゃんにはリンゴジュースを注文して席に着いた。さすがにここは俺の奢りだ。


「ありがとうございます」

「いいよいいよ。ここは歳上の甲斐性としてね」

「蓮兎さんはコーヒー飲めるんですね。それもブラックで。大人です……! それに引き換え、わたしはリンゴジュース……」


 まあ小六だし、そんなもんじゃないかな。当時の俺もコーヒー飲めなかったし。


「気にすることないよ」

「そうですよね。蓮兎さんは幼いわたしをナンパするくらいなんだから、こういうところもむしろ好きですよね。考えが甘かったです。飲んでいるものも甘いです、ふふ」

「はは」


 いろいろツッコミを入れたいけど、キリがないのでツッコミの言葉をコーヒーと一緒に流し込む。


「お姉さんのところに行くのは久々なの?」

「いえ、ちょくちょく遊びに行っていますよ。家も近いので。ただ、いつもはパパとママが連れて行ってくれるんですけど、今日までお仕事があるから先に一人で行っておいて欲しいと言われまして」

「それで迷子になったと」

「街に一人取り残された感覚に陥っただけです」

「あ、うん、そうなんだ」


 そこは認めないんだ。でもそれただの迷子の感想だから。


 なんというか、大人っぽく振る舞いたいんだろうなあという感じがひしひしと伝わってくる。そういう年頃なのかな。可愛らしいものだ。


「それにしても、蓮兎さんはよくわたしに話しかけてくれましたね。他の大人の方は見てみぬふりって感じでした」

「大人になると余計なリスクを考えてしまうからね。まあ、俺は積極的に動くことを信念としているから」

「積極的、ですか? つまり蓮兎さんはナンパの達人?」

「よし、ツッコミ放棄はやめだ。俺はナンパ師じゃない。それだけでも認識を改めてくれないかな?」

「でも、こうしてわたしと一緒にお茶してますよ? これってナンパの常套手段だとお姉ちゃんから聞きました」

「喉乾いたって言ったの紗季ちゃんだよね? あと君の歪んだ考え方の原因を知って俺は複雑だよ」


 まあ夜咲は声をかけられることも多いし、そういう輩に対して辟易しているのかもしれない。だから従姉妹である紗季ちゃんに注意喚起を目的に、そういうことを話していてもおかしくない。


 だけど、小学生に話すには少々歪んでしまっている気がする。まだ確定はしていないけど、この姉妹は普段どんな会話をしているのか……少し恐ろしい。


 俺が複雑な表情を浮かべていると、紗季ちゃんはクスクスと笑った。


「ごめんなさい。今までのは冗談です。最初から蓮兎さんのことナンパ師さんだとは思っていませんよ」

「えっ」

「蓮兎さん、わたしがいい加減なことを言っても話を続けてくれるので、つい調子に乗ってしまいました。てへっ」


 可愛い。夜咲に似ているから余計に心臓にくる。


「わたしにお兄さんがいたらこんな感じなのかなって思いました。お姉ちゃんはいますが、男兄弟はいないので」

「それは嬉しいな。俺も下の兄弟には憧れてたからね」

「本当ですか!? ……でも、わたしとしては蓮兎さんはお兄さんじゃなくて、彼氏さんだったらもっと嬉しいかもです」

「っ!?」


 笑みを浮かべる紗季ちゃん……いや、紗季さんからは小学生とは思えない色気を感じた。


 この子は将来男心を弄ぶ小悪魔になってしまうのを確信した。恐ろしい子だ。そんな子に少しでもドキドキしてしまう自分が不甲斐ない!


