第57話

 電車に揺られる。


 普段は無い緊張感を覚えながら、次に止まる駅のホームを眺める。


 電車が完全に止まるとドアが開き、乗客が数名降りていった後に、今度はホームから数名乗ってくる。その中から彼女の姿を見つける。


「晴」

「レン!」


 彼女は俺を見つけるとあふれんばかりの笑顔を浮かべ、俺のそばに寄って来た。


 事前に自分の乗っている車両を伝えていたため、こうして簡単に合流することができた。


 今日は俺たちの二度目の外デート。


 前に話していた鎌倉にでも行ってみるかという話も出たが、観光地に行くならもっと予定を立ててから行きたいと晴が言うので、無難に街へ繰り出ることになった。


 ただ学校の知り合いに見られるのは面倒なので、少し遠くの街かつ人が多いところに行くことになった。その結果、行き先は横浜となった。


「横浜ってあたしあんまり行ったことないんだよね」

「俺もあんまりないかな。結局、買い物するなら近場で事足りるし」

「そうだよね〜。でも、二人とも新鮮な気持ちで行けていいかもね」


 晴の言葉に「そうだな」と返すと、晴は嬉しそうに笑った。


 乗り換えをしながら、俺達は目的地へと向かっていき、だんだんと俺たちのホームから離れていく。


 すると周りに知り合いがいる可能性も少なくなってくるためか、晴がより俺のそばに近寄ってくる。


 電車が揺れたからか、それとも距離が近くなったからか。俺の手と晴の手が触れた。


 晴はさっきから窓の外を見ている。ただ、その横顔はどこか紅潮している。


 彼女が何を期待しているのかを察した俺は、彼女の小さくて柔らかい手を握った。指を絡めて、しっかりとホールドする。瞬間、彼女の身体がピクッと反応し、しばらくして手を握り返してきた。


「……えへへ」


 こちらを振り向き照れ笑いを見せてくれる晴はとても可愛らしく、俺の心が鷲掴みにされる感覚がした。




 * * * * *




 横浜駅を降りた俺たちはまた乗り換えて、みなとみらいの方へ向かう。


 先ほど電車内で手を繋いでからずっとそのままだ。改札を抜ける際も、晴は意地でも手を離さなかった。


「いい天気になって良かったな」

「うん。そろそろ梅雨入りだよねぇ。今年の遠足の日はほんとに晴れることを祈る!」

「そういえばどこ行くんだっけ」

「たしか江ノ島だよ」


 江ノ島か。あの後輩カップルが行ったとか言ってたな。


「遠足、一緒に回ろうね」

「……あぁ。楽しみだな」

「うん!」


 その「一緒」に美彩は含まれるのかが気になったが、詳しくは聞かずに答えた。


 今後、俺たちの生活はどうなっていくのか。それは俺の回答次第だろう。だけど、三人で今までみたいに仲良くしていくのはやはり難しいのかなと思う。


 駅からしばらく歩いて港の方へ向かう。港には観光船が停まっていた。


「おぉ良い船だ」

「レンって船に興味あるの?」

「いや特には。ただ父さんが少し好きなんだよ」

「前から思ってたけど、レンのお父さんってけっこう多趣味?」

「んー、そうかもしれない。ただ、母さんがあんまり構ってくれないから気づいたら趣味を広げてたってこの前言ってた気もする」

「それは……少し可哀想だね。あ、あたしはずっとレンのこと構ってあげるからね!」

「え、逆じゃない?」

「え、どういうこと?」

「え?」

「え?」


 そんなたわいもない話をしながら歩き続け、港近くにある複合商業施設に到着した。家の近くの商業施設と比べて規模感が違う。


「うわぁすごいね。ここだけで丸一日潰せそう」

「さすが横浜って感じだな」


 俺たちはそれぞれ感想を述べながら、施設の中に入っていく。


 ここは主にショップが集まっている施設なのだが、アミューズメント施設も入っている。今回の俺たちの目的は後者にあった。


 二人とも初めての場所なのでマップを見て話し合いながら、目的の場所へと向かっていく。


「あれっぽいな」

「だね」


 目的地——ボルダリングジムを見つけた俺たちは、意気揚々と店の中に入って行った。受付を済ませると、スタッフの方に奥へと案内された。


 元から動きやすい格好で来ていたため着替えは必要なく、専用のシューズだけ借りてコースへと誘導された。


「それではお二人は初めてとのことで、レクチャーの方させていただきます」


 スタッフの方からインストラクションを受ける。説明を聞いていると難しそうだなあと俺は思うのだが、対して晴は目を輝かせていた。


 インストラクションを終えた俺たちは、スタッフさん付き添いのもと早速ボルダリングに挑むこととなった。


「それでは、どちらから先に——」

「はい! あたし行きます!」


 率先してボルダリングに挑戦する晴。近くにスタッフさんが待ち構えてくれているが、晴の身体能力はやはり素晴らしく、本当に初心者かと疑うくらいにスムーズに登っていき、瞬く間に頂上に辿り着いた。


