第4章 夜咲美彩の恋

第25話

 私は昔から家族以外の他人に期待していなかった。


 よく「お嬢様?」と聞かれることがあるが、別に実家はそんな由緒正しい物ではない。ただそこそこ裕福ではあるし、両親の躾もそこそこ厳しかったので、あながち間違ってはいないと自覚している。


 躾は厳しいと言っても、普段は優しく、私が考えていることを推し測ってくれる。そのため、私は両親のことを心から尊敬している。


 だから小学校は両親の望み通りに私立に通っていた。クラスメイトはとある企業のご子息であったり、社長令嬢であったり。今思えば、一番自分がお嬢様だった時代なのではないだろうか。


 そこで目にしたのは、自分の能力の低さを棚に上げて他人を蔑むクラスメイトの姿だった。自分のことが見えていないその節穴加減にも、やたら他人に攻撃的なその姿勢にも呆れた。


 加えて、そこにいる大人たちも残念だった。自分は国内でも有数の名門校に勤務しているんだという愉悦からか、それともここまでの経歴からくる自信なのか、傲慢な態度の人が多かった。


 心の内では横柄な態度を取りながらもそんな大人たちに順従になる学友。私たちに高圧的な態度を取りながら、自分より上の立場の人の前では腰を低くする大人たち。私は小学生にして、社会というものを知り、他人に期待することをやめた。


 そんな環境下でも学友たちは楽しそうに日々を暮らしている。楽しくないのは私だけ。本当に間違っているのは私の方かもしれないと、心の片隅で思うようになった。こんな冷めた目でしか学友のことを見れない自分は、いったい何様のつもりなのだろうとも思えるようになり、次第に、自分のことも嫌いになってきた。


 通っていた小学校は高校まで一貫して教育を受けることができるのだが、私はこのままではいけないと思い、父と母にお願いを言って地元の公立中学に進学することにした。両親は意外にも反対することなく、私のお願いを聞き入れてくれた。思えば、別に意外でなんでもなく、二人は常に私のことを考えてくれていただけだ。両親には感謝しかない。


 環境が変われば、周囲の人間も変わる。人間は環境に育てられるものだ。ならば私も変われるのではないかと思った。


 結局、私の期待を裏切り、どこに行っても人間の基本的なところは変わらなかった。もちろんクラスメイトとの会話で上がる話題などといったものは一変したが、自分に甘く他人に厳しいそれは変わっていなかった。


 クラスメイトと話すこともあれど、友人と言える者は誰一人できないまま三年生になった。こんなことになるのなら、あのまま内部進学しておけば良かったと後悔していた。


「ね、ねえ! 夜咲、だよな?」


 新しい教室に入ると、クラスの男子が話しかけてきた。顔も見覚えないし、話したこともないと思う。


「えぇ。あなたは?」

「オレは——」


 彼の名前、なんだったかしら。一文字目すら出てこない。


 そんな彼はいわゆるクラスのお調子者みたいで、私以外にも多くのクラスメイトを集めて品のない笑い声を上げている。


「おい、こっちに来いよ」


 彼がそう言って手招きした先には、生気を感じられない男子がいた。その男子は彼の言うことに素直に従ってこちらに来て、無茶振りとも言えるモノマネを披露させられた。彼のクオリティの低いモノマネを周囲は嘲笑する。


「つまらない」


 気がつけば、口から素直な感想が漏れていた。モノマネ自体もつまらなかったが、こんな人を馬鹿にしたようなことをして一緒に笑っているクラスメイトたちが、なによりそんな彼ら彼女らに何も抵抗せずされるがままのこの男子がつまらなかった。


 お調子者の彼は、どうにかして私の機嫌を取り戻そうと媚び諂うような態度に切り替わった。さっきまでの態度とは真逆だ。本当につまらない。


 周囲の人たちも、どうしたものかと言った表情を浮かべている。中には「調子に乗るなよ」と言った視線をぶつけてくる子もいた。調子に乗っているのはどっちなのかしら。


 そんな中、彼、瀬古くんの目だけは私を真っ直ぐ見ていた。先ほどまで澱んでいたその目は、段々と光を取り戻していく。


 その日から彼は変わった。もちろん以前の彼のことは詳しくは知らないけど、私が抱いていた第一印象とは異なる姿へと変わっていった。


 彼は初めにクラスメイトの二人の男子に自分から話しかけに行った。私はその様子を遠くから眺めていた。最初は互いにしどろもどろな様子だったけど、次第に笑い声が漏れるようになった。私はそれを見て、自然と笑みが溢れた。その時、彼と視線が合ったような気がした。


