第7話 異世界 6

 小さな白磁のような胸が、ゆっくりと上下している。

 緩やかに沿った腹部。僅かな曲線を感じさせながらも、直線的な印象が目立つ細い足。

 浮き出た肋骨と鎖骨。

 

 ゲイルは興奮しながらも、冷静に、慎重に、ルシオールの裸身を丹念に観察する。

 首から、胸、腹にかけて手を滑らせる。

 足を持ち上げて動かす。

 腕を上げて肩の関節を調べる。

 その行為にゲイルは興奮して、目をぎらつかせていたが、性欲からくる興奮ではなく、頭の芯が覚めた、探究の為の興奮がゲイルの全身を駆け巡っていた。

 ゲイルは再び紙を取り上げると、夢中になってスケッチを始めた。ルシオールは、目を覚ます気配はなく、穏やかに眠り続けていた。



 納得いくまでスケッチをしたゲイルは、いよいよ本題に移ることにして、スケッチを置いてハサミをその手に握った。

 ベッドに上がると、ルシオールの髪を一掴み握ると、三十センチほどのところで切り取った。そして、更にもう一掴みして切り取る。

 神聖とも思われるほどの髪を切る「背徳感」は、ゲイルを捻じれた欲望の狂気へと一気に引きずり込んでいった。

 歓喜のためか、狂気のためか、罪悪感からか、なぜか涙が滲んでくる。

 そして、もう一房切り落とそうと手を伸ばした時、ゲイルは凍りついた。少女の目が開かれていた。


 無表情、無反応ながら、ランタンの灯りを反射した瞳は、晴れ渡った夜空のような果てない闇と煌めきを宿しながら、ゲイルをジッと見つめていた。


 いつから目覚めていたのだろうか。

 ルシオールは、目覚めていて尚、身じろぎ一つしなかった。

 ルシオールの感情のない目に見つめられ、一瞬は凍り付き、持前の臆病さが恐怖を引き起こしたゲイルだったが、その恐怖が、ゲイルの狂気を加速した。

 自分の精神が音を立てて崩壊していくのを感じながら、その狂気をゲイル自身止める事も出来ず、快感に任せて自身を解放した。


 ハサミを開くと、無抵抗のルシオールにのしかかり、首に刃先を押しあてた。

「騒ぐなよ~。そのきれいな顔に傷つけちまうぞ」

 汗が吹き出し、頬を伝い、ルシオールの胸に落ちかかる。ゲイルの目の輝きは、すでにドロリとした濁りに沈んでいた。激しい興奮に口の隅から泡を噴く。異様な興奮が異常な性欲を駆り立て、ゲイルの下半身は熱くたぎっていた。


 ゲイル自身も、こんな自分の狂気にも、欲望にも、これまで全く自覚したことがないし、現在も何によって突き動かされているのかわからない。

 ただ、どうしようもなく、狂おしかった。自分が狂っていくのを実感して恐ろしくて仕方が無かった。

 しかし、それでも狂気を止める事など不可能だった。


 ルシオールは、無感情のまま、目だけを動かして、自分の体をぼんやりと見つめていた。

「なんだ、こいつ。本当に人形じゃねーのか」

 ゲイルは「ヒヒヒ」と引きつった笑いを浮かべると、ルシオールの二の腕に、いきなりハサミを突き刺した。


 やわらかな肌に、ハサミは易々と突き刺さり、真っ赤な血が傷口から噴き出した。

 噴き出す血が、ルシオールの白い肌に降りかかり、雪の様な肌を朱で彩りを加える妖しさに、ゲイルの興奮は、いっそう猟奇的な狂気へと駆り立てた。


 さらに、脇腹にハサミを突き刺した。

 またしても大量に血が噴き出した。もはや、ゲイルは自分が何のために行動しているのかも見失っていた。

 が、自分自身よりも異常なものに気付いた。


「な、なんだ、こいつ・・・・・・」

 ゲイルはルシオールから飛びすさった。

 ルシオールは悲鳴一つ上げず、やや目を細めただけで、無感情にゲイルを見つめていた。ゲイルがルシオールの上から飛び退くと、ルシオールはゆっくり起き上がった。

「ヒイイイイッ」

 ゲイルが叫び声を飲み込んだ。起きあがったルシオールの体には、どこにも傷がなく、噴きだし、自身の体を朱に染めていたはずの血も見当たらなかった。そこにはただ白い裸体があった。

 ルシオールは、服を着ていない自分の体を見て、少し困った様な顔をして呟いた。

「人前で裸になってはいけない」

 その瞬間、ルシオールの体が浮き上がった。そして、いきなり出現した黒い影に、完全に包み込まれた。次の瞬間には、影は弾けた。そこには、黒いドレスを着たルシオールが立っていた。

「ウワアアアアッ!化け物だぁ!」

 ゲイルが絶叫した。




 蛍太郎は、宿に戻り、水を受け取ると、それをチビチビと飲みながら、女将と話が出来るか、ゲイルが来るのを待とうかと考えていた時だった。

「ヒイイイイッ」

 二階のほうから奇妙な叫び声が、食堂の喧騒に混じって聞こえてきた。蛍太郎は、周りの人々の世間話を聞こうと、耳を澄ませていたので、その叫び声がかすかに聞こえ、思わず頭を持ち上げ二階の方を見る。

 間を置かずに更なる絶叫が、今度ははっきりと聞こえた。

 周囲の人々にもその叫び声は届き、食堂にいた者全員が、怪訝な表情で辺りを見回したり、お互いに顔を見合わせたりしていた。

 

 蛍太郎は、椅子が倒れるほど勢いよく立ちあがると、階段を駆け上がった。

 部屋のドアに縋りつくと、ドアを激しく叩く。

「ルシオール!ルシオール!ドアを開けろ!」

「あい」

 ドア越しにルシオールが返事するのが聞こえた。

 すぐに、ゴトリと音を立てて、かんぬきが外れた。蛍太郎は転がるように部屋に飛び込んだ。

 部屋に入ると、かんぬきを手にしたままのルシオールが、見知らぬ黒いドレスを着て立っていた。

 蛍太郎は、ルシオールの着ているドレスにも驚いたが、それよりも、部屋の隅で立ち尽くしているゲイルの存在に、背筋が凍る思いがした。

 すぐに蛍太郎は、ルシオールを背中にかばうように立つ。

 そして、ゲイルを改めて見た。手にしたハサミ、そして、ゲイルの顔や服に血が付いているのに気付いた時、蛍太郎の憎しみが一気に爆発した。

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