「レンー。ここすごく高いよー」


 片手を離して手を振ってくる晴に、俺は苦笑しながら手を振り返す。スタッフさんも「あの子すごいな……」と驚嘆の感想を漏らしている。


 この後にするのかと思うと少し気が重くなるが、晴の楽しそうな姿を見ていると、俺も楽しめるんじゃないかという気にもなってきた。


「……いや、無理ぃ」


 中間地点から少し行ったところで、俺の体は限界を迎えた。結局、いけると思ったのは気のせいだったらしい。


 ボルダリングジムを出たところで、晴は笑いながら丸くなった俺の背中をぽんぽんと叩く。


「あははは。どんまい!」

「一緒に来た初心者仲間があんな格好いい姿見せた直後にあれかぁ」

「まあまあ。スタッフさんも褒めてたよ?」

「その後、晴のことベタ褒めだったじゃないか」

「まぁスポーツはあたしの数少ない取り柄だからね」


 そう語る晴の表情は少し暗かった。それが見ていられなくて、俺は晴の頭を撫でる。


「えっ……? どうしたの?」

「晴は誰にも好かれるような愛嬌があるよな」

「え? え?」

「一見、元気印の賑やかしのように思えて周囲のことが見えてて、気配り屋だし」

「……うぅ」

「それに何より可愛いだろ。あとは、」

「も、もういいよ! わかった、わかったから!」


 晴は顔を真っ赤にし、両手をわたわたと動かして俺の言葉を止めにかかる。


 やりすぎたかなと思い、晴の頭から手を離そうとすると、その手を晴に掴まれた。


「それはやめちゃやだ」

「はいはい」


 晴の頭を撫でる行為を続行すると、晴は満足そうに目を細める。だけど顔から赤みが引いていくどころか、耳まで赤みが増していっている。


「……ありがとね」

「俺はただ、自分の魅力を自覚しない小娘をわからせてやっただけだ」

「わからせ? ……はよく分からないけど、とにかくありがとっ。もう頭はいいよ」


 許可が降りたので手を下におろす。すると、すぐにその手は晴の手に掴まれた。そのままお互いの指同士を絡ませられる。


「やっぱり外だったらこっちの方がいいなぁ」

「家だったら?」

「どっちも!」

「贅沢小娘だったか」

「さっきから小娘ってなによ! あほレン!」


 晴はぷりぷり怒ったかと思うと、その直後に笑顔を見せた。


 何はともあれ、曇りかけた彼女の心が元気になってよかった。




 * * * * *




 先ほどのボルダリングジムではピンチに陥ったと思った。初心者仲間である晴が大活躍してこの次に自分が挑戦することを思い出した時、これ以上は登れないと限界を迎えた時だ。


 そして俺たちはボルダリングジムを出たのだが、再び俺にピンチが訪れていた。


「下着屋は無理ぃ」

「お願い、レン。付き合ってよ」


 晴が両手を合わせて可愛くお願いしてくるが、流石に下着屋は気まずすぎる。


「なんで俺もその店に入らないといけないんだよぉ」

「だって、普段は制服だもん。本当はレンが選んでくれたもので全身を纏いたいけど、制服だったら限られるじゃん。そしたら、下着しかないんだよ。ねぇお願い。レン。あたしの下着選んでよ。レンが選んでくれたものなら何でも着るよ?」

「……分かった。付き合うよ」

「えへへ。ありがと」


 彼女はまた不安定になりそうな気がしたが、今日はデートでご機嫌だからか、普段よりは大人しかったように思える。だけどここで断るとどうなってしまうか分からないので、ここは俺が腹を括ることにした。


 下着屋……ランジェリーショップって言うんだっけ。一歩足を踏み入れて分かった。ここは俺がいるべき場所ではない。周りを見ても男性は一人もいない。一人でもいたら仲間意識で心がもつのに!


「レンは何色が好き? く、黒とかどう? これとか」

「黒……大人だなぁ」

「あたしには似合わないかな?」

「いや似合うとは思うけど、流石に攻めすぎ——」

「じゃあこれ買うね」

「判断はっや。待てまて、もっと冷静に考えて選ぼうぜ」

「だってレン、これあたしに似合うと思ってくれたんだよね? じゃあ買うしかないよ」

「買うしかないんだ」


 たしかに似合うとは思うけど、高校生で黒の下着はどうなのだろうか。いや一般的な女子高生がどんな下着を身に着けているのか知らないけど。


 俺はもう少し落ち着いた色はないかなと思い、軽く周りを見渡すと、ある下着のセットが目に止まった。それを指差して晴に訊ねる。


「これとかどう?」

「黄色の下着……可愛いね、これ。レンはこれが好きなの?」

「好きっていうか、晴に似合うと思ったんだ」

「じゃあこれも買うね」

「やっぱり即決なんだ」

「レンが選んでくれたものだし、あたし的にも文句ないもん。……だったら、試着するから見てくれる?」

「俺もそれいいと思うな。それにしようそうしよう」

「試着してくるね」

「晴さん! 行かないで!」


 俺を置いて行かないでくれという懇願は晴に届かず、彼女はフィッティングルームの中へと姿を消した。


 ……一人になっちゃった。こんな男子禁制感漂うランジェリーショップで、俺一人。拷問かな。


 早く戻ってきてくれとフィッティングルームに念を送る。しかし、ガン見していると周りから変な目で見られそうなので、結局目線は下になってしまう。俺はどこに念を送っているのだろうか。ブラジルの人かな。