 しばらくはその男子たちと一緒に話していた瀬古くんだが、ある日、なんと私に声をかけてきた。


「や、夜咲! あのさ!」


 そんな短い言葉でも彼の声は裏返っており、かなり緊張しているのがありありと伝わる。それがなんだか可愛らしい。こんな感情、クラスメイトに対して抱いたのは初めてだった。


「昨日の月9のドラマ見た?」

「ごめんなさい。私あまりドラマを見ないの」

「そ、そうか。あ、この前のびっくり仰天ニュースは」

「ごめんなさい。テレビ自体、あまり見ないの」

「……この前のテストの話する?」

「私は別に構わないけれど、その話をして楽しいかしら」

「ちなみに夜咲は何点だった?」

「全て満点だったわ」

「めっちゃ面白い話のネタ持ってるじゃん! え、なんでそんなに勉強できるの? ってそりゃ努力してるからか! うわー、俺も全教科満点とか取ってみて〜そして言ってみて〜」

「……ふふ。何よそれ」


 彼は、私が話ができる話題が出るまで考えてくれた。そして彼が考えついた話題は、決して盛り上がるものではないと思えたのだが、意外にも話していると楽しくなってくる。彼の話術が秀でているわけではないのに。その理由は当時の私には分からなかった。


 それ以降、彼は毎日私に話しかけてくるようになった。最初は一日数分だけ。それが次第に長くなっていき、気がつけば校内にいる間ずっと話すようなこともあった。彼も段々肩の力が抜けてきて、今では声が裏返ることはない。ほんの少しだけ寂しい点ではあるが、本人に伝えたら怒らないながらも拗ねてしまいそうだ。だけど、そんな姿も見てみたいなと思ってしまう。


 肌寒くなってくると、普段は馬鹿騒ぎしている教室からも進路選択の話が出るようになってきた。私は未だに進路を決めかねていた。教室の自分の席から窓の外を眺めながら、自分にとって最適な選択とは何かを考える。そんな時だった。瀬古くんが小田くんたちと進路の話をしているのが聞こえてきた。二人は同じ高校に行くらしい。


 次の日、進路希望調査票に、私の耳に入ってきた例の高校名を記入した。なんとなく、それが最適解な気がしたから。


「なんとなく、か」


 自分の考え方の変わり様に独りごちる。昔の私ならもっと理論立てて選択していたはずだ。だけど、今の私は直感で選択してしまっている。


 人間は変われる。それは彼が、瀬古くんが示してくれたこと。


 以前、彼は私にお礼を言ってきた。「今の自分になれたのは夜咲のおかげだ」と私の目を真っ直ぐみて、彼は言ってくれた。


 当時、私は彼のために何かをした記憶はないけれど、私の言動によって他人が変われたことに衝撃を受けた。


 そして私は難なく今通っている高校に合格し、入学した。なんと今年も瀬古くんと同じクラスで、少しだけ嬉しく思った。


 そんな彼から入学式の後について来てほしいと言われ、私たちは校舎裏へ向かった。何のためにこんなところに呼び出されたのか、私は皆目見当もつかない。


 だけど、あの日のような緊張感を彼からしっかりと感じていた。


「好きです……付き合ってください!」


 顔を真っ赤にさせながら、彼はそんな言葉を私にくれた。


 あ、告白だ。そう理解するまで数秒かかってしまい、理解した時には突然のことに驚いてしまった。だけど、彼がこのような行動を起こせるようになるまで変わることができたことに、どこか感動して頬が緩んでしまう。


 私の答えは決まっている。


「ごめんなさい」


 瀬古くんの気持ちは本当に嬉しかった。だけど、その気持ちには応えることができない。


 自分のことすら好きになれない私が、恋愛なんてする権利はないのだから。

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