第5話 黄泉路 2
しかし、その攻撃も蛍太郎たちには届くことがなかった。
恐らく、閃光は勿論、破壊の音も激しく、それだけでも蛍太郎を死に追いやることなど容易かったろうと思われる。
しかし、どういうわけかこの空間では、音でも光でも、蛍太郎に多くのダメージを与える事は出来ないようだった。
それどころか、これほど大地に深い傷を負わせた攻撃でさえ、何者かによって軽減された結果だったのだろうと思われた。
遠くを見晴るかすと、遠巻きにしている化け物の半数ほどが、体から炎を吹き上げてもだえ苦しんで、ボロボロと崩れていくのが見えた。
それを見た他の化け物たちは、二度目の攻撃を加える事なく、慌てて逃げ散って行くところだった。
蛍太郎は思わず少女を振り返った。少女は表情こそ変わらないが、どこか嬉しそうに見えた。
「愚か者どもめ」
ぼそりと呟いた。蛍太郎はその言葉を耳にしたが、それについて訊ねるのは恐ろしかった。しかし、それでも震える声で訊いてしまった。
「あれは、君がやったのか?」
「あれとは?」
「化け物が燃えてたやつだよ」
「・・・・・・。わからない。見たら燃えておった。私はあいつらが嫌いだったから、ああなると気分が良いであろうとは思った」
少女はまっすぐ蛍太郎を見つめて答えた。青い瞳がゆらゆらと揺らめき、怪しげな光を放っていた。
嘘を言っている様子は感じられなかった。
そもそも、蛍太郎に嘘をつく理由が思い当たらない。
仮に少女にそれだけの力があるなら、封印を解かれた時点で、蛍太郎など不要となるはずだ。蛍太郎は取るに足らない存在に違いないのだ。
だから、蛍太郎は少女の言葉を信じる事にした。何が起こったにせよ、この少女があえて何かをしたのではないと。
少女は「地上に行きたい」と望んだ。
だからまずは、少女を地上までは連れて行かなければならないのだ。
そして、自分自身も、元の世界に帰るのだ。元の世界に戻ったところで、激しく被災した町があり、そこには最早、自分の家も破壊され、両親も無事では無いのではと蛍太郎は覚悟をしていた。
学校の友達も、多くが被災しているだろう。
だからこそ、戻って、多少なりとも力になりたかった。
助ける事が出来なかった友達の分も、出来るだけ多くの人たちの力になりたい。
その思いに偽りはないのだが、なぜか今、蛍太郎はこの少女に「本物の青空を見せてやりたい」と言う気持ちになっていた。
小屋から出て、偽の青空を見て、一瞬嬉しそうにした少女の顔がもう一度見たかった。ずっと閉じ込められていて、青空も外の世界も全く見てこなかった少女に同情していたのだ。
周囲には化け物たちの姿はすでになかった。すっかり破壊された広大な世界があるのみだった。
蛍太郎は少女の手を引いて、上へ向かって歩き出した。空まではまだまだ届かないうちに、急に真っ暗なトンネルに入った。
距離を短縮して次の階層に行けるようだった。
これは蛍太郎にとっては助かった。いつまで続くか分からないほどの坂道を上り続けるなど、到底できる事ではないからだった。
水も食料も全く用意していないので、のどが渇いたりお腹がすきだしたら、すぐに限界が来そうだったのだ。
暗闇に入ると、後ろであくびが聞こえた。蛍太郎が立ち止まると、少女が蛍太郎の背中にぶつかった。そして、ぶつかったまま蛍太郎にもたれかかりながら寝息を立てはじめた。
「お、おい。寝ないでくれ」
蛍太郎は少女を揺り動かしたが、少女は「うむ」とか「ああ」とか返事をしたものの、すぐに寝息を立てはじめてしまい、ついには膝がカクカクと折れて立っていられなくなりそうだった。
蛍太郎はやむなく少女を背負う事にした。
暗闇の中なので、バランスを崩して倒れないように慎重に少女を背負い、立ち上がった。
少女はとても軽くて、それほど力を入れずに背負う事が出来た。・・・・・・が、歩きだすと事情は違ってきた。
坂道を上ると、すぐに羽のように軽い少女の体重が、意外にも負担となり、一歩一歩膝に力を入れなければならなくなった。
少女の膝下を持ち上げる手も疲れて来て、何度も少女をゆすって背負い直すようになってきた。
汗が額を伝う頃、蛍太郎はトンネルを抜けた。次の階層に着いたのだ。
そこは水のただなかだった。
その水は、濁って暗い緑色で、すぐ近くまでしか見通せなかった。実際にはかなりの深さなのだろうが、数歩も歩くと、緑色で海のように広大な湖の湖面に出た。湖面は大きく波立っていた。
波を起こしている原因はすぐにはっきりした。
湖のそこここに、見上げるほど巨大な―それでいて前の階層の化け物と比べるとかなり小型の―蛇のような化け物が、湖面から頭を突き出してキョロキョロとあたりを窺っているのであった。
空にも無数の大きな飛ぶ化け物の姿が見えた。
何かを警戒しつつ探している様子だった。
化け物同士は、お互いには全く関心がないようで、一心に周囲を探索していた。
今も、蛍太郎のすぐ近くの湖面が大きく盛り上がり、盛大に水しぶきと津波のような波を立てて、目玉だけでもダンプカーより大きな蛇の化け物が顔だけを水面から突き出したところだった。
これらの化け物が探している物も、おそらくはこの少女なのだろう。
何故それほど、この小さな少女のために、人知を超えた化け物たちが必死になっているのかさっぱり理解できないし、想像もできなかった。
ただ、前の階層と違って、ここの化け物たちは、いくら必死に探しても蛍太郎たちのいる空間は見つけられないようだった。
見つからないし、危害を加えられないだろうとは思っても、やはり生きた心地のしない光景である。
蛍太郎は、次々現れる巨大な化け物たちに、いちいち驚き、肝を冷やしつつ、ゆっくりと坂を登って行った。
息が切れて汗が流れるのは、単に少女を背負っている疲労から来るものではなかった。正気を保っていられるのが不思議なほどの恐怖と狂気の体験の連続であった。
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