第43話

 せっかくの連休だというのに、少し買い物に出かけた日を除いて俺はベッドの上で怠惰の限りを尽くしていた。まあこれも休養のためだ。今は頭を空っぽにしてぼけーっとすることこそが治療にあたる。

 

 今年のゴールデンウィークは月曜日だけ平日だったのだが、俺はその日も休んでしまったので超大型連休となっている。サボりやがってとクラスメイトに恨まれるだろうか。まあ事情を知っている奴らもいるだろうから、そこまで恨みを買うこともないかもしれない。


 漫画を読み直そうかとトルパニの表札を見たところでやめた。せっかく頭から追い出したはずのものが戻ってくる気がしたのだ。


 そのため動画サイトで適当に動画を見ることしかできない。他に趣味があればいいのだが。……そうだ。趣味を調べてみよう。良い時間の使い方ではないだろうか。


 そして行き着いた先は、先ほど巡回していた動画サイトだった。今や動画サイトは趣味の展示会。多種多様な趣味を持った人たちがそれを実践してくれている。中でも人気なものはアウトドア系で、釣りも人気ジャンルの一つらしい。


「釣りかあ。父さんが趣味にしているから、入門はしやすそうだなぁ」


 ただ一度興味を示してしまえば、毎週末釣りに駆り出されそうになりそうで怖い。我が父は釣りジャンキーなのである。


 それからしばらく他の趣味動画も見ていると、突然、スマフォの画面が切り替わった。名前と応答ボタンが表示される。俺はその名前を確認し、一つ深呼吸をしてから通話に出た。


「もしもし」

『……こんにちは、蓮兎くん。お久しぶりね』

「そうだな。たった数日だけど」

『私にとってはとても長く感じたわ。蓮兎くんはそうでもなかったのかしら』

「……いや、長かったかな」

『ふふ。そう。よかったわ』


 電話口から美彩の安堵した声が聞こえる。


『……ごめんなさい。本当は電話もしてはいけないと思うのだけれど、我慢できなくて』

「いやいいよ。めっちゃ暇してたし」

『……ありがとう。それと、ごめんなさい』

「謝罪はもういいって」

『違うの。さっきのは、先日、急にあんなことをしてしまったことへの謝罪』


 あんなこと……それを理解した時、顔が熱くなるのを感じた。おそらく、河川敷で俺が気絶する前に美彩にされたキスのことだろう。


 あれはなんていうか、刺激的だった。


『本当にごめんなさい。自分でもどうしてあんなことをしてしまったのか、今でも理解できないわ。……けど、本当はしたかったのでしょうね。ああいうことを。幻滅した、かしら』

「いや、そんなことしないよ」

『嘘。初めてだったんでしょ? それをあんな強引に、私は奪ってしまって』

「いや本当に。驚いたけどさ。……嫌ではなかったから」


 そう、嫌ではなかった。むしろ嬉しかった。当たり前だ。彼女は俺の好きな子だ。一年間愛を叫んできた相手だ。そんな彼女にキスをされて、困惑はしたけど、今となれば歓喜の感情しかない。


