第6話 地上 7
「こ、こいつは極上だ。俺はこれまで、こんな髪の毛に出会ったことはない」
男は興奮しながらも、
「も、持たせてもらってもいいか?」
「だめだ」
蛍太郎は手を引っ込める。男はお預けを食らった犬のような、哀れな顔つきをした。
「わかった。そうだな・・・・・・それだと人形二~三体分には充分足りるだろう。うむ。ペルナー銀貨三枚でどうだ?」
「ぺルナー銀貨?円かドルにするといくらになるんだ?」
「円?ドル?そんなの聞いた事ないぜ」
男は怪訝な表情をする。しかし、辺境から連れ去られた子どもたちだと思えば、そんな事にはこだわっていても仕方ないのだと思い直した。
蛍太郎は蛍太郎で、こうした相手の反応に、同じ様な気持ちを抱いていた。
「そうだな。この辺りの宿で、たらふく飯を三食食って、泊って。それが四~五日はできるくらいの価値はあるな」
「本当か?」
髪の毛ひと束の値段にしては高価だと感じた。
「本当だ。俺も職人だ。職人としての商談で嘘はつかない。これは俺の誇りだ。いいか、その髪の毛は、これまで見た事がないほどの素材だ。それがあれば、俺の人生で最高の仕事ができるだろう。ここで、嘘をついたら、二度とその素材の補充が効かなくなる。俺は、お前がその気になって、また髪の毛を売ってくれるかもしれないと、期待しているんだがな」
男の眼は真剣だった。
「わかった。信じよう。だが、あんたも知っての通り、俺たちは助けが必要なんだ。また、商売したくなるように、あんたに手助けしてほしい事がある」
蛍太郎は条件がある事をほのめかす。
「なんだ?言っとくが、危ない事はごめんだ。俺は人形作りしか能がないひ弱な男だからな」
蛍太郎は、少し警戒を解いて、クスリと笑った。
「まず、情報だ。俺たちはこの国の事がさっぱり分からない。いくつか教えてほしい事がある」
人形師は、わかったと言うように手を振った。
「それから、この国の服を買ってきてほしい。二人分だ」
これにも、男は手を振った。
「ああ。その恰好じゃ目立つもんな」
男の理解には、やや誤解があったが、それについては訂正しなかった。
「じゃあ、今から買って来るが、その分は料金から減らすぞ」
「それでいいよ。よろしく頼む」
蛍太郎は頭を下げた。
男が大通りに出て行くと、蛍太郎は思わず座り込んでしまった。
「どうした?」
ルシオールが蛍太郎の顔を覗き込む。
「いや、ちょっと安心したって言うか、怖かったって言うか・・・・・・」
「なんでだ?」
ルシオールは顔を近付けて来る。
蛍太郎の目を、南海色の瞳が見つめる。その瞳は蛍太郎の心を溶かしてしまうかのようだった。
パーカーの間から見える黄金色の髪。灼熱の太陽に焼かれたにもかかわらず、赤くもならない、透き通るような白い肌。
この少女こそが、最高級の人形なのではと思わせた。それは、あの人形師も感じたことだろう。
だからこそ、熱心にルシオールを見つめ、その髪の毛を欲しがったのだろう。
「大丈夫だよ。どうやら君に助けられたみたいだ」
すぐに、男が白と黒の布を抱えて戻って来た。
白い
蛍太郎用のターバンはなかったが、ルシオールには頭から被る布が付いていた。目だけを出して、あとは薄布が覆っていた。
「その髪は目立ちすぎるからな。ここの服はちょうどいい作りでよかったな」
男は説明した。
この国では、女性の未婚者は黒、既婚者は白を身に着けるのだそうだ。男は逆で、既婚者は黒、未婚者が白を身に着けるのだという。そして、女性は、日射しから肌を守るために、外出中、目以外はすっぽりと布で覆い隠してしまうのだそうだ。別に宗教的な理由ではなかったのだと、蛍太郎は理解した。
確かに、一見厚着して暑そうに見えるが、着てみると逆に涼しく感じる。
服を身に着け終わると、蛍太郎は情報収集に当たった。
「助かったよ。それから、ちょっと聞きたいんだけど、あんたは何でそんなに日本語が上手なんだ?人形職人って事は、通訳やガイドじゃないんだろ?」
「ニホン語?俺には何の事かわからんよ。俺は普通に公用語しか使ってない。さっきも言ったが、おれはグレンネックの出身だからな。エレスの公用語しか話せない」
またしても会話が成り立たない。
「なんだって?でも、さっきからあんた日本語喋ってるじゃないか!」
「何言ってるんだ。俺もお前も、さっきからエレス公用語でしゃべってるだろ?」
その時になって、ようやく蛍太郎は、この会話の違和感を感じ、それが理解出来た。
よく見ると、相手の口の動きと、聞こえてくる言葉が違っているのだ。テレビで外国の映画を日本語吹き替えで見ているような違和感だ。
そして、ついに悟った。翻訳されて会話が成立しているのだと。
蛍太郎はハッとしてルシオールを見た。
ルシオールはさっきから首をカクンカクンと揺らして、立ったまま眠っていた。
見るからに無垢で邪気のない、無害な少女に見えるが、これまでの数々の不思議からすると、この自動翻訳機能も、この少女が関係しているのは間違いがないだろう。この少女はいったい何者なのだろうかと、あえて眠らせていた疑問が浮かんでくる。
それでも、翻訳の事実がはっきりすると、現状における新たな疑惑が蛍太郎をせっついた。
蛍太郎はそれを確認するために男に問いかける。
「日本、中国、アメリカ、イギリス、フランス、アフリカ、オーストラリア、トルコ。この中で、あんたが聞いた事がある国はあるかい?」
「ないな。どこの国だ?エレスにはないんじゃないか?」
「じゃあ、エレスで一番大きな国はどこだ?」
「そりゃあ、グレンネックとアインザーク、それからカロンだな。まあ、格式で言うとやっぱりグレンネックだろうな」
男は二つの質問に即答した。蛍太郎の妄想に似た不安が的中した。蛍太郎の目の前が真っ暗になったように感じた。
ここは蛍太郎が住んでいた世界とは違う世界なのだ。日本も中国もアメリカもイギリスもフランスもアフリカもオーストラリアもトルコも、蛍太郎の知っている国は全て無い世界。
「エレス」と言う全く別の世界なのだ。
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