第92話

 二人に小井戸を紹介した今日、俺と小井戸は二人とある約束を交わすこととなった。


 それは、今後二人きりで会うようなことを禁じる、という内容だった。


 それに対して小井戸は一瞬顔を歪ませたが、あまり引き下がると更に俺との仲を疑われると思ったからか、「分かりました」と案外すんなり受け入れた。


 俺も拒絶するわけにもいかず、その約束を受け入れた。


 そんな約束を交わしたにも関わらず、今、俺と彼女はそれぞれの自室で通話をしていた。


『通話は会ってないからセーフっすよねー』

「グレーゾーンな気がするけど」

『そんなこと言いながらも通話に付き合ってくれる先輩、まじ先輩っす!』

「人の呼称を形容詞みたいに使うな」

『へへっ。ごめんなさーい』


 全く心のこもっていない謝罪を受け取り、俺は思わず笑ってしまう。


『それにしても、お二人にここまで疑われているとは思ってなかったっすねー』

「小井戸は何でもお見通しだと思ってたんだけどな」

『見通せるのは先輩のことだけっすよ! 夜咲先輩と日向先輩に関しては予想つきません。三人で付き合おう発言もそうですし』

「そういえばそうだったな。まあ、俺は前科があるし疑われても仕方ないんじゃないか」

『うーん。そういう理由だとは思えないんすけどね。まあ、実際のところどうなのかは分からないんですけど。女の勘的には、ボクの方に原因があるように思います』

「女の勘かぁ。侮れないんだよな」

『そうっすよ! だから先輩が気に病むことはないっす! ちょっとボクの先輩との距離感の取り方が間違ってただけかもしれないです。ほら、たくさんの人を勘違いさせちゃってたみたいですし。その辺の線引きが曖昧になっていたかもしれないっすね』


 勘違いっていうのは、小井戸が思わせぶりな態度を取っていたことで、小井戸に告白するような人が続出していた件についてだろう。


 実のところ、小井戸がそのような態度を取っていたのは俺たちを助けるために行っていた作戦の一環に過ぎず、いわゆるハニートラップ的なものだったらしい。


 今日俺は彼女に、そういうことをするのは危険だから今後は控えてほしいとお願いした。すると彼女はそれを了承してくれたため、おそらく今後はそういうことも少なくなってくるだろう。


 そして、俺との距離感というのも、美彩や晴にとっては改善されていくと思われる。


「そうは言っても、俺も気をつけなきゃな。これ以上拗れるのは御免だ」

『たぶん先輩はお二人のことしか考えられない状態なので、そういう心配をしても徒労なんすけどねー。その辺、お二人は気づいていないみたいっすけど』

「俺も気づいてないんだけど」

『じゃあ、お二人以外の女の子とお付き合いできますか?』

「…………」

『それが答えっすよ。先輩は不純で、そしてとても一途っす』

「矛盾してるなあ」

『そんな綺麗に表現できる人間なんて、この世にいないっすよ』


 小井戸はどこまでも俺に優しい言葉をかけてくれるなあと感動する。


 だけど、彼女の優しさに甘えてばかりはいられない。


『それより先輩。実は結構今の状況楽しんだりしてます?』

「……どうだろう。小井戸はそう思った?」

『あれだけイチャイチャを見せられたら嫌でもそう思うっすよー』

「はは、まったくだな。……まあ、二人も好きな子に囲まれて、嫌な思いなんてしないさ。むしろ幸せなんだと思う。だけどこのままじゃいけないとも思ってるから、素直に喜べないって感じかな」

