第7話 異世界 5

 まず、この国の事だが、先にゲイルに聞いたように、砂漠の小国「グラーダ」で、国境紛争は日常茶飯事だが、グラーダの首都とも言うべき、この町は比較的治安もよく、塩と綿の輸出でそれなりに賑わっている。

 グレンネックは、アインザークと並ぶ大国で、唯一航行可能な海、アール海をはさんで、戦争したり、陰謀をめぐらせたりして、互いに主導権を争って、この百年ほどずっといさかいを起こしている。

 しかし都市部は人口も多く平和で、内陸になると、のどかで穏やかな田園風景や農村風景が広がっている。

 お金は、各国で単位や価値が違っており、物価も大分違うことは、地球の国々と同じ事情だ。

 グラーダは物価が安いため、民芸品や、塩、綿を仕入れては物価の高い都市部に輸出する商隊が多く来ていた。

 

 お金は、単位がいろいろで、品質もマチマチだが、商隊が一般的に使う通貨としては、蛍太郎が手に入れた「ペルナー」で、価値も品質も安定している。


 長さの単位についてだが、これも国によっていくつかの単位があるが、この国では「ティグ」を用いる。

 1ティグが人差指の長さぐらいで、100ティグで1ティグレム、100ティグレムで、1ノンスと言う単位になる。

 100ノンスで1ノンスレムになるそうだが、蛍太郎には実感として分からなかった。

 落ち着いてゆっくり計算すれば、大体の長さのイメージはつくだろうが、とっさに「20ティグ」とか、「32ノンス」などと言われたら、全く対応できなくなるのは明白だった。

 とりあえず、ルシオールのスカート丈が11ティグだという事は分かった。


 あとは言語の事だった。蛍太郎は日本語を話しているのだが、服屋の店員は、「ゲナ語」が上手いねと言っていた。

 察するに、「ゲナ語」はこのグラーダの現地語の様だ。店員は、公用語は片言しか喋れないそうだが、外国人らしい蛍太郎が「ゲナ語」をスムーズに話しているように聞こえているようで驚いていた。

 驚いたのは蛍太郎も同じで、蛍太郎の身に起こっている翻訳現象は、どんな言語に関わりなく機能している事が分かった。



 そんな話をしたりして、宿に戻った時には、思わず時間がたっていた。

 宿に戻ると、夕食時でさっきよりにぎわっている食堂で忙しく立ち働く女将に声を掛けた。

「ただいま、女将さん。ゲイルは訪ねて来ましたか?」

 女将は、両手にお盆を載せて、器用に早足で狭いテーブルとテーブルの間をすり抜けるように歩きながら「来てないよ!」と一言返事した。

 蛍太郎は肩をすくめると、空いているカウンターの席に着くと、水を注文した。日が傾いてきたとはいえ、外は暑く、少し買い物に出ただけなのにのどが渇いた。日本と違い、湿度が低い分、いくらか過ごしやすいといえた。

 しかし、砂漠は昼夜の気温差が激しいと聞く。これから夜に気温が下がることを思うと、買って来た服が助けになるだろう。

「ルシオールは寝ているだろうか・・・・・・。」




 

 ルシオールは、蛍太郎が部屋を出ると、言われたとおりにドアにかんぬきを掛けた。

 その後、言われた通りに身にまとった汚れたシーツを脱ぎ、ギダと呼ばれる黒い綿服を身に付けて、そのままベッドに横になると、たちまち寝息を立てはじめた。

 蛍太郎は、ルシオールにドアにかんぬきを掛ける事は教えたが、もう一つ入り口となる物の存在には思い至っていなかった。窓である。


 日本の様に平和な国では、二階の窓には、つい防犯としての気が緩んでしまう。

 しかし、二階の窓は十分に侵入可能な出入り口なのだ。

 この宿の窓は、すぐ先が民家の屋根で、大通りからは裏手に当たるため、あまり人目につかない。

 また、仮に人目があったとしても、屋根に人が登っているのは、それほど珍しい光景ではなかった。

 雨が少ないため、平坦な形の屋根は、通路にしたり、洗濯物を干したり、生活の中で普通に使われるスペースだった。

 だから、この宿の窓には、しっかり木製の鎧戸が付けられており、かんぬきも掛けられるようになっていた。

 しかし、今、窓は開け放されていた。



 蛍太郎が部屋を出ると、間もなく、何者かが窓から室内に侵入して来た。男は室内の様子を慎重にうかがうと、ベッドに寝ているルシオールを確認して、静かに鎧戸を閉めた。室内は薄暗くなったが、男は用意良く、ランタンを持っていた。すぐにランタンに火を灯すと、テーブルの上のランプにも火を点けた。

 部屋はぼんやりと明るくなった。

 明かりに浮かびあがった男は、人形師ゲイルだった。


 ゲイルは、興奮した様な、それでいて怯えたような眼をしていた。物音にビクビク耳を澄ませながらも、その目的のためには手段を選ばない。一種の狂気に彩られた輝きが、その眼から窺えた。

 大きな背負い袋を、背中から下ろすと、その中から大きなハサミを取り出した。先端がとがり、包丁のようによく切れそうな、まさに職人の持つハサミである。

 ゲイルはランタンをベッドの直ぐ脇の明かり掛けの留め具に吊るすと、しばらくルシオールの様子を観察した。

 静かな寝息を立てていて、全く目覚める気配はない。

 

 ゲイルの呼吸が荒くなる。顔も上気している。尋常でない気配が、ゲイルから溢れていた。

 ゲイルは、静かにルシオールの腕に触れる。反応はない。

 次に肩を押してみた。やはり反応はない。

 ルシオールは、律儀に、顔を覆う布も身に着けており、閉じた目以外は見て取ることが出来なかった。


 ゲイルは、震える手で、顔を覆う布をハサミで切り裂き始めた。ハサミは、ショリショリと音を立てて布を裂いて行く。すっかり切り終えると、真っ白な顔が露わになった。

 零れた髪がランタンの光を受けて、鈍く輝く。らせん状にウェーブした髪は貴金属のような輝きを放つ。

 ゲイルは思わず、ため息交じりの呻き声を漏らした。髪に触れてみる。絹のような滑らかさと水のような柔らかさで、手の中で溶けているような快感がゲイルを震えさせた。

 次に、頬に触れてみる。サラサラで、吸いつくような感触は、硬い人形の肌とは明らかに違う興奮をゲイルに与えた。

 しかし、まるで人形のように、現実離れしたルシオールの容貌に似つかわしくないその感触に、人形師のゲイルとしては、違和感を覚えてもいた。


 ゲイルは、袋から紙の束を取り出すと、木炭の棒でルシオールの顔をスケッチしていく。

 職人なだけあって、サラサラと筆を走らせ描いて行った。いくつかの角度からの絵と、目、鼻、口、耳などの部分だけをアップで描いていった。

「もっと。もっとだ・・・・・・」

 ゲイルは、紙の束をテーブルに置くと、再びハサミを手にして、今度はルシオールの足側に向かう。そして、スッポリ体から被るだけの服を、裾から真っ直ぐに切り上げた。

 ルシオールの裸身が、ランタンのおぼろげな灯りの下に晒された。

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