第8章 にゃんこといっしょ

第61話

 先週末は晴とデート三昧だった。


 土曜日は日向家にお邪魔して、陽さんと久しぶりにお話もした。手土産とか色々悩んだけど、行ってみれば優しく受け入れてくれて、楽しい一日だった。


 その際の成り行きで、日曜日も晴と一緒にいることになった。今度は二人で外に出かけようという話になったため、横浜の方まで足を運んだ。彼女の身体能力に改めて驚かされたり、パンケーキを頬張って美味しそうにしているのを見たりと、彼女の魅力というものを再認識した一日だった。


 ……本当に楽しい二日間だった。


 このまま彼女と一緒になったら、こんな日々が毎日過ごせるのかと思うと胸が高鳴ってくる。


 彼女たちはずっと俺の答えを待ってくれている。


 そろそろ回答を出さないといけない。何かを選ぶということは、もう片方を切り捨てるということだ。それはもう仕方のないこと。……今までのように三人で楽しく何かをやる時間は、もう来ないのだ。


 それでも。それでも少しでも望みがあるのなら、傷は最小限に留めておきたい。それが俺の責任であるように思える。だから、ゆっくりと着地していきたい。……なんて、結局は俺のわがままだ。かつて小井戸が言っていた通り、俺がチキンなだけ。


 だけど、そうだ。今週中には答えを出したい。いや、答えを出そう。


 俺は通学路を歩きながら決意を新たにする。そして学校に着いて上履きに履き替えていると、何やら視線を感じた。いや、普段から視線を感じることはあった。なんせ俺はこの学校の生ける伝説みたいだから。


 だけど今日の視線は、いつものそれとは違うような気がした。今までの好奇心オンリーの視線ではなく、羨望? いや嫉妬? とにかく色んな感情が入り混じったものを感じる。


 教室までの廊下でも、全員ではないにしろ、通りすがる生徒たちから多くの視線を浴びた。伝説(笑)とはいえ、流石にここまで注目されたことはない。


 少し気持ち悪いなと思いつつ教室のドアを開けると、クラスメイトが一斉にこちらを振り向いた。ゴールデンウィーク明けの登校日のことを思い出す。だけど、俺はまた交流会に参加したりしていない。


「せ、瀬古氏」


 小田がおそるおそるといった様子で俺のところに寄ってくる。


「おう小田。なんか今朝からやたら視線感じるんだけど、なんでだと思う?」

「……やはり瀬古氏はまだ決断していないのだな」

「え? どういうこと?」


 小田は勝手に納得しているみたいだけど、俺にもこの状況を説明してほしい。それを要求していると、他のクラスメイトが寄ってきた。それも大勢。何か悪いことでもしたのかなと身構えたが、みんなの表情から怒りは感じられなかった。むしろ……


