第3話 不死海 3

 慣れない事と言えば、ルシオールはともかく、リザリエが衝立一つしかない同じ部屋で寝泊まりする事だった。

 すぐ近くでリザリエが寝息を立てたりしていると、年頃の蛍太郎にとってはたまったものではない。

 リザリエは実に魅力的な女性だった。知的で物静かな態度。控えめながら強い意志を持ってもいる。

 いわゆる「静かな頑固者」だ。敵にすればやっかいだが、味方にすればとことん尽くしてくれる事だろう。現に、末席魔導師の地位を捨てて蛍太郎とルシオールの、あてのない旅をサポートしてくれているのだ。彼女に何の得があるのだろうかと蛍太郎は思ってしまう。


 蛍太郎は知らないのだ。ルシオールがどれほど世界に影響を与えているのかを。

 エレスだけでなく多くの次元、時間軸がルシオールを中心に、まるで銀河のように渦を描いているかを。

 ルシオールのささやかな行動でさえもが、歴史に、世界にいかに大きな変化をもたらすのかを。

 実際に、ルシオールはすでに意図せずして世界の変革を行ってしまっていた。その変革が後の世の「闘神王」の誕生や「聖魔大戦」のきっかけを作っているのだ。

 

 リザリエも、本人が気づかないうちに何らかの影響を受けているのかも知れない。

 そうした事は蛍太郎には知る由もなかったが、リザリエが邪な目的でルシオールに尽くしているわけではない事は蛍太郎にもわかる。

 蛍太郎の事も含めて、本当に弟妹のように感じてくれているのがわかる。

 リザリエ本人は従者のつもりでも、時々妙にお姉さんぶった言動と温かい眼差しで見守ってくれている。

 すでに二人には、なくてはならない人物だった。

 

 そう感情を美化してみても、ルシオールの世話が終わった後で「私も水を使わせてもらいます」と、衝立の向こうからためらいがちな声をかけられると、蛍太郎の男の感情がざわざわと良からぬ波を立ててきてしまう。そんな空気に耐えかねて蛍太郎は部屋から出る事とした。

「ああ・・・・・・じゃあ、俺はちょっと村の様子を眺めに行ってくるよ」

「・・・・・・はい」


 部屋から出ると、すぐに大きなため息が口からあふれ出す。

「静まれ、俺の邪神よ」

 そうしていると、宿の主人に声を掛けられた。

 働き盛りそうな男の店主は、ニコニコ笑って話してくる。

「お客さん。ちょっとご相談があるんですがね」

「はい?何でしょうか?」

 蛍太郎が尋ねると、店主が熱心に頼み込んでくる。

「私の友人が絵描きなんですよ!あのお連れのお嬢さんを、是非モデルにしてやってはくれませんか?」

 食事の時にルシオールの素顔を見ているから、そうした気持ちは蛍太郎にも理解できた。

 しかし、人形師ゲイルの件もあるので、蛍太郎は断る。

「いや。そう言ってくれるのは嬉しいのですが、俺たちは海を見たらすぐにグレンネックに行くつもりなんです」

 そう言うと、店主が顔をしかめる。

「それはオススメできませんよ・・・・・・。潮の香りがいつもよりキツいから、今夜辺りから嵐になります。大した嵐じゃ無さそうですが、雨は降るし海は時化ます。海に近づくのは危ない」

 そう言えば、確かに風が強かった事を思い出す。それで、ルシオールが酷い顔をするほど匂いがキツかったのかと思う。

 あの時のルシオールの顔は傑作だったと、蛍太郎は思い出し笑いをしそうになる。

「不死海は割と海が荒れやすいんですよ」

「・・・・・・そうなんですか」

「だから、嵐でどうせ明日は外に出られませんし、暇つぶしにいかがですか?宿代も値引きしますから」

 そうまで言われたら断り辛い。

「じゃあ、本人が良いと言えば・・・・・・。まあ、もう寝ちゃってますが」

「良いでしょう、良いでしょう!早速あいつに声かけてきますよ!!きっとあのお嬢さんを見たら大喜びするでしょうな!」

 そう言うや、忙しそうな食堂を妻子に任せて宿の外に走って行った。


「・・・・・・ま、いいか」

 蛍太郎は呟くと、宿の主人の後から外に出る。

 日はすっかり暮れており、家々の窓からこぼれる明かりだけが道しるべになっている。

 この漁村には灯台など設置されていないようだ。

 確かに、空は厚い雲に覆われているようで、星の明かりも全く見えない。

 風も到着時より強く吹いている。

 蒸し暑く、潮風が生魚の匂いも伴って吹き寄せてくるので、ルシオールでなくても顔をしかめてしまう。

「俺の町の潮風はそれなりに心地よかったけど・・・・・・」

 思い返してみても、あまり不快に思った事はなかったはずである。そんな事を考えながら暗い道を歩き出す。

 小さな漁村ではあるが、海までは距離があるようで、潮騒はまだ聞こえてこない。

 リザリエが部屋で体を拭いている間の時間つぶしに歩いているだけで、特に当てもないし、宿がわからなくなっては困るので、蛍太郎はすぐにきびすを返した。

 

 宿の入り口から中に入ると、蛍太郎は妙な違和感を感じた。

 宿の一階部分は料亭になっている訳なのだが、出て行った時にはいなかった客がいるようなのだ。じっくり観察していなかったので、はっきりした事は言えないのだが、それなりに埋められているテーブルの一角に、このあたりでは珍しくギダをきていない集団がいた。

 黒いマントに丸いつばのある帽子を深々とかぶって、入り口に背を向けて座っている三人の人物。

 まだ料理が来ていないようで、彼らの座っているテーブルには何もなかった。

 後日、この時の事をもっと真剣に考えていれば良かったと蛍太郎は悔いたが、後悔とは先に立たない物で、この時の蛍太郎は「港だからいろんな人種が訪れるのだろう」程度の感想で、部屋に戻ってしまった。

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