第3話 第七層 6

 千鶴は、笑いを堪えるような顔をしながら、必要なアイテムを蛍太郎に伝えた。

 聞いた蛍太郎は、思わず絶句する。

「・・・・・・そんな物が、何の役に立つの?」

 千鶴も複雑な表情をする。

「おかしいよね。あたしもわかんないもん」

 だが、そんな事であれこれ悩んでも仕方ないし、蛍太郎は千鶴を信じていた。

「わかったよ。そうする」

 それから、千鶴に手を伸ばす。


「戻れるなら、一緒に帰ろう!千鶴!!」

 魔王だろうが何だろうが構わない。蛍太郎は千鶴と一緒にいたかった。

 過去の地球に戻って、・・・・・・いや、それがどこであろうと、千鶴と一緒にいられるのならどこでも構わなかった。

 エレスの行く末や、宇宙の行く末は、正直なところ、蛍太郎には大きすぎた。自分がそこで何らかの役目を果たすなどとはとても思えなかった。

 だから、それよりは千鶴と一緒に、どこの世界なりでも行って暮らす方が、蛍太郎は嬉しかった。


 ルシオールが蛍太郎を連れ戻すなら、その時は千鶴も一緒だ。


 しかし、千鶴は悲しそうに首を振る。


「あたしたちは、しょせん、四次元世界に閉じ込められた存在なの。時間を越えるには、それなりの代償が必要になるのよ」

「代償?」

 千鶴の言わんとしている事が、蛍太郎にも分かってきた。

「いや。それならやらなくて良い。俺は第八階層に落ちるだけだ。だから、千鶴は!!」

 千鶴はとっくに覚悟を決めた目で、蛍太郎を見つめる。

 そして、下を見ると、遥か彼方ではあるが、地表が見えてきていた。もう時間が余り残されていない。

 通常の自然落下より、遥かに速い速度で地表が迫ってくる。


「あたしは『予言の魔王』。だから、こうなる事も分かっていたし、これがあたしの望みでもあるの。だから、お願い・・・・・・」

 蛍太郎の胃が縮こまる。呼吸が苦しくなる。嫌な汗が全身を伝う。

「嫌だ・・・・・・」

 絞り出すように蛍太郎が呟く。


「大丈夫。あたしは、充分幸せだったし、今が一番幸せなの。だから、次は蛍太郎君の番よ」

 千鶴の体が光り出す。

 蛍太郎には分かった。命と引き替えに、蛍太郎を元いた世界に、過去の地球に帰すつもりだという事が。

「嫌だ!!やめてくれ!!!千鶴!!」

 蛍太郎は叫ぶ。触れ合えないのに、手を伸ばし抱きしめようとする。腕は、何度も千鶴の中を通り抜けていく。


「蛍太郎君。あたしは、元の世界にしかつなげられない。それと同じように、深淵も、あなたにしかつなげられない。元の世界に帰ったら、きっと深淵が蛍太郎君を連れ戻そうとするはず」

 千鶴の体が光るのと同じように、蛍太郎の体も光り始める。

「深淵は、蛍太郎君を愛しているわ。何を望んでいるかは分からないけど、あなたの為に、地獄を滅ぼしてくれると思うの。あたしは地獄が憎い。だから、深淵の味方。そして、あたしも、深淵も、蛍太郎君、あなたを深く愛しているの。それを分かってね」

 千鶴の体が、徐々に崩壊していく。

「千鶴!!やめてくれ!せっかく会えたのに!せっかく思いを伝え合えたのに!!」

 蛍太郎は叫ぶ。


「蛍太郎君。あたしは幸せ。もう満足よ。だから、次は、蛍太郎君が、幸せになって・・・・・・ね」

 千鶴の体の崩壊は止まらない。

 もう後戻りなど出来ないのだと悟ると、蛍太郎は叫んだ。

「千鶴!!好きだ!大好きだ!」

 千鶴が微笑む。

「千鶴!!愛してる!!愛してるよ!!」

 蛍太郎は精一杯手を伸ばす。自分の体も光に包まれ、かすんでいくのが分かった。

 千鶴が、僅かに残った半分の顔で、幸福そうな笑みを浮かべる。

 蛍太郎も、無理をしてでも、せめて最後は笑顔を見せようと努力する。

 しかし、それは上手く出来なかった。

 歪んだ笑顔のまま、涙が止まらない。

 

「・・・・・・愛しているわ、蛍太郎君・・・・・・。沢山の幸せを、ありが、と・・・・・・う」


 千鶴の体が、完全に崩壊していった。

 光の粒子が上の方に流れていった。


「うわああああああああああぁぁぁ!!!!」

 蛍太郎が叫んだ時、一瞬世界が暗くなる。





 その直後、蛍太郎が立っていたのは、古びた喫茶店の前だった。 

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