第7話 異世界 2
大通りに出たが、今はこの国の服を身に
大きく開け放たれた扉から、中の様子を窺って見た。
店の中は広い空間で、その空間に所狭しとテーブルが置かれ、奥にはカウンターがあり、その奥が厨房の様だった。カウンターの横に二階へ上がる階段が見えた。一階部分は食堂となっているようで、テーブルについている人たちは食事をしたり、酒を飲んでいるようだった。
荒っぽそうな男たちもいたが、見るからに「普通」そうな男や、家族連れもおり、どうやら安心出来そうだった。
「ここで食事が出来るよ。お腹減ったろう?」
蛍太郎がルシオールを気遣って声を掛けると、それまで眠そうにしていた少女は、心なしか背筋を伸ばして、目もしっかり開いた。そのギャップに蛍太郎は思わず吹き出してしまった。
「食事だな」
ルシオールは蛍太郎の様子など気に掛ける事もなく、今度は蛍太郎の手を引くようにして店の中に入って行った。
蛍太郎は、店に入るにあたっての心の準備が出来ていなかったが、怖ず怖ずと店内に入ると、奥のカウンターに向かう。
店に入ると、一瞬全員がこちらを見たが、すぐに自分たちの食事や会話に戻って行った。聞こえる会話の端々が日本語に聞こえた。
ありがたい事に、翻訳効果はまだ続いているようだった。
カウンターに向かうと、厨房から太った年配の女が出て来て蛍太郎に応対した。この宿の女将らしい。
「いらっしゃい。食事かい?」
「食事もだけど、宿にも泊まりたいんだ」
「部屋は空いてる。二階の右奥の部屋を使いな。料金は先に貰っとくよ」
女はぶっきらぼうな話し方だったが、その眼は抜け目なく蛍太郎と、連れの少女を観察する。
「食事はすぐにできるかい?」
女の視線に怯みそうになりつつも蛍太郎は尋ねる。
「できるよ。食事は別料金になるよ」
「その、ペルナー銀貨だけどいいかい?」
銀色の硬貨を一枚テーブルにのせる。この硬貨が本当に使えるのかは、半信半疑だった。
「ああ。それならおつりがくるよ。ゆっくりしていきな」
女将は蛍太郎が差し出した銀貨を受け取ると、とたんに愛想のいい笑顔を見せた。
そして、空いてる席に案内してくれた。
蛍太郎たちが席に着くと、女将は壁に掛かっているメニューらしいものを蛍太郎に示したが、蛍太郎に文字は読めない。どうせなら文字まで翻訳してくれたら楽だったのだがと思わずにはいられない。
「あの・・・・・・まず水をたくさん飲みたいんだけど。それと、腹も減ってるんで、お勧めの物を二人分頼むよ」
女将は、こういう注文に慣れているようで、「はいよ」と笑顔を残して厨房に消えて行った。
その間に、蛍太郎は、ルシオールの顔を覆っている部分だけ布をはずして、食事が出来るように準備した。
女将は、水差しとコップを二つ持ってすぐに戻って来た。
「オアシスの地下水だ。冷えてるよ」
「ありがとう」
蛍太郎は水差しを受け取ると、すぐに水をコップに注いだ。そして、ルシオールに差し出した。
「ほら、のどが渇いただろ?飲んでごらん」
ルシオールは、あの小屋に閉じ込められてから、一切の飲食をした事が無いそうだ。それはどんな状況だったのだろうか?
お腹は空いていると言ったのだから、辛くは感じていたのだろう。だから蛍太郎は、最初にルシオールに水を飲ませてやりたかった。
ルシオールが受け取って、水を口に運ぶのを見届けると、自分も夢中になってコップの水を飲み干した。渇きが癒やされるのを感じる間もなく、二杯目を注ぐと、また一気に飲み干した。
自分、思っていたよりも遥かにのどが渇いていた様だ。にもかかわらず、脱水症状にならずにここまで来られた事が不思議だった。
蛍太郎も、やっと人心地ついた気分になった。
そして、ルシオールにも二杯目を入れると、また自分のコップに注いだ。
「あんた、よっぽどのどが乾いてたんだね。砂漠からでも来たのかい?」
女将は蛍太郎の様子を見て笑った。実際に砂漠から来たのだとは告げず、蛍太郎は水差しのお代わりを要求した。そして、三杯目の水を、今度はゆっくり味わうべく口に運んだ。すると、一気に飲んでいた時には分からなかったが、ほんの少しだけ水がしょっぱい事に気付いた。
「しょっぱいなぁ」
蛍太郎がつぶやいた。水差しを受け取った女将は、その言葉を聞きつけて笑った。
「そりゃそうさ。この国は塩の産出国だよ。オアシスの水も、ほんの少しだけ塩分が混じってるのさ。でも、暑い国だろ。だからちょうどいい塩梅に、塩っ気が補給できるのさ。その代り、この国の料理は薄口だって言われてるよ。でも、しょっぱい水がいやならココナッツジュースでも出そうか?」
「ココナッツジュース?あるのかい?」
「そりゃ、あるよ」
女将はキョトンとしたが、蛍太郎には不思議な事だった。
ここは蛍太郎のいた世界とは違う世界のはずなのに、ココナッツがある。それに、思い返せばラクダもいた。
やはり、ここは異世界なんかじゃないのではないだろうか・・・・・・。
考えてみれば、蛍太郎の聞いた話は、ゲイル一人からの情報にすぎない。あの男が、妄想壁のある頭のいかれた人間だったとしたら、それを鵜呑みにするのは愚かだ。他の人間にも話を聞かなくてはならないようだ。
「じゃあ、一つ頼もうかな。・・・・・・それと少しだけ話が聞きたいんだけど」
「ココナッツジュースは承ったよ。でも、あたしも忙しいんでね。悪いけど話相手にはなれないよ」
女将は手を振った。
「いや、少しだけだからさ」
そう言うと、蛍太郎は銅貨を一枚テーブルに置いた。それを見た女将は、不承不承な表情ながらも、銅貨を受け取ると「なんだい」とテーブルの脇に立った。
まるで刑事ものの映画のようなやり取りをしている自分に、蛍太郎自身なんだかおかしくなって笑いそうになった。しかし、笑ってもいられず、確認しなければならない事があった。
「その、遠い外国の話なんだけど、日本や、アメリカって国知ってるかな?」
「なんだい?知らない名前の国だね」
女将もゲイル同様に即答した。蛍太郎の希望の芽は、またしても芽生えた途端に刈り取られてしまった。
「そうか。ならいいんだ。あと、グレンネックって国は住みやすい国なのかい?」
「そうだね。あそこは大きな国だから、住みやすい所もあるんだろうね。でも、海を挟んで競り合っている国、アインザークとの戦が絶えないし、近隣の国にもちょっかいを出しているようだから、どうなんだろうねぇ。ま、戦はどこでもやってるんだから同じかね。あたしらにとっては迷惑な事だよ」
女将はため息交じりに言った。
「ありがとう。じゃあ、ジュースを持ってきてくれるかい?」
蛍太郎が言うと、女将は目を丸くした。
「随分と気前がいいんだね。それっぽっちの話なのかい?」
もっと質問しとけばよかったかなと思いながらも、女将が思っている以上の情報を、蛍太郎は得る事が出来ていた。
やはり、ここは異世界だった。
ラクダがいて、ココナッツジュースがあっても、ここは蛍太郎のいた世界とは違っているのだ。そもそも、人間も存在しているのだし、地球と同じような生き物がいても不思議ではないという事か・・・・・・と蛍太郎は納得する事にした。
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