第110話

 ラブホテルに来たのは二回目で二店目だけど、結構店によって中身って変わるもんなんだなと店内を見渡しながら思う。


 そんな能天気な考えでいないと、この場の空気に飲まれてしまいそうになる。


「えっと……これを押せばいいのかな」


 晴は首を傾げながら、パネルのボタンを押して部屋を選択する。すると押したボタンの点灯が消えたのを確認し、自信なさげに「行こ」と言ってくる。


 あまりスムーズとは言えない入店の流れを経て、俺たちはホテルの一部屋に入室した。部屋の中身も、前に美彩と行ったところと全然違う。


 唯一の記憶と目の前の光景を比較していると、晴が正面から抱きついてきた。そして強く抱きしめられる。この力の強さは好意によるものというより、別の感情からくるものな気がする。


「今、美彩のこと考えたでしょ」

「……ごめん」

「今はあたしのことだけ考えてくれないとやだ。ホテルに来たのはあたしとなの。他の人のことなんか考えないでよ。やっぱり初めて行った人の方がレンにとって大きい? 今更あたしと来ても何も思わない?」

「そんなことはないよ。ドキドキしてる」

「ほんと?」

「さっきから心臓は暴れてる気がするけど」

「……ほんとだ。えへへ。レンの心臓、すごいドキドキしてる。あたしに反応してくてれるんだよね。あたしといるからこうなってるんだよね」

「そうだよ」


 正直、ロケーション無視しても晴に正面から抱きつかれているときはいつも、俺の心臓は暴れ狂っている。意外と今までバレていなかったみたいだ。


 晴はご満悦な表情を浮かべて、愛おしそうに俺の胸に自分の頬を擦り付けてくる。そんな彼女の仕草が愛くるしい。


「ねぇレン。あたしのこと好き?」

「……好きだよ」

「ほんと?」

「こんなことで嘘つかないよ」

「じゃあ、ちゅーして」

「……わかった」


 目を瞑って顔を上に上げる晴の唇に、俺は自分の唇を押し付ける。もうこの行為にも慣れてきた。だけど、今もする度に心が高鳴るし、もっとしたくなってしまう。


 晴との身長差的に、俺は少し膝を曲げて彼女とキスをする。だからずっとこの体勢でいるのは辛いはずなのに、俺の体はこのままでいたいと叫んでいる。


 しばらくその状態が続き、流石に体が限界だと思った俺が晴から離れようとしたその時、晴は腕を俺の首裏に回してきた。そして、俺の唇を割って晴の舌が入ってくる。


 俺は一瞬それを受け入れようとしたが、体勢がキツいために晴の両肩を持って体を押し返す。


「あ……」


 俺に拒絶されたと思ったのか、晴は表情は一気に悲しいものとなっていく。


「ごめん、ごめんねレン。もう勝手にしようとしないから、だから嫌わないで、レン。お願い。あたしのこと好きなままでいて。やだ、やだよ、レンに嫌われるなんて……」

「ち、違うって。今のは晴を拒絶したとかじゃなくて、体勢が辛かったから休憩したかっただけなんだよ」

「……ほんと?」

「本当だって」

「ほんとにほんと?」

「本当。信じてくれよ」

「……わかった。じゃあ、ソファ行こ? 座ってだったら体勢辛くないよね」

「……そうだな」


 俺たちはベッドのそばにあるソファへと移動した。


 俺がソファに座ると、リュックを下ろした晴は対面する形で俺の腕に座り込み、また俺の首裏に手を回してきた。そして再び唇をくっつけ合い、一度離れて俺の表情を窺うように聞いてくる。


「ねえ、いいよね。してもいいよね。嫌いにならないよね」

「……いいよ」

「レンっ……」


 俺が許可を出した途端、晴は勢いよく俺の唇を奪ってくる。そしてその勢いのまま舌を俺の口内に侵入させてきて、舌同士を絡め合わせてくる。


 晴は時折、息継ぎをするために口を離す。その度に俺の口と晴の口の間に糸が引いていて、それがまた俺を刺激する。


 肺に息を入れて、潜水するようにキスを交わす。長く、深く。必死に俺に好きを伝えようと、俺から好きをもらおうと。彼女は不器用に舌を動かす。


 その全てが愛おしい。


 気づけば俺も晴の背中に手を回していた。そして力強く彼女の体を抱きしめる。瞬間、彼女の体が小さく跳ねた。それが俺の中にある何かのスイッチを入れたみたいで、俺も彼女の舌を堪能するように動かしていた。すると彼女の体が細かく痙攣する。だけど俺は手を抜くことなく、欲望のままに動かす。


