第3話 不死海 2

「いただきます」

 改めてルシオールが手を合わせる。蛍太郎もリザリエもそれに習って手を合わせて食事を始めた。

 蛍太郎が魚の身をとり、添えられていた野菜と一緒にナンに巻いてルシオールに手渡す。ルシオールは目からサファイアを溢れ出さんばかりに瞳を輝かせて受け取ると、小さな口を出来るだけ大きく開いてかじりつく。

 一瞬その動きが止まったが、すぐに夢中になって食べ出した。夢中になってはいても、小さな口で、少しずつかじりとっていくので、小鳥がクッキーをついばんでいる姿を思い浮かべてしまう。

「熱い!」

 リザリエが叫んだ。見ると、リザリエがナンを置いて、舌を出してココナッツジュースに手を伸ばしていた。揚げ魚なので熱い油がしみ出したようだ。そこで蛍太郎はハッとしてルシオールの手を止めた。

「ルシィ!大丈夫か?熱かったんじゃないか?」

 すると、ルシオールは食べるのをやめて頷いた。

「口、見せてごらん」

「あい」

 素直に口を開けてみせる。蛍太郎が口の中をのぞいてみたが何ともなっていなかった。

「大丈夫か?」

 蛍太郎が気遣わしげに尋ねると、ルシオールが頷く。

「熱くて驚いたが、もう大丈夫だ」

 そう言うと、すぐに食事を再開した。

「おいしいのかい?」

 蛍太郎の質問に、食事をしながら頷いて答えた。

 その二人の様子をリザリエがクスクス笑って見ていた。

 蛍太郎も過保護な自分に気づいて、顔を赤くすると食事を始めた。

 香草がたっぷり振りかけられており、とてもおいしく、高校生の育ち盛りな蛍太郎の胃袋は満足そうにギュウーと鳴った。それでも思わずため息が出てしまう。

「どうかしましたか?」

 リザリエが尋ねる。

「いや、この料理、確かにうまいんだけどさ・・・。」

「はい」

「せっかく港町だし、日本人としては刺身とか食べたいなぁーって思ってさ」

「?」

 首を傾げるリザリエの反応から、予想していたとおり、この国、もしくはこの世界には刺身のような、魚を生で食べる習慣がないのかもしれない。だとしたら残念である。

「うまい刺身のある国を見つけるのを旅の目的にしてもいいかもな」

 ぽつりとつぶやいた一言だったが、ルシオールは聞き逃さなかった。

「ケータロー。サシミはおいしいのか?」

「やばい」と思ったが間に合わなかった。揚げ魚を頬張りながら、南海の色の瞳が好奇心にあふれている。食べ物に関する限り、ルシオールの積極性は大きく上昇するのである。

「私も食べたい」

「・・・・・・」

「そんなにおいしいのでしたら、私も食べてみたいです。ケータロー様は作り方をご存じではないのですか?」

 リザリエまで乗り気になっている。刺身は新鮮な魚を捌いていくだけなのだが、蛍太郎には魚を捌いた経験がなかった。

 また、この異世界エレスには地球と同じ動植物が多数いるが、どのみち蛍太郎には魚を見分ける事など出来ない。

 明日、市場で魚を手に入れたら作ってみてもいいが、二人に食べさせる自信はない。わさびはこの二人が受け付けるはずがないので良いとしても、何よりも肝心な醤油がない。そこで、二人から刺身への関心を削ぐ事とする。

「つ、作ってもいいけど、刺身って、生の魚をそのまま食べるんだぜ」

「!!」

 二人とも言葉をなくしている。

 リザリエの表情は明らかに嫌悪感がにじみ出ている。

 ルシオールの視線が、静かに揚げ魚に向く。

「魚は、料理しないと臭いのをケータローは知らないんだ」

 ルシオールがブツブツとつぶやいている。

 ルシオールに無知扱いされるのは不本意だったが、この場合は誤解は解かないでおく事とした。

 新鮮な魚は、しっかり処理すれば臭くなんか無い。多分処理が適切で無くても、充分食べられるはずだと蛍太郎は考える。

 わさびについての説明も加えたら、二人がどんな顔をするのか見たかったが、それ以上に自分自身をゲテモノ食い趣味と貶める可能性を考慮して、一時の好奇心をテーブルの下に捨てる事とした。

 

 食事が済むと、ルシオールはすでに眠そうにしていた。ルシオールは食べる事に、殊の外関心が高い。だからといってたくさん食べるわけではない。むしろ小食なため、出された食事を全ては食べきれず、残ってしまう物を「蛍太郎スタツフがおいしくいただいています」といった具合になる。

 ぼんやりしているルシオールの手を引いて、二階の部屋に行く。


 部屋には簡素だが清潔なベッドが四つあり、大きな衝立とテーブルと椅子があった。シャワーはもちろん、風呂などもあるはずなく、タライに水が張ってあり、それで体を拭く事が出来る。

 ルシオールの世話をリザリエに頼むと、荷物を下ろして椅子に座り、衝立の向こうに行くルシオールとリザリエを見送った。ルシオールは歩きながらすでに頭をコクリコクリと揺らしていた。


「ルシオール。リザリエにちゃんと体を拭いてもらうんだぞ」

 蛍太郎の言葉に「あい」と答える。

 グラーダを出てからは、アザラスの街以外では風呂に入れていない。

 宿に風呂が無いのは当たり前で、大衆浴場も、大きな街にしか無い。

 大抵が水桶の水を使い、タオルで体を拭く程度である。 蛍太郎としては出来れば風呂に入りたかった。蛇口をひねると、水も、暖かいお湯もすぐに出る日本がとてもありがたいものなのだと思い返してしまう。

 考えてもみれば、現在の日本はそうして恵まれた環境にあるが、文明が進んだと思い込んでいる現代の世界でも、そうした恩恵を受けられていない国も多くあり、何に感謝する事もなく便利な生活を当たり前のように甘受してきた自分に、若干の恥ずかしさを覚える。

 今はそのありがたを噛みしめているが、不便に思える生活にも慣れつつあり、人間の順応力に我ながら感心したりもする。


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