第2部
第6章 オアシス
第42話
俺は夜咲美彩のことが好きだ。中学時代に彼女に救われたこともあるが、彼女のその芯のある姿勢に憧れた。彼女のようになりたいと思えたのだ。その想いが転じて、彼女のことが好きになるのもわけなかった。彼女を観察すればするほど、外からも内からも溢れる魅力にあてられる。そんな彼女に俺は告白をし振られ続けてきたのだが、先日、キスをされてしまった。それも深い方まで。
そして、俺は日向晴のことも好きだ。元気印の女の子。だけど実は周囲に気を遣うタイプで、自分に自信を持っていない繊細な心の持ち主だったりする。俺から夜咲を守るために自分の身を捧げ、俺と体の関係を持ってしまっている。最初は親友思いが過ぎると思っていたが、先日、実は俺に好意を持ってくれていることが判明した。そうなると、その歪な関係の提案も意味合いが変わってくる。
俺は昨日まで入院していた。悩みを抱え込みすぎると頭がオーバーヒートしてしまう体質のせいで、先日、俺は倒れてしまい救急車で運ばれて即入院、といった経緯だ。
そんなわけで俺は、せっかくのゴールデンウィークなのに、自室のベットでゆっくりしている。母さんに「もう少し安静にしてろ」と言われたのだ。あと連休中はあの二人と会うのは控えろとも言われた。つまり、一人になってゆっくりと考えろと母さんは言いたいのだろう。なんか、本当に見透かされている気がしてならない。
一応二人とは連絡を取っている。美彩はお見舞いに来ようとしていたが、母さんの言葉を伝えると了承してくれた。少し罪悪感が残った。晴に関しては雑談はしても、そういった話は出てこない。彼女は「待ってる」と言ってくれた。おそらくそういう意味なんだろう。
頭のオーバーヒートで体調を崩して、こうして部屋でゆっくりしているとあの日のことを思い出す。俺が晴とあの関係を築いた日の翌日。俺は今みたいにぶっ倒れて学校を休んだ。そしてその日の夕方に、晴がお見舞いに来てくれたんだ。
* * * * *
今までの人生で一番自分のことを嫌悪しているかもしれない。
どうして俺の理性はあんなに脆いのか。いや、健全な男子高校生として正常な気もするけど。だけど、超えちゃいけない一線はあるだろ……。
「はぁ」
自分の手のひらを見つける。昨日触れた彼女の豊満な部分の感触が残っているような気がした。
「いや気持ち悪すぎるだろ俺」
そのまま手のひらを自分の頬に勢いよく叩きつける。脳が揺れて更に頭痛がひどくなり、最悪な気分になってくる。
「何やってんだろうなあ」
スマフォの画面を覗き込むと時計は午後三時を指していた。普段なら教室で授業を受けている時間帯だ。頭痛のせいで休んでいるから仕方がないが、その理由がアレすぎてサボっている感じがしなくもない。
でも今、あの二人に顔合わせるのは少し億劫だ。日向は当たり前だし、夜咲も別に付き合ってはないけど裏切ってしまった感じがする。
だからと言ってずっと休んでいるわけにもいかないし、二人と疎遠になるわけにもいかない。同じクラスだし、そもそも離れてしまうのは寂しい。
どこかで腹を括るしかないよなぁとボヤいてると、インターホンの呼び出し音が鳴った。両親は共働きのため家を空けている。俺が出るしかない。
「なんか届くとか聞いてないけどなぁ。平日の昼間……もしかして何かの勧誘とか?」
面倒な人の訪問である可能性もあるため、用心してインターホン越しに対応する。うちのインターホンは古くてカメラがないので、会話をしてみないと相手が分からない。
「はーい」
『そ、その声瀬古!? あ、あたし』
「あたしあたし詐欺?」
『ち、違うわよ! 晴! 日向晴よ!』
「ひ、日向!?」
今一番会いたくない人が来てしまった……ん?