『本当?』

「本当」

『私に気を遣って嘘なんてついていないわよね』

「今までこういうことで美彩に嘘なんかついてきてないのに」

『今回が一度目かもしれないじゃない』

「今までのことは信じてくれるんだ」

『当たり前じゃない。あなたはいつでも私に誠意を持って接してくれていたもの』

「じゃあ今回のことも信じてくれよ」

『……ずるいわよ、蓮兎くん』

「そういう奴なんだ俺は」

『ふふ。知ってるわ』


 美彩の笑いに釣られて、俺も笑みが溢れる。


 だけど裏で晴とあんな関係を持っていて、誠意なんてちゃんちゃらおかしいなと胸中で苦笑する。


『ごめんなさい。あなたの体質はお母様からお聞きして知っていたのに、こんなことになって』

「謝りすぎだよ。それに当の本人が一番知ってるくせにぶっ倒れてるんだから、美彩がそんな気負うことないって」

『気負わせて欲しいの。あなたのことを支えてあげたい。こんな気持ちを持っちゃダメかしら』

「……ダメじゃないけどさ」

『けど?』

「それって、もう友人同士の関係じゃない気がする」


 俺がそう言うと、彼女からの返事はなかった。しばらく沈黙の時間が流れる。失言したかなって思っていると、「ごめんなさい」とまた彼女の謝罪が聞こえた。


「いやだから謝りすぎだって」

『先に謝らせて欲しいの。でも、これは蓮兎くんが悪いのよ。今日は言わないって決めていたのに、あなたがそんなことを言うから』

「へ? それはどういう——」

『私、夜咲美彩は瀬古蓮兎のことが好きよ。一人の男性として。そばにいて支えてあげたいと思っているわ』

「っ!」


 それは紛れもない美彩から俺に向けた告白だった。いつもと立場が違って違和感を覚えつつも、その衝撃に心臓が耐えられない。


『今のあなたの体調不良の原因は把握しているわ。けれど、あなたがあんなこと言うものだから、私だって我慢できなくなってしまったの。私は、あなたとの関係を友人から恋人に変えたいと思っている。それをはっきりと伝えておきたかったの』

「……美彩」

『返事は今はいいわ。落ち着いて考えて、しっかりとあなたの中に答えが出た時に教えてちょうだい。……信じてるから』


 信じてる。その言葉が俺にひどく重たくのしかかる。


 俺はある意味、美彩を裏切るような行為をしてしまっている。そのことを先日の件で彼女も把握しているはず。その上でこの発言をしたということは、つまりはそういうことなのだろう。


 頭が痛くなってきた。彼女も俺がこうなってしまうことを恐れて、今日は言わないようにしてくれていたのだろう。だけど俺の失言によって、彼女は自分の気持ちを抑えることができなくなってしまった。完全に俺のせいだ。彼女を責める謂れはない。


『それと、一つ安心してほしいことがあるの』

「安心?」

『えぇ。先日、晴と二人で会ってきたわ。これまでのこと、そして今後のことを話し合うためにね』

「……うわぁ。居合わせたくない空間だなぁ」

『ふふ。まあ、あなたは当事者だものね。そういえば、私たちの席の周りだけポカンと空いていたわね』

「見知らぬ人たちも圧を感じ取ってるじゃないか……店員さんも災難だ。ちなみに場所は?」

『ダンディーなおじ様が経営されているあの喫茶店よ』

「それならいいか」


 あのマスターには裏切られた過去があるからな。少しくらい酷い目にあってもらってもいいだろう。


『ふふ。ひどいのね』

「酷いのはあのマスターだよ。俺の羞恥プレイを楽しんでたんだから」

『あら。最後の方は蓮兎くんも楽しんでいたように思っていたのだけれど』

「……それはまあ。美彩に俺の想いを知って欲しかったし」

『……ばか』


 え、なにその反応。可愛いんだけど。今までにない反応で俺の胸がときめいちゃったんですけど!


『そ、そういえば紗季があなたに会いたがっていたわよ。ゴールデンウィークの埋め合わせしてあげないとね』

「あ、う、うん。そうだな」

『一応、事情は伏せてあなたが体調を崩したことだけ伝えてる形だけど、よかったかしら。私たちのせいなのに、そこを隠してしまっているみたいで悪いのだけれど』

「いや、助かったよ。流石に紗季ちゃんにそのままの事情は伝えられないだろう」


 二人の女の子といい感じになってきて頭を悩ませて倒れましたなんて知ったら、紗季ちゃんは俺に幻滅してしまうかもしれない。彼女にもう兄と呼ばれなくなるんて耐えられない。紗季ちゃんは俺の妹。


 それから俺たちはたわいもない話を少しだけして、電話を終えた。あまり会いたくないと思っていたけど、電話越しで話してみると意外と気が楽になった。


 自分の心の落ち着きように安堵していると、通知欄を見てまた俺の心臓は激しく鼓動し始めた。


 大量の通知。それも不在着信だ。発信者は——晴。


 その名前を確認した瞬間、俺のスマフォ画面が切り替わった。ディスプレイにその名前が大きく表示される。おそるおそる出ると、いつもより低いトーンの声が聞こえた。


『レン。今まで誰と話してたの?』


 背中に冷や汗が流れるのを感じた。

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