 さっきから、脳から何かが分泌し続けている。なんだっけ……そうだ、幸せホルモンだ。俺、今それに浸っているんだ。快感に溺れているんだ。


 このまま彼女と溶け合ってしまいたくなる。全てを忘れて、思考を放棄して、このまま。


「ねぇレン」


 口から糸を引き、とろんとさせた目で俺を見つめながら晴は言う。


「しよ」


 魅力的な提案だった。俺の心もそれに同調し、体もそれを求めているとばかりに準備を済ませている。


 だけど、脳裏に浮かんだのは小井戸の言葉だった。


「……ごめん」

「…………え」


 俺が断ると、先ほどの比ではないくらい晴の顔に絶望が染まった。


「なんで? なんでなんでなんでなんでなんで? レンのここ、こんなに元気になってるんだよ? あたしでこうなってくれてるんだよね? あたしわかるよ。だってたくさんしてきたもん。レンといっぱいしてきたもん」

「……ごめん」

「レン、ほんとにあたしのこと飽きちゃったの? 美彩としたから、もうあたしはいらないの? やだよ、捨てないでよ。あたしなんでもするから」

「そんなんじゃないって」

「じゃあしてよ」

「ごめん」

「……っ!」


 泣き顔になった晴は俺の上からどいて、近くに置いていたリュックを拾い、そのまま脱衣場へ駆け込んでしまった。


 俺は彼女を追いかけようと立ち上がったが、もう一度ソファに座り込んだ。そして深呼吸をする。


 ……なんとか落ち着いてきた。もし晴が感情的にならず、あのまま誘惑してきたら俺は折れていたかもしれない。


 視線を下げて、自分の身体の一部を見つける。心は落ち着いてきたのに、なんでここだけは鎮まってないんだ。


 前に晴は俺のことを猿だと言っていたが、それは間違ってなかったなと胸中で自嘲する。


「レン」


 俺を呼ぶ晴の声が聞こえた。脱衣場から出てきてくれたみたいだ。


 そのまま立て篭もられなくてよかったと安堵しながら振り向くと目に飛び込んできた晴の姿に、俺は固まった。


「どう、かな」


 晴は恥ずかしそうにしながらも、体を動かして全身を見せてくれる。


 戻ってきた彼女は、さっきまでのTシャツにショートパンツの格好ではなく、丈の短い翡翠色のワンピースを着ていた。トルパニのフウの格好だ。


 晴がフウに似ていると思ったことはある。だけどそれは内面的な話だ。だから晴がフウと同じ服装を身に纏ったからといって、推しのフウが目の前に現れたとは微塵も思えなかった。


 でも、


「可愛い」


 ただただ、ひたすらに、目の前の少女は可愛かった。


「うれしい」


 晴は表情を綻ばせ、俺のそばに寄ってくる。そして目の前に立ち、虚ろな目で俺を見つめながら言う。


「あたし、レンのためならなんでもしてあげるよ。レンの好きなフウちゃんのコスプレもしてあげる。恥ずかしい下着も着てあげる。だから、お願いレン。あたしを抱いてよ」


 そう言って差し伸ばされた晴の手を、俺は握った。晴の口元が緩む。願いが通ったと思ったのだろう。


 だけど俺は立ち上がり、そのまま彼女を抱きしめた。


「……レン? 違うよ。抱いてってそういう意味じゃないよ。えっちしてってことだよ」

「わかってる」

「じゃあなんで抱きしめてるの? はやくベッドに行こうよ。レンの好きなようにしていいから。あたしの身体つかって、レンの性欲たくさん解消してよ」

「晴……」

「あたしがちゃんと管理してなかったから美彩としちゃったんだよね。大丈夫だよ。これからはちゃんとするからね。美彩としようなんて思わないようにしてあげる」


 晴は手の位置が動く。


「レン。いいんだよ。たくさんあたしで解消して」

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