「街中の迷子に声をかけたらまさかの小悪魔とはなぁ」

「迷子ではありません。少し自分(の現在地)を見失っていただけです」

「そこは頑なに認めないんだね」


 紗季ちゃんは頬を膨らませてぷいっとそっぽを向いてしまった。それもまた可愛らしい。


 まあでも、冷静になれば小さい子が頑張って大人ぶっているようにしか見えない。自分がロリコンじゃないことがわかり、心の中でほっとする。




 * * * * *




 カフェを出た俺たちは、本来の目的の達成に向かった。


 切符を買わないと……と思ったが、親御さんにICカードを渡されていたみたいなので、そのまま改札へと向かう。


「この改札抜けたら二番線のホーム……あそこの階段を降りたところに行って。そしたらあとは来た電車に乗るだけだから」

「ありがとうございます。……あの。蓮兎さんのお家も同じ駅の近くなんですよね?」

「え? うん、そうだけど」

「……一緒に電車に乗って欲しいです。親切に教えていただきましたが、わたし、まだ怖くて」

「よし分かった一緒に行こう」


 その顔でそんなことを言われたら断ることなんてできない。ほとんど反射で快諾していた。


 本当はトルパニの新巻を買いたかったが……また今度来ればいいだろう。許せ小田。いずれ語り合える時は来るはずだ。


 紗季ちゃんと一緒に電車に乗り、隣に立って車窓から外を眺める彼女の横顔を見る。改めて見ると、従姉妹ではなく普通に姉妹だと言われてもおかしくないくらい似ている。でも顔のパーツが似ているというより、雰囲気が似ている感じがする。これも遺伝なのかな。俺はこの遺伝にしてやられてばっかりだ。


 ……ん? 従姉妹同士で同じ苗字? 従姉妹って親同士が兄弟だから……夜咲の父方の家系の遺伝ってことか!? 俺は……夜咲のお父さんに……いや、これ以上考えるのはやめよう。


「紗季ちゃん。次の駅で降りるよ」


 目的の駅の一駅前に泊まったところで紗季ちゃんに声をかける。


「はい、わかりました。……あ、あの。駅に降りてから道に迷わないか不安で。人も多いですし。手、繋いでくれませんか?」

「喜んで」


 もう俺は夜咲家の遺伝子に振り回されてもいい。そんな気がしてきた。


 紗季ちゃんの小さな手を握って一緒に改札を抜けると、見慣れた姿が目に入った。向こうもこちらに気づいたようで、一瞬困惑顔を浮かべた後に駆け寄って来た。


「お姉ちゃん! やっと会えました〜」

「紗季。えっと……これはどういうこと? どうして私の従姉妹が私のクラスメイトと一緒に現れたの?」

「迷子になっているところに偶然会ってな。ここまで案内しただけだよ」

「……そう。それで、どうして二人は手を繋いでいるのかしら」

「それはまた迷子になられても困るから」

「じゃあもう離してもいいんじゃないかしら。愛しの妹に手を出されているようで……少し嫌だわ」

「あ、すみません」


 最愛の妹を盗られると思ったのか、それともお前なんかが紗季に触れてんじゃねえよってことなのか……まあ後者はないな。とにかく夜咲は俺たちが手を繋いでいるのが不満みたいなので、俺はすぐに紗季ちゃんから離れようとする……のだが、


「紗季ちゃん? 手を離してくれないかな?」

「お姉ちゃんと蓮兎さんってお知り合いだったんですか?」

「おっとここでお得意のスルー発動か。夜咲は中学の頃からのクラスメイトだよ」

「ふーん。そうだったんですね」


 そこで紗季ちゃんは手を離してくれた。これで夜咲の機嫌も治ったかなと思い表情を伺うと、どうも浮かない顔をしていた。


「……それだけ?」

「え?」


 俺たちの関係の説明としては十分だと思ったのだが、夜咲は不満そうだ。まだ何か言うとしたら……あっ。


「そして、夜咲は俺の片思いの相手だよ」


 すると紗季ちゃんは赤くなった顔を両手で覆って固まり、夜咲は満足そうな顔になった。


 俺は内心、この姉妹に人生をかき乱されそうで少し不安になってきていた。

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