第7話 異世界 1

 蛍太郎は日本で地獄に落ちた。その地獄から這い上がって地上に出たら、そこは全くの異世界だったのだ。

 まるで小説やアニメで使い古された設定だ。

 それでも、こうして現実に我が身に起こると、地獄に落ちた時の様に、そこ知れぬ暗闇の中に落ち込んでしまったような、深い絶望感が蛍太郎を飲み込もうとしていた。

 その反面、頭の冷めている所が、冷静に計算していた。この状況で、まず何を知らねばならないかを。

 疲労とのどの渇き、空腹に苛まれていても、まずはそれを確認しなければ、とても安心など出来そうも無い。


「この・・・・・・グラーダ?戦争とかしてるのかい?見たところ、あんたの様に外国の人も多いみたいだけど」

 男は即答する。

「ああ。戦争って言うか、小競り合いな。それならどの国もやってるよ。でも、ここは他国からは、塩の重要な供給国だからな。グレンネックやアインザークからは商隊が来てるんだ。この国が小競り合いしてるのは、すぐ北のカロンとだな」

 やはり戦争はあるのか。では、文明のレベルはどうだ?

 見たところ、この国の男たちが身につけているのは、太い刀ぐらいだ。

「銃とかミサイルとか?」

 試しに単語で尋ねて反応を確かめてみる。

「はぁ?なんのことだ?」

 知らないなら、余計な事は言わない方が良いだろう。

「いや、なんでもない」

 そう言って誤魔化す。


 文明レベルを図るに、「エレス」と言う世界は、まだ銃やミサイルと言った兵器は存在していないようだ。蛍太郎はその確認をしたのだ。何を警戒すればいいのかを知らねばならない。

「この国を治めているのは王様かい?」

「あ?お前の住んでいたところは王様がいないのか?どんな田舎だよ」

「ああ。すごく田舎なんだ。そこから攫(さら)われて来たからここが何処だかも分からないんだ」

 蛍太郎は何食わぬ顔で、男に調子を合わせるようにそう言う。

 情報を与えてもらえる約束ながら、変に怪しまれないように聞き出さなければならない。

「ところで、さっき『奴隷』とかって言ってたけど、この国には奴隷がたくさんいるのかい?」

「いや、この国には奴隷制度はないな。でも、奴隷商人はいるぞ。闇でな。詮索するつもりはないが、お前らはそこから逃げて来たんじゃないのか?」

「違う!・・・・・・が、悪いやつらから逃げてきたのは確かだ」

 「悪いやつ」とは、もちろん地獄の化け物の事である。

「そうか。まあいい。俺は商談が成立すればいいんだからな。で、どうだ?そろそろ髪を売ってくれ」

 男は手を差し出した。一刻も早く、あの黄金の髪の毛を触りたいのだろう。不可解な質問攻めにイライラしつつも、懸命にこらえているようだった。


「ああ。すまない。その、もう少し助けてくれよ。できるだけ安全で、安い宿を知っているかな?食事もできる所がいい」

 これ以上話しを引き延ばすのも得策では無さそうだ。

「うむ・・・・・・。そうだな。俺もこのあたりの事は詳しくないからな。まあ、さっき大通りに出たところ、いくつか宿があったな。宿は大抵二階建てで、木造だからわかるだろう。ドアがあけ放されているところが良いそうだ。宿専用の用心棒がいる証拠らしいからな」

 男は言うと、さらに手を前に出した。

「ありがとう」

 蛍太郎は髪の束を男の手に乗せると、それと引き換えに、銀色に光る硬貨を二枚と、やや小さい銅貨を十五枚受け取った。

 男は、受け取った髪をなでたり眺めたりすると、「ヒヒヒ」と笑った。そして、髪の束に頬ずりすると、懐から小さな巾着を取り出し、黄金の髪の毛をその中に大事そうに入れ、また懐にしまい込んだ。

 そして、満面の笑みで蛍太郎に近寄ると、肩に手を乗せて、右手を差し出した。

「あんた、最高の商売相手だ。お嬢ちゃんもありがとうな。お嬢ちゃん、髪の毛はちゃんと手入れしておくんだよ。俺は、人形職人のゲイル・ギュンターだ。グレンネックの『ドレラガン』に住んでいる。ちったぁ有名だから、いつでも訪ねて来てくれ」

 差し出された手を、蛍太郎は怖ず怖ずと握り返した。

「あ、ああ。その、俺は山里蛍太郎。この子はルシオールだ。正直いって、グレンネックがどこにあるかも分からない。できればもっと、いろいろ教えてほしいのだが・・・」

 すると、ゲイルは渋い表情になって考え込んだ。


 ゲイルとしては、今の蛍太郎たちはトラブルの種の様に思われた。

 何者かに追われているとしたら、あまり関わっていると、自分の身に危害が及ぶかもしれない。ゲイルは自分自身が臆病な男だと自覚している。

 しかし、一方でルシオールの髪には興味が尽きない。ルシオール自身の姿も人形作りの参考としては願ってもない美しさと気高さが感じられた。それはボロを着ていてさえ一ミリも損なわれていないようだった。

 出来ればじっくりと観察したい欲求は募るばかりだ。その欲求はゲイルの臆病な心を動かすに充分だった。


「うむむ。本当は、最高の素材を得た事だし、すぐにでも工房へ帰りたいところだが、まあいいだろう。俺は何とか宿に戻って荷物を取りに行って来る。あー、ケタローだったか?君は、そうだな・・・・・・」

 ゲイルはそう言うと、大通りの方に顔を出してキョロキョロと通りを見渡した。そして、身を乗り出して、一つの建物を指差した。

「あの宿だ。『ケセミール』って書いてあるだろ?あの宿に泊まると良い。後で俺もそっちの宿に移ることにするよ」

 蛍太郎も通りに頭を出して、指差された方を見る。指さされた先には、周囲の建物より大きな木造の二階建ての建物があった。入口は大きく開け放されていた。

 その入口の上に、看板らしきものがあり、赤い色で何か書かれているが蛍太郎には読めなかった。

 それでも、目的の宿はわかったので、ゲイルに答える。。

「わかった。そこに宿をとる事にする。ありがとう」

 蛍太郎はそう言うと、ルシオールを揺り起す。

「ん?行くのか?」

 ルシオールが眠そうな目をこする。

「ああ。やっと休めそうだよ」

 そう言ってルシオールの手を引いて大通りに足を踏み出した。振り返るとゲイルは既にいなかった。ゲイルも道に迷っているとの事だったので、急いで宿を探しに行ったのだろう。


 日はだいぶ傾いて来ていた。蛍太郎の疲労や、のどの渇き、空腹は限界に達していた。休めそうだとわかると、これまでこらえていた分、いきなり身を裂くように辛く感じた。

 しかし、小さなルシオールがいる手前、蛍太郎が先に音を上げるわけにはいかなかった。

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