第62話
裏庭へ向かうと、既に小井戸がベンチに座っていた。
事前に買っておいたいちごミルクを目の前に差し出しながら、小井戸に声をかける。
「ほい」
「あ、遂に愛しの夜咲先輩を射止めたことで有名な先輩オブレジェンドじゃないっすか」
「何そのロックバンドのメンバー名みたいなの。遂に伝説が名前にまで侵食して来てるじゃん」
「いやぁ、今の先輩の伝説っぷりは飛ぶ鳥を落とす勢いっすよ。朝の時点で一年生の教室にまで届いてたんすよ? あ、いちごミルクありがとうございまーす」
「うーん、それは確かにレジェンドだな」
自分のことなのに、どこか他人事のような感想を漏らす。自覚したら結構メンタルに来るから、なるべく意識しないようにしているのだ。
小井戸は俺から貰ったいちごミルクを美味しそうに飲んだあと、ふぅと一息ついて話し始める。
「それで、どうしてこんなことになっちゃったんすか。昨日も一昨日も日向先輩とデートしてたじゃないっすか」
「なんか朝学校に来たらこうなってた」
「それじゃあボクと一緒じゃないですかー。もっと詳細な情報はないんすか」
「俺は毎朝ギリギリに登校してるからなぁ。……今朝、夜咲が教室でクラスメイトに言ったらしいんだ。自分は瀬古蓮兎と付き合い始めたってな。詳しいことは今日の放課後に聞く予定」
「なるほど。つまり、夜咲先輩は焦って強硬手段に出ちゃったわけっすね」
「……やっぱりそう思う?」
「それしかないっすよー」
なんとなく予想はついていたけど、やはりそういうことなのだろうか。
「やっぱり俺が待たせすぎたのが悪いのかな」
「んー。というより、日向先輩が猛烈アピールしているのに気づいて焦ったって感じがしますけどね」
晴の行動を見て焦った? ということは、この前のデートも美彩にバレているとか? いや、でも美彩には会ってないし、それらしき姿も見かけてないけど。まぁ俺が見落としているだけで、実際はいたのかもしれないが。
まさかそんな、偶然居合わせることなんてないだろうって思うが、小井戸とは二日連続ばったり外で会ってるんだよな……その可能性も捨てきれないか。
「お二人は先輩の体調が回復するまでアプローチはやめようって取り決めをしてたんすよね? そこで日向先輩が抜け駆けしちゃったから、夜咲先輩怒りの行動! ってのが今日のアレなんじゃないっすか」
「うーん。でも日向はそういう約束は守る方だと思うんだよな」
「ほほう。日向先輩を庇いますね」
「そういうんじゃなくて……あっ。そうだよ。その取り決めの話を聞いた時、先に通話をかけて来た夜咲のことをずるいって日向が怒ってた」
「あ、それですよ多分。夜咲先輩が先にフライングしたんだから、もう自分も自由にしていいよねって日向先輩はなっちゃったんですよ」
なるほどなぁと納得する。だけど、
「まぁどっちかが悪いとかそういうのは無いだろ。悪いのは——」
「先輩、ですもんね」
「……あぁ」
「それにしても、今から先輩は大変っすね。今までは夜咲先輩に振られ続けていたから、周りは好奇の目で見てくるだけでしたが、これからは嫉妬とか、夜咲先輩のことが好きだった人から憎悪の目を向けられたりしますよ」
「そうだなぁ。今朝の時点でフルコースを味わったよ」
「もう満腹でしたか」
「腹十二部目だよ」
「はち切れちゃってましたか」
俺が腹をさする仕草をしながらそんなことを言うと、小井戸は苦笑を浮かべる。
「否定しようにもできないってのが難しいっすね」
「そうなんだよなぁ。今まで散々好意をぶつけてきた相手からの発信ってのがな」
「先輩がそれを否定するのはちゃんちゃらおかしい話っすもんね。はたから見たら、そんな美味しい話ないのに。先輩が否定したとして、先輩がなかなか現実を受け入れられないと思われるだけかもしれないっすね」
「こんな夢みたいなことありえないってな」
「ですです。周りの人は夜咲先輩の言葉の方を絶対に信じるっすよ。やっぱり誰が発言したかを人は重視しますので。それに、仮に否定できたとしても、今度は夜咲先輩が変な目で見られてしまいますね。妄言を語る人だと見られるか、最悪、自分に好意を向けてくれる先輩を揶揄う悪女だと思われちゃいます。それも周りを巻き込んじゃってるので、規模が違いますよこれは」
「……そうなるよな。だからまあ、なんというか、今は打つ手がないんだよ。彼女の話を聞かない限りは」
「そうっすねぇ」
話も一段落ついたところで、俺はベンチから立ち上がる。
「あれ。先輩、もう行っちゃうんすか」
「あの二人を二人きりにしたままなのは落ち着かないし、世間体的には彼女持ちになってしまった手前、あまり小井戸と一緒にいるのはまずいだろ」
