第11話

 ゴールデンウィークを明けた頃。


 最近、初めての席替えがあった。少し早いなーって思ったけど、どうせ行事やらなんやらで出席番号順になるんだから、教室ではランダムに配置した方がいいだろうという担任の考えがあったらしい。


 そしてなんと、あたしは瀬古の隣の席になってしまった。しかも瀬古のお隣はあたしだけだ。あたしが瀬古を独り占めしているみたいで、一人密かに喜んでいた。


 だけどあいつの視線は前にあった。黒板を見ているわけじゃない。その手前にいる美彩を見ているのは視線を辿らなくても分かる。


 別に普段からあたしと二人で話すような間柄ではないけど、せっかく隣になったんだし話してもいいじゃんと思う。……だけど、自分から話すのは、恥ずかしい。


 でもこのままでは何もなく次の席替えを迎えてしまう。それは嫌だ。でも話しかけるのは……そうだ。そういう状況を作ればいいんだ。


 教科書を忘れたことにして、瀬古に見せてもらおう。そのためには机をくっつけないといけないし、ふ、二人の距離が近づくし。


 あたしは天才かもしれない。


 あたしはその作戦をほぼ毎日行った。最初はやりすぎないように調整していたが、胸が満たされる時間がもっと欲しくなり、無意識にどんどん頻度を上げていった。結果、


「お前忘れすぎだろ。アホか?」


 天才ではなくてアホ扱いされてしまった。


 隣の席という立場だからこそ得られた特権によって掴んだ貴重な時間だったけど、アホだと思われるのは不本意だ……!


 あたしはつい強がるように「ふんっ」と鼻を鳴らしてしまう。


「そんなこと言ってたら、瀬古が忘れたとき見せてあげないから」

「これだけ見せてもらっておいてお前……あっ」

「ん? どうしたの?」

「いや……消しゴム忘れた」


 『消しゴム』という言葉を聞いて胸が跳ねたのを感じた。あたしにとって、『消しゴム』という単語は重要だった。


「ぷぷぷ。瀬古も忘れてやんの! あーほ!」

「昨日の夜、家で勉強していた時に使って収め忘れたか……くそっ。むしろ勉強していて忘れたんだ、あほとは真逆の存在だろう」

「抜けてるやつをあほって言うんだよ!」

「ブーメラン刺さってるぞ?」


 瀬古はため息をつき、あたしの前に手のひらを上に向けた状態で手を突き出してきた。


「日向の消しゴム貸してくれよ」

「もー、仕方ないなー。貸しいちね?」

「だったら俺は日向に対して貸し何個になるんだよ。サンキュー。日向もこの消しゴム使う……よな……」


 瀬古の語尾が小さくなっていく。何かを見つけて固まってしまったようだ。あたしはその視線を辿り、息を呑んだ。


 瀬古はあたしの筆箱の中を見ていた。あたしの消しゴムが自分に貸してもらったものだけかを確認しようしたのだろう。だから見つけてしまった。あの日、瀬古に貰った消しゴムを。


 どうして固まっているんだろう。覚えていないなら何も思わないはず。……早く、何か言って欲しい。


 あたしたちの間に数秒間だけ沈黙が流れる。瀬古は視線を前に戻し、呟くように言った。


「お前が消しゴム忘れをバカにすんなよな、アホ日向」

「えっ……?」


 それって、どういう意味だろう。あたしは消しゴム忘れをバカにできないってこと? どうして? ……あたしも消しゴムを忘れたことがあるから?


 瀬古はあの日のこと、覚えてるの?


 そう訊ねようとした瞬間、あたしの頭頂部に衝撃が走る。


「いたっ」

「あでっ」


 スパンスパンという音が教室に鳴り響く。後ろを振り返ると、教科書をまとめた担任が立っていた。あれで叩かれたのだろうと察する。


「先生痛いっすよー。これ体罰じゃないっすかー?」

「うるさい。私の授業において法律は私だ。さっきからイチャイチャしやがって」

「やべえぞこの教師」

「イッ!? こ、こいつとイチャイチャなんかしてません!」

「はいはい。見逃してやるから、さっきのは忘れて授業聞いてくれなー」

「体罰ビビってるじゃないっすか……」

「てか叩いてる時点で見逃してない……」

「あん?」

「なんでもないっす」「なんでもありません」


 結局、訊ねるタイミングを見失ったあたしは、それ以降聞くことができずにいる。


 だけど、あたしの中で既に答えは決まっていた。




 * * * * *




 ゴールデンウィークは三人で出かけることができなかったけど、夏休みはたくさん遊ぼうということになった!


 せっかくだし夏っぽいところに行きたいよねという話になった。となれば、山か海かみたいな流れになったが、瀬古が「山と海に子供だけでいくのは危険じゃないか」と意見したため、折衷案としてプールに行くことになった。


 プールかぁ。……プール!? ってことは、み、水着!?


 同性の友達としか行ったことがなかったため意識していなかったが、そうだ、プールに行くとなると瀬古に水着姿を見せることになるのか……うわうわ!!


 ど、どうしよう。中学生の時に買った水着があるけど、これだったら瀬古がっかりしないかな。そもそも入る、かな? 最近、一部の成長が凄いし……。


 試着してみた結果入る気配がなかったため、あたしは水着を新調することになった。出費が嵩むなあと思いつつ、ワクワクが止まらない。


 どこで買おうかなーと考えているとスマフォが鳴った。音でメッセージの通知だと分かり、すぐに内容を確認すると美彩からだった。一緒に水着を買いに行かないかというタイムリーなお誘いだった。


 あたしはすぐに返事をした。


 結果、今から買い物に出かけることになった。善は急げってやつだ。


 ぱぱっと準備をして一階に降り、お母さんに「友達と買い物に行ってくるねー」と声をかける。


「晴ちゃん出かけるの? 外は陽が強いけど、帽子被らなくていいの?」

「う、うん。キャップはいいかなって!」

「……ふーん」


 母さんはあたしの頭……正確には前髪あたりを見ながらニヤリと笑い、帽子を置いて代わりに日傘を差し出してきた。


「紫外線を甘く見たらダメよ。ほら、日傘持って行きなさい」

「えーあたしに似合わないよー」

「似合う似合わないじゃないの。肌へのダメージを防ぐの。そうしないと、そのヘアピンをプレゼントしてくれた子に可愛いって言ってもらえないわよ?」

「なっ! べ、別にそんなんじゃないし! それにこれはあたしが買ったんだし!」

「なるほどなるほど。じゃあ選んでもらったのね?」

「な、なななっ!」

「お母さんを見くびるんじゃないの。晴ちゃんのことならなんでもお見通しよ〜。帽子を被らないのだって、そのヘアピンが隠れちゃうからで——」

「行ってきます!!」


 お母さんからの辱めから逃げるように、あたしは家を飛び出した。


 うぅ、どうしてバレたんだろう。お母さん、侮れない。


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