「瀬古! お前ついにやったんだな!」

「おめでとう! っていうのも何か癪だけど、一応祝ってやるよ!」

「瀬古くん、めげずに頑張ってきたもんね……私も諦めずに頑張る! 勇気をありがとう!」

「ふっ。俺はいつか、お前の夢が叶う時が来ると信じていたぞ。大きくなったな」


 何このハッピーテンション。あと後方彼氏面のクラスメイトがいた気がするんだけど、気のせいだろうか。


「瀬古」

「あ、甲斐田。何かみんなテンション高くない?」

「それもそうさ。特に我々サッカー部員は肩の荷が降りたというか、呪縛から解き放たれた感じがするよ。おっと、これはお前に言うことじゃなかったな」

「は? どういうこと?」

「……もしかして瀬古、お前」


 甲斐田が何かを言いかけたその時、クラスメイトが騒がしい中、凛とした声が俺の耳に真っ直ぐ届いた。


「蓮兎くん」


 その声の方に俺はバッと振り向く。その呼び方をするのは一人しかない。そして、その呼び方は他に人がいるときはしないはず。


「夜咲……?」


 俺が困惑の声を漏らすと、美彩はふふっと笑って言った。


「もう。前にお願いしたでしょう。私のことは名前で呼んでって。ちゃんと呼んで欲しいわ。蓮兎くん」

「……美彩。これはどういう——」


 彼女に問い詰めようとした瞬間、教室が一気に湧き出した。


「うおおおおお! 名前で呼び合ってるぞ! しかも夜咲さんからお願いしたって!」

「うわぁ。こう目の当たりにされると実感がすげえな!」

「本当に、やっと両想いになれたんだね瀬古くん。おめでとう」

「彼氏かぁ……いいなぁ、私も欲しくなってきた」


 待て。待て待て待て。たしかに俺と美彩は両想いであることを以前確認した。だけど、どうしてクラスメイトがそれを知っているんだ。


 困惑している俺に、小田が耳打ちをする。


「今朝、夜咲氏がみんなに話をしていたのだ。それ自体が珍しいことなのだが、内容はもっと衝撃的でな。——『私と蓮兎くんはお付き合いを始めた』。彼女はそう言ったのだ」

「…………は?」


 俺はまだ答えを出していないはずだ。なのに、どうして俺と美彩が付き合っていることになっているんだ。


 クラスメイトに囲まれて質問攻めをされている美彩の奥で、虚になった目をしてこちらを見つめている少女と目が合う。


 その目はまるで、この世の全てを彼女の敵として映しているように見えた。




 * * * * *




 美彩は常に俺のそばに来るようになった。


 授業が終わると、必ず俺の席まで来て話を始める。内容自体はいつもと変わらない雑談だけど、今までは俺と晴が美彩の席に行って話すことが多かったため、やっぱりその行動には違和感を覚える。


 ずっと立って喋らせるのも悪いと思い、俺の代わりに席に座るかと言った意味で「座る?」と訊ねたところ、彼女は「えぇ」と言って平然とした顔のまま俺の膝の上に座ってきた。もちろん周囲のクラスメイトは驚愕の声を漏らす。俺も目を丸くして咄嗟に動くことができなかった。


 彼女は横向きで俺の膝の上に座り、腕を俺の首に回してくる。それはとても妖艶的で、つい生唾を飲み込んでしまう。


 晴は一応、毎度美彩についてくる形で俺の席の近くまでは来ていた。だけど一歩引いた位置からは寄ろうとせず、向こうから話しかけることもない。ただ適当に相槌をうつのみだった。


 彼女は人一倍気配り屋だ。空気を読むことに長けている。そのためだろう、周囲の「今までみたいに二人の邪魔をするなよ。もうその必要は無くなったんだから」という視線を感じ取り、彼女はそれ以上動けなくなってしまっている。


 俺から晴に話を振ってみると、一瞬嬉しそうな表情を浮かべるが、すぐにそれは沈んでいき、返ってくる言葉も短いものとなっている。


 そして昼休憩がやってきた。今日も三人で食事を摂る。そこはいつもと変わらない。だけど、


「蓮兎くん。これ、おかずを少し作ってきたのだけれど、食べてくれるかしら」


 美彩が料理を作ってきてくれたことだけが異なっていた。


 机の上に置かれた小さな弁当箱には、から揚げ、卵焼き、コールスローと俺の好きなものが並んでいる。そして今日の俺の弁当のラインナップと被っていないのがまた恐ろしい。


「い、いただきます」


 まずはから揚げを一つ……美味しい。冷えているのにとてもジューシーで、肉の旨味が滲み出てくる。次に卵焼きを……これもまた美味しい。俺の好みの甘めの味付けだ。そして箸休めにコールスローを食べる。


「全部美味しい。っていうか俺の好みにドストライクすぎる」

「ふふ。それは良かったわ。今まであなたの食事の様子を観察してきた甲斐があったわね」

「え、そんなことしてたの? なんか見られていたと思うと恥ずかしいな」

「好物を口にして密かに頬を緩ませている蓮兎くん、可愛かったわよ」


 美彩はそう言って妖艶に笑う。打ち明けられた衝撃の事実も恥ずかしいが、その笑みを見ていると更に顔が赤くなってしまう。


「あ、あたしの……ううん、なんでもない」


 晴は何かを言いかけて、箸を下げるのと同時にやめた。気になったので声をかけようとしたが、彼女自身に目で静止をかけられた。おそらく、ここで晴を気にすることは周囲の反感を買うことに繋がるのだろう。彼女はそれを読み取って、俺にストップをかけたのだ。


 なら、話し相手は美彩しかしないわけで。彼女とも話したいことは山ほどある。


「美彩。話してくれるんだろうな」

「えぇ。でもここではなんだから、放課後にね。それと、あなたと私の二人きりでお願いしたいわ」

「……日向はダメなのか?」

「……そうね。私、晴とは親友のままでいたいの。だけど、私自身、どんな言葉を口にしてしまうか分からないから」


 そこで晴の体がビクッと反応した。俺も美彩の言葉の意味を薄らと感じ取ることができた。


 そこからは美彩がたわいもない話題を提供して、俺と晴がそれに乗っかるという形で雑談が始まった。俺たちは笑顔で話しているはずだが、心の中は穏やかではない。


 食事を終えたところで、美彩が「蓮兎くん。今日は保健室に行かなくていいの?」と聞いてきた。


 正直、このまま美彩と晴を二人にするのは気が引けた。だけど「行って来なよ」と晴にも言われてしまったため、俺は二人に謝って教室を出た。


 ひとまず落ち着きたい。今朝から俺の頭と心は大荒れだ。


 そのためにも、俺は裏庭へと向かった。


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