「それもそうっすね。じゃあ、このオアシスタイムはしばしお休みにします?」
「そうするしかないだろうな。あとオアシスではない」
「もう、そんなこと言っちゃって。本当はボクと会えなくなるの寂しいんじゃないっすかー?」
「まぁそうだな」
小井戸の揶揄うようなその問いに、俺は即答する。
「……へ? ま、まじすか。あれ、もしかして先輩デレ期っすか?」
「どうしても俺をツンデレキャラにしたいんだなお前は。……ただ、こうして小井戸と馬鹿やってる時間は、今の俺にとっていいリフレッシュだったんだよ」
「うわぁまじでデレ期に入ってますよこの人。ちょっとドキドキしちゃいます。今までのツンはこの時のための溜めだったんすね!」
「じゃあな」
「ちょっとーもう少し付き合ってくれてもいいじゃないっすかー今度またいつ会えるか分からないのに寂しいじゃないっすかー」
「だってキリがなさそうだし」
「ツンはバイバイおいでよデレ!」
「小井戸とのこのノリ、楽しいからいくらでも続けちゃえるんだよ。だから意識して中断しないといけないんだ」
「まじでデレ来た! 確変入ってますよこれ! 今なら取り返せる、ボクの失った好感度!」
「誰に対する好感度だそれ」
「先輩っす」
「溶かしてんじゃねーよ」
にひひといたずらっぽく笑う小井戸を見て、俺も自然と笑みを浮かべる。
なんか色々心配したけど、果たして今の俺と小井戸を見てそういう仲に思えるだろうか。
まぁでも、小井戸にこれ以上迷惑をかけるわけにもいかないし、しばらくはこのオアシスとはさよならだ。
* * * * *
裏庭から教室に戻る途中、スマフォが震えたので確認すると、小井戸からのメッセージが届いていた。内容は「相談事があったらメッセージ飛ばしてくれてもいいっすからねー」というものだった。俺と彼女はやはり先輩後輩の関係が逆転しているなと苦笑し、「ありがとう師匠」と返事を送った。すると「やっぱりデレ期!?」と来たので、それ以降はスルーした。
教室に戻ると、意外というか何というか、美彩と晴は普通に談笑していた。そして俺の帰りに気づいた美彩が笑顔で出迎えてくれる。
こんな状態でも、二人の関係は良好なのだろうか。そこのところはよく分からないまま、放課後になってしまった。
今日もいつも通り三人で帰る予定だ。だけど晴が掃除当番のため、それが終わるのを待つ必要があった。
毎週当番が変わり、数週間に一度、放課後に教室の掃除をしないといけない一週間がやってくるのだ。
「ごめん、おまたせ」
「別に気にしなくていいよ。いつものことだろ」
「蓮兎くんの言う通りよ」
「……うん。そうだね。ありがと」
俺たち三人のうち誰かが当番で帰るのが遅れることになっても、絶対に待って三人で帰る。それは去年からずっとそうしてきたことだ。
なのに、晴はいつもより申し訳なさそうにしている。どうしてだろうと思ったが、周りの視線を感じて分かった。
俺と美彩は恋人同士になったのに、どうして晴を待っているんだろうという疑問。二人で帰ればいいのに、晴は邪魔じゃないかっていうそんな想いがその視線には込められている。
俺はその場からすぐに離れた方がいいと判断し、「さ、帰ろ帰ろ」と言って歩き始めた。すると二人もついてきてくれる。
そこからは何事もなく、いつも通りの下校風景だった。
そして日向家に着いて、晴とはお別れになる。
「また明日ね、晴」
「また明日な」
「……うん。二人とも、また明日」
晴は別れ際、いつもこのように寂しそうな表情をする。それが俺の心を引くのだが、毎度少し辛い思いをしながら踵を返す。
いつもなら、そこから俺と美彩は普通に横に並んで帰るだけだ。だけど、今日は違った。晴に背中を向けて歩き始めた瞬間、俺の腕を美彩が抱きしめてきた。
「美彩!?」
「ふふ。いいじゃない。私たち、恋人同士なんだから」
彼女の突飛な行動に驚いた後、ハッとなって後ろを振り返る。
晴が今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべ、目元に溜まった涙が落ちる前にこちらに背中を向けて、そのまま逃げるように勢いよく家の中へ入って行った。
一瞬、そんな彼女の姿を追いかけようとしてしまう。だけど美彩に腕をがっちり掴まれていて、動くことができない。
「さぁ蓮兎くん。行きましょう」
「……うん、帰ろう」
「違うわよ。私たちは今からデートをするのよ」
「……冗談だろ?」
「話を聞きたいんでしょ?」
彼女はそう言ってクスッと笑う。不敵な笑み。混乱している中でも、俺は彼女のそんな笑みに魅了されていた。
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