第127話

 少し危ない目にあったこともあり、俺たちは一旦海から出て陸に上がることにした。


 シートを設置していたところに戻り、小井戸と紗季ちゃんはそこに座り込むと「はぁ〜」と息を吐いて脱力する。やはり気づかなかっただけで疲れは溜まっていたみたいだ。


「ちょっと飲み物買ってくるよ。二人は何がいい?」

「あ、ありがとうございます。ではわたしはりんごジュース……いえ、スポーツドリンクをお願いします!」

「ボクはいつもので!」


 なんか常連客みたいな注文をする奴がいるなと少し笑ってしまう。


「了解。少し待ってて」


 俺は財布を持って海の家の近くにある自動販売機へと向かう。


 小井戸の注文した物があるか少し不安だったが、意外と販売されていて安堵する。


 ペットボトルのタイプもあるんだなと思いながら購入ボタンを押し、三人分の飲み物を確保した俺は二人のもとへ戻ろうとする。


 すると、二人に話しかける男性二人の姿を確認した。


「ねえ、いいじゃん。オレたちと一緒に遊ぼうよ」

「スイカ割りとかやるんだけどさ、どうかな」


 大学生くらいだろうか。顔を赤くした男性たちが行なっているのは完全にナンパだった。


「お構いなく。他の人を相手にした方がいいと思いますよ」

「わぁ、本当にナンパされたのは初めてです」


 ナンパされてる二人だが、小井戸は全くと言っていいほど相手にしておらず、紗季ちゃんに関しては初めての体験に感動している。


 二人が強すぎて俺が割って入る必要もなさそうだなと思いながらも歩み寄っていく。


「ヘヘ、姉ちゃんたち可愛いね。俺とお茶しない? ちょうどここに飲み物があるんだけど」


 そんなセリフを口にしながら、先ほど購入したペットボトルを手に持って見せびらかすようにブラブラさせる。


 紗季ちゃんは俺の帰還に気づき、歓喜の表情を浮かべる。


「蓮兎さんっ」


 そして紗季ちゃんの口から俺の名前が溢れた。


 次の瞬間、紗季ちゃんは「あっ」と呟いて自分の口元に手を当てる。


 そんな紗季ちゃんの隣で小井戸は苦笑を浮かべ、口を開ける。


「……わー、お兄さん素敵っすー。ボク、ぜひお兄さんとお茶したいっすー」

「あ……わたし、お兄さんからのナンパは嬉しいですっ」

「いや今君たち完全に知り合い感出てたよね!?」

「名前を呼んでいたような……」

「知り合いなので、そりゃ」

「先輩!? せっかくボクたちが先輩の意図に気づいて言い直したのに、どうしてバラすんすか!」


 だって紗季ちゃんには悪いけどもう手遅れだし。紗季ちゃんが俺の名前を呼んだのバレてるからさ。


 鳶に油揚げをさらわれる作戦は失敗したので、俺は二人の前に立ってナンパ野郎たちと真っ向に対峙する。


 そこで初めて気づいたが、この人酒を飲んでるみたいだ。だからさっきから顔が赤かったのか。


「すんません、この子たち俺の連れなんで。他当たってください」

「やっぱり知り合いなのかよ。しかし、女の子二人も連れて羨ましい限りだな。君とその子たちはどういう関係なんだよ」


 簡単には引き下がってくれないかと内心でため息をつきつつ、どう答えたものかと考える。


 後ろの二人を一瞥すると、小井戸はいつもの笑みを浮かべ、紗季ちゃんは期待の眼差しを向けてきた。


「……あー、このピンク頭の子は俺の彼女っす」


 俺がそう答えると、小井戸がぴょんと前に出て俺の腕に抱きついてきた。


「どうも! 先輩に可愛がられてます!」


 恋人同士であることをアピールするような行動を取る小井戸に、男たち二人は舌打ちをする。


「じゃあそっちの子はどうなんだよ」

「この子は俺の妹っす」

「は? 似てねえじゃねえか」

「色々複雑な家庭でして……」

「お、おう……」


 衝撃の事実を受け、男性の一人は同情するような目をする。


 これは勝機ありかと思ったそのとき、紗季ちゃんが俺の空いている方の腕に抱きついてきた。


「ちなみに、わたしは蓮兎さんの彼女の座を虎視眈々と狙っています」

「君たち三人の関係自体が複雑じゃないか!」

「どうなってんだこの三人……」


 紗季ちゃんの口から放たれた爆弾発言によって男性二人は激しく動揺する。


 俺も困惑しながら紗季ちゃんを顔を覗くと、紗季ちゃんも俺に顔を向けていて頬を膨らませる。もしかして、あの期待した目はそういうことだったのだろうか。


 紗季ちゃんの言動の真意に気づいたそのとき、反対側の腕が引っ張られる。


「先輩の隣はボクの場所っすよー」

「もっとわたしのこと意識してください、蓮兎さん」


 小井戸に対抗するように紗季ちゃんも腕を引っ張り始めてしまった。


 なんだか少し懐かしい感覚がする。