『なんか想像通りって感じっす。そうっすねぇ……とにかく、今は下手な行動は避けましょう』

「というと?」

『先輩が後悔するような行動は控えた方がいいってことです。って、こういうこと言ってるからお二人に敵視されるんすかね』

「小井戸の発言が全部筒抜けなわけでもないし、どうだろう。それで、それは二人のために?」

『ボク的には先輩のためっすね。正直、ボクが一番心配しているのは先輩の体調なので』

「先輩思いのいい後輩だなぁ。そういえば、小井戸は俺の体調のことを前から知ってるよな。どこで知ったんだ?」


 ふと疑問に思ったことを口にすると、さっきまで流暢に話していた小井戸の言葉が止まった。


『えっと……』


 言い淀む彼女に、俺は答えを待たずに声をかける。


「言いにくいなら無理しなくていいぞ。ちょっと気になっただけだから」

「……ごめんなさい。今はあまり話したくないので……でも、いずれお話するときがくると思います。なので、その時まで待っていただけないでしょうか」


 彼女がどこから情報を得ていたとしても、今更驚くこともないし、彼女を敵視することもないだろう。


 なら、ここは彼女の願い通り、話せる時ってやつを待つことにしよう。


「了解。本当に、無理しなくていいから」

『無理してるのは先輩の方っすけどね』

「……そうかなぁ」

『そうっすよ』


 そこで俺たちは一笑する。


 俺の質問のせいで少し空気が重くなってしまったが、それでもあまり気まずくはならない。この居心地の良さの正体は、おそらく彼女の優しさにあるのだろう。


『あっ。そろそろ通話を終えた方がいいかもしれないっす』

「俺は終了しても構わないけど、どうして?」

『女の勘っす! それでは先輩、おやすみなさい!』

「あ、あぁ。おやすみ」


 納得できるような、できないような理由を告げて、小井戸は通話を終了させた。


 メッセージで理由の補足もない。俺は首を傾げながらスマフォを置こうとしたところで、それは通知を告げるために震えた。


 一度だけでなく何度も何度も定期的にスマフォは震える。これはメッセージの通知ではない。通話の着信だ。


 画面を見ると、そこには晴の名前が表示されていた。


 小井戸はこれを見越して通話を切り上げたのだろうか。女の勘って凄い。


 俺はいろんな感情を唾と一緒に飲み込み、応答する。


『レン! いま大丈夫、かな?』

「うん。別に大丈夫だけど、どうかした?」

『えへへ。レンとお話したくて通話かけちゃっただけ! だめ、だった?』

「全然構わないよ。といっても、咄嗟に話題が出てこないんだけど」

『あたしから通話かけたんだし、あたしが提供するよ! えっとね、そうだ。今週末の遠足、楽しみだね!』

「あ、もうその時期か。行き先は江ノ島だっけ」

『そうそう! ……江ノ島はね、その、こ、恋人の聖地なんて言われてるんだって! だから、えへへ、今のあたしたちにピッタリだよね!』

「あーなんか聞いたことがあるな。たしかに俺たちにはピッタリ、なのかな?」

『絶対そうだよ! だってあたしたち、こ、恋人同士だもん! そ、それでね、あたし、レンと一緒にしたいことがあるの! レン、あたしと一緒に鐘を鳴らしてほしいの!』

「鐘?」


 晴のお願いの内容を聞き返そうとしたその時、俺のスマフォが通知を知らせるために震えた。そしてそれは何度も続く。


 その振動は彼女にも伝わったらしく、彼女の意識もそちらに移る。


『……メッセージかな? 誰から?』

「えっと……あ、美彩から不在着信が来てる。その後にメッセージが連続で……」

『あはは。美彩もあたしと同じでレンとお話したいんだね。グループ通話に切り替える?』

「そうするか。それと、鐘の件はよく分からないけどいいよ」

『いいの? えへへ、やったぁ』


 彼女の弾んだ声が聞こえてきて、承諾してよかったなという気持ちになる。


 そして一旦通話を切り、三人のグループの方で通話を再び始める。すると晴はもちろん、メッセージを返しておいた美彩も参加してきた。


「ごめん美彩、さっきは応答できなくて。晴と話しててさ」

『別に構わないわ。結局、私たちは似たもの同士ってことが分かっただけだから。ね、晴』

『うんうん。あたしも美彩もレンのことが好きで、レンとお話したくて通話をかけた。それが少しだけ、あたしの方が早かっただけだもんね』

「……恥ずかしい」

『ふふ。どうして照れているの蓮兎くん。でも、そんなあなたも可愛らしくて好きよ』

「そういうのが恥ずかしいんだって!」

『あら。あれだけ人のこと褒めちぎっておぎながら、自分がされるのは嫌なのかしら。だったら慣れるまで、もっと言ってあげるわね』

「美彩さんはやっぱりあの扉を開いちゃったの?」


 魔性の女は女王様に進化しちゃったみたいです。俺の精神保つかなこれ。


『うぅ……レンは優しいよね! 今日もあたしがコーヒーで失敗した時も、すぐにフォロー入れてくれたし!』

「あれは見てられなかったからな」

『もう! なんであたしの時は照れてくれないの!』

「そう言われてもなあ」


 頭に思い浮かぶのは微笑ましいワンシーンのみだ。照れてしまう要素なんて一つもなかった。


『ところで蓮兎くん。一つお願いがあるのだけれど、いいかしら』

「え、なに?」

『今度の遠足、江ノ島に行くでしょ? そこで、私と鐘を鳴らして欲しいの』

「あー、うん。別にそれは構わないけど」

『……あはは。やっぱり私と美彩は似た者同士なんだね〜』

『……そう。晴もお願いしたのね』

『うん、そうなんだぁ。楽しみだね、遠足』

『そうね』


 楽しみだという彼女らだが、その声は浮き足立った感じではなく、どこか重みを感じるものだった。


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