「あれ、授業は?」
『早退したの。病み上がりだからすぐに許可降りたんだ』
「仮病の病み上がりとは」
『……分かるでしょ。瀬古が心配になって早退して来たの。早く中に入れてよ。お見舞いの品も持って来たからさ』
わざわざ早退してまでお見舞いに来てくれたというのなら、帰ってくれとも言いにくい。俺は渋々ながらも、晴を歓迎する。
「いらっしゃい。今親いないけど、大丈夫?」
「う、うん。気にしないよ。お邪魔しまぁす」
まぁ今更気にしないよなぁ、と自分で言っておいて思う。
晴は確かに制服姿で、さっきまで学校にいたのは確かなようだ。手にはお見舞い品らしきものが入ったレジ袋がある。……って、
「それ俺が昨日渡したやつじゃん」
「え、うん。だってあたし仮病だったし。今日返そうと思って持って来てたの」
「別に返してくれなくても良かったのに」
「あ、でもみかんゼリーはもらった! 美味しかったよ!」
「そりゃよーござんした。ちゃっかりしてるなぁ」
「えへへ」
はにかむ晴の姿を見てドキッとする。しかし、さっきから普段通りの会話ができていることに驚く。意外と緊張しない。
「ていうか、瀬古。寝てなくていいの?」
「ん、まあ頭痛がするくらいで、そこまで気にかけてくれなくても大丈夫——」
「頭痛!? ちゃんと寝ないとダメじゃん! 瀬古の部屋どこ? 行くよ」
「あ、はい。二階です」
日向の圧に押され、俺は自分の部屋へ誘導する。
部屋の中に入ると、日向はベッドを整えてくれて「ほら、寝なさい」と掛け布団を剥ぐ。俺はそれに従ってベッドの中に入る。
「冷えピタとかあるけど、いる?」
「熱はないからいいかな」
「お昼ご飯は食べた?」
「……あー、食べてないかも」
「何やってんの。食べないと良くなるものも良くならないよ。食欲がないの?」
「まあ、あまり」
「ゼリーなら食べられる? いる?」
「……もらう。まだあったんだ」
「あたしが食べたのはみかん味だけ。桃味はまだあるよ。ちょっと待ってね」
日向は袋の中からゼリーを取り出して蓋を開け、プラスチックのスプーンを容器の中に刺した。
「あ、あーんする?」
「……自分で食べられるよ」
「……そっか」
日向からゼリーを受け取り、視線を感じながらそれを食べる。
「うん、美味しい。いいセンスだ」
「それ瀬古が選んだんだけどね。自画自賛だ」
晴がクスッと笑う。それだけで少し元気が出てきた。
ゼリーを食べ終え、空になった容器を日向は受け取ってくれた。ゴミを片付けながら聞いてくる。
「明日には学校来られそう?」
「……そうだな。うん、行くよ」
「……よかった。ごめん瀬古。体調崩したの、あたしのせいだよね」
「……まぁ正直言うとな。でも頭痛が起きやすい体質なんだ。そこまで気にしなくてもいいよ。それより、その、日向も大丈夫か? 初めて、だったわけだし」
「ふぇっ!? ……う、うん。昨晩まで違和感あったけど、今はなんとか平気、かな」
「そ、そうか」
気まずい空気が流れる。余計なことを聞いてしまった。ここは話を戻して……
「自分のせいだと思ったからお見舞いに来てくれたのか?」
「……それもあるけどさ。なんか、このまま瀬古がどこか遠くに行っちゃうんじゃないかって心配になったんだよ」
「俺が……遠くに……」
「うん」
その不安はあながち的外れではなかった。少しだけ考えていたからだ。このまま二人と距離を取るのも手だなと。
日向は俺の右手に両手を重ねてきた。そして上目遣いで言う。
「でもこうして、いつもみたいにお話ができてる。ちょっとホッとしちゃった」
「……ごめんな。不安にさせて」
「ううん。元はと言えばあたしが悪いし。あ、あんなことするように迫って……」
日向は顔を赤くさせる。昨日のことを思い出したのだろう。俺も恥ずかしくなってくるからやめてほしい。
「ね、ねえ。男の人って寝たっきりだと溜まるって聞くけど、ホント?」
「……は? い、いいって今日は」
「大丈夫? 無理してない?」
「いや本当、大丈夫。ありがとな」
「……わかった」
自分でも何に対してか分からないが、とりあえずお礼を言っておく。すると日向は納得してくれたみたいだが、若干不満顔だ。何故。
「……ねえ。一つお願い聞いてもらってもいいかな」
「まあ、内容次第だなぁ。難しいことは勘弁してほしい」
「そんな難しいことじゃないよ。……これから二人きりの時は、レンって呼んでもいいかな」
「……え。どうして?」
「ほ、ほら。これからあんなことたくさんするわけだし、そういうスイッチの切り替えが必要かなって」
「う、うーん?」
「つ、ついでにさ、瀬古……レンも、あ、あたしのこと、晴って呼んでもいいからさ!」
「それは恥ずかしいから嫌だ——んぶっ」
「レンのバカ!」
晴に近くにあったクッションを投げつけられてしまった。病人の扱いはどこへ。
もうしばらくしたら母さんが帰ってくるので、日向はそこで帰宅してもらうことにした。
特に物を出していた様子はないが、忘れ物がないかを二人で一応確認する。その時、今まで思っていたことをふと口にした。
「忘れ物するなよ、受験の時みたいに」
すると日向は耳まで真っ赤にさせ、そっぽを向いた。その状態のまま話を続ける。
「……覚えてたんだ」
「まあな。すげえミスするもんだと当時は印象的だったしな。おかげで俺は落ち着いて受験することができた」
「何それ嫌味? ……なんですぐに教えてくれなかったの。覚えてるって」
「だって、入学後の俺と日向のファーストコンタクト、あれだぞ? むしろ俺は忘れられてるのかと思ってた」
「この恩知らずめって思った?」
「そこまで性格の悪い奴じゃないんだ俺は」
「ぷふふ、知ってる。……あたし、ずっと覚えてたよ。ありがとうって、ずっと言いたかった」
「どーも」
その日、俺の部屋から僅かに柑橘系の匂いがした。俺の好きな匂いだ。だからだろうか。その日はぐっすり眠ることができ、次の日には頭痛は消えていた。
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