 そんな俺たちの様子を見て、男たちはげんなりとした顔をする。


「なあ、もう行こうぜ。これはオレたちが介入できる余地はなさそうだ」

「……チッ。そうだな」


 こうして、紗季ちゃんと小井戸の機転(?)のおかげで男たちは呆れるようにして俺たちのもとを去って行った。


 ふうと安堵のため息をつくと、小井戸は俺の腕から離れた。


「先輩、助かりました。酔っていたのでまともに会話はできないなと思ってたんすよ」

「まあ異常な会話だったわな、今の。こんな奴ら関わりたくないだろうよ。でもほとんど二人のおかげじゃない?」

「先輩がいないと成り立たなかったので、先輩のおかげでもあるんすよ!」


 そこまで肯定してくれるなら、自分も役に立てたのだと思えてきた。


 ところで……


「紗季ちゃん。もうあの人たちどっか行ったよ」

「……蓮兎さんは、わたしがくっついていたら嫌ですか?」

「その聞き方はずるいなぁ。嫌なんかじゃないよ」

「じゃあずっとこうしていたいですっ」


 流石にずっとは無理じゃないかなと思う。


「あ、先輩。飲み物もらってもいいですか?」

「うん。そのために買ってきたんだし、温くなる前に飲みな」

「ありがとうございます! ……ぷはー。やっぱり先輩のいちごミルクは最高っすね!」

「語弊語弊。紗季ちゃんも飲みなよ」

「蓮兎さんにくっついているのに忙しいです」

「熱中症とか脱水症になるかもしれないし、水分補給はして欲しいな。またあとにでもできるでしょ?」

「……わかりました。いただきます」


 渋々といった感じで紗季ちゃんは俺から離れてくれて、ペットボトルの中身を体内に取り込んでいく。


 俺も水分補給しなきゃなとペットボトルの蓋を開けていると、


「先輩、その、今さっき紗季ちゃんのことを先輩の妹って言ってましたが、先輩は紗季ちゃんをい、妹にしたいとか思ってるんすか……?」


 小井戸が俺にだけ聞こえるような声量で、彼女にしては珍しく言い淀みながらそんな質問をしてきた。


「そういうわけじゃないよ。あれはあの人らを追い払うために言っただけ」

「……そうっすか。そうっすよね。うん」


 俺がそう答えると、小井戸は安心したような表情を浮かべて納得したかのように頷く。


 ……妹、ね。


 俺は少し頭に痛みを感じ、熱中症になったら二人に示しがつかないぞと思い急いで水を飲んだ。




 * * * * *




 あの時に小井戸が口にした言葉がずっと頭から離れない。


 どうしてあのタイミングで言ったのか。そもそもどういう意味なのか。


 その直後にアクシデントに見舞われて聞き逃してしまい、それ以降も彼女から話題に出すことがないのでどこか聞き出しづらかった。


 だから考えた。思考を巡らせた。頭を絞った。熟考した。


 そして、気がつけばお盆がやってきていた。


 今年も瀬古家一同揃って、家から車で一時間弱ほどの距離にある墓苑へと向かう。


 瀬古家の墓を掃除した後、線香を立てて手を合わせる。


 この時期になるとご先祖様が地上に帰ってくると言うが、どんな姿をしているのだろうか。亡くなった頃の姿のままなのだろうか。


 願わくは、あの子は成長してくれていたらいいなと思う。小さい姿のままだと、彼女の時間がそこで止まってしまっていることを痛感してしまう。


 まあ、姿なんて見えはしないのだけど。所詮、俺の気分の問題だ。


 今から俺はある決断をする。いや、正確にはもうしているのだが。その内容を実行するためにも、少しくらい気分を上げておきたい。


 ……蘭。お前にはこれまでにたくさん俺の話をしてきたけど、お前の話は一度も聞いたことないな。


 結局は俺のためだけどさ。いいかな。蘭の話を聞いても。


 念じ終えた俺は目を開けて立ち上がり、墓場を後にしようとする。


 瞬間、後ろからふわっと優しい風が吹いてきて、俺の背中を押してくれる。


「……涼しいな」


 誰かに言うわけでもなくぼそりと呟き、自然と頬が緩んだ。


 我が家に到着し、父さんは真っ先に風呂場へと向かった。俺も後で汗を流そうと思う。


 その前に、俺はやりたいことがあった。


「母さん」


 帰って早々、昼食の準備に取り掛かろうとしている母さんに声をかける。


 母さんは「なに?」と言って振り返り、俺の顔を見て表情を硬くした。


「蘭のことを教えて欲しいんだ。蘭が亡くなった時のこと。そして、俺が初めて病院に運ばれた時のこと。あの時何があったのか」


 俺は、過去を振り返ることにしたんだ。


 未来を生きていくために。

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