「あれ、先輩」


 最近聞き慣れた声が、突然耳に届いた。俺は勢いよくそちらを振り向く。


「小井戸。何でここにいるんだよ。もしかしてブラジル出身?」

「ブラジルはよく分からないっすけど、『何でここにいるんだ』はボクのセリフっすよー。ボクの行く先々に先輩がいるんじゃないっすかー。しかも今先輩がいるの、ランジェリーショップっすよ? 不審者度はどちらが高いっすかね」

「負けました」

「判定が速いっすね」


 小井戸は「まあ冗談は置いといて」と言って、こほんと咳払いをする。


「ボクは来たる遠足に備えて大きめのリュックを買いに来たんすよ。ほら、どうっすかこのリュック。さっき買ってきたやつなんすよ」


 小井戸は身を翻して、背負っているリュックを見せてくれる。派手な髪色に比べ、大人しめな黒色のリュックだった。


「黒なんだな。少し意外」

「ボクはおしゃれを意識していますが、実用性も見ているんすよ! 遠足となれば汚れてしまうかもしれないっすからね」

「なるほど、賢いな。少し意外」

「今度の意外は悪口でしかないっすよ! ちなみに先輩は何色が似合うと思いますか?」

「そうだな。赤色で、錠前が付いてるやつかな」


 俺が冗談でそう答えると、小井戸は真顔になって固まってしまった。失言をしてしまっただろうかと不安になっていると、彼女はいつもの揶揄ってくる笑みを浮かべる。


「それランドセルじゃないっすか! なんすかーやっぱり先輩はロリコンだったんすか?」

「おい、やっぱりってなんだよ。前からそう思ってたのか」

「だって日向先輩って小柄じゃないっすか。あ、でも胸は大きいか」

「日向はロリに含まれるのか……?」


 たしかに彼女は小柄だし、子供っぽいところもあるが、普段は立派な女子高生だぞ。でも、そういった要素はたしかにあるのか……


「おーい。せんぱーい。そんなに真面目に考え込まないでくださいよ。いつもの冗談じゃないっすか。それで、先輩はどうしてここにいるんすか?」

「俺は日向と一緒に遊びに来たんだよ」

「あれ、今日も一緒だったんですか。昨日のことしか聞いてなかったと思うんすけど」

「昨日決まったからな」

「あーなるほど。それにしても、日向先輩につけてもらう下着を買いに来るなんて、先輩は流石っすね」

「否定しきれないのが歯痒い」

「え、冗談のつもりだったんすけど。マジっすか」

「俺は選んで欲しいってお願いされた側だってことを一応伝えておく」

「それを信じるかどうかはボク次第ってことですね。じゃあギルティで」

「そうだよな。俺に信頼なんてないよな。ごめんな。ちょっと調子に乗ってたかもな」

「わー冗談ですってー信じてますよーお願いですからいつもの先輩に戻ってくださいよーってこれもいつもの先輩だった」


 とまあ、いつものふざけたやり取りを終えたところで、


「それじゃあ先輩。ボクはお邪魔だと思うので、この辺で帰りますね!」

「あぁ。おかげで気まずい時間を潰すことができたよ。ありがとな」

「そんな、お礼を言われることはしてないっすけどね! それではまた学校で!」


 手を振りながら去っていく小井戸を、俺も手を振り返しながら見送る。あいつとはやたら外で遭遇するが、その度に助けられている気がする。今度またいちごミルクを奢ってやるか。


「レンー。来てー」


 フィッティングルームの方から晴に呼ばれたので、俺は駆け足気味にそっちに寄る。


「来たぞー」

「あ、レン。そのまま中に入って。レンに見て欲しいの」


 まぁ晴は下着姿でカーテンをオープンするわけにもいかないだろうし、俺が中に入るしかないか。


 カーテンを小さく開けて、その隙間から顔だけ中に入れる。すると、そこには俺が選んだ黄色の下着セットを身につけた晴の姿があった。


 そしてその胸元には、俺が昨日つけたキスマークが複数見える。


「どう、かな」


 晴が顔を赤くしながら俺にコメントを求めてくる。だが、俺は言葉が出てこない。代わりに生唾を飲み込んでしまう。


 晴はそれを見逃さず、えへへと笑みを溢す。


「興奮してくれてるんだね、レン」

「……はい。お恥ずかしながら」

「恥ずかしがらなくていいのに。あたしは嬉しいよ。……ねぇレン」


 瞬間、晴の瞳が妖艶に光る。


「今度、この格好でしよ?」


 俺はまた何も声を出すことができず、生唾を飲み込むことしかできなかった。それだけで晴は満足そうに微笑む。


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