第7話 異世界 3

 少しして持ってこられたココナッツジュースは、ヤシの実にストローでこそなく、コップに注がれたものではあったが、やはりココナッツジュースだった。オアシスの西には海が広がっており、その付近一帯で採れるのだそうだ。

 ルシオールはココナッツジュースを一口飲むと、一瞬動きが止まって、コップの中身をまじまじと見つめていた。そして、もう一口すすって、僅かに笑顔を浮かべた。

「水ではないな。おいしいぞ」

 そして、大事そうに、ゆっくり、ちびちび飲んだ。そうしているうちに料理が出て来た。


 出て来たのは、大皿二つとスープだった。

 一つの皿には、骨付きの鶏肉の様なものに、ココナッツで作ったソースがかけられており、トマトとしか見えない野菜と、緑の野菜で彩られていた。

 もう一つには魚を丸々一匹揚げた物に香草がまぶされていた。

 スープは、黄色がかった透明な物で、少し酸味を感じさせる香りが漂っていた。

 更に、中皿も追加されて来た。これには、ナンのようで、もっと薄い、クレープ生地のような物が何枚か乗っていた。

 そして、スプーンとハシまで用意されていた。

 この「エレス」にもハシがある事に驚いた。


 もう一人驚いたような表情を見せたのは、ルシオールだった。

 大事そうにココナッツジュースを両手で包んで持っていたルシオールだったが、料理が登場するや、眠そうに半眼だった目を、大きく見開いて、一心に料理を見つめていた。

 ブルートパーズの瞳が、キラキラと輝きを増していた。小さな鼻もヒクヒク動かして、料理の匂いを嗅ぐのに夢中のようだった。

 椅子に座った、ルシオールには少し高いテーブルだったが、背筋も首も、ピンと伸ばして皿の上の料理を無言で、穴があくほど見つめていた。

 蛍太郎は、その様子を見て、思わず吹き出してしまった。しかし、ルシオールはそれにさえ気づかぬように見つめ続けていた。


「さあ、いただきますをして食べよう。いただきます」

 蛍太郎が手を合わせると、ルシオールも同じように手を合わせると「いただきます」と言った。

 しかし、どう食べていいのか分からないように、そのままの姿勢で、蛍太郎の方を見つめる。

 蛍太郎としても、どう食べていいのか分からなかったが、とりあえず箸で魚を少し剥いで野菜と一緒にナンのような物に巻いて、ルシオールに手渡した。そして、蛍太郎も同じようにして、手にした料理を口に運ぶ。

 女将が言ったように、やや薄口だったが、香草だけではなく、レモン汁も振りかけられているようで、魚の臭みを消して、さわやかな後味と、パリッパリに揚げられた魚の食感がとてもマッチしていた。

 ナンには味付けはしていなかったが、モチモチとした食感で、日本人である蛍太郎の口にも良く合った。

「うん。うまいな」

 それを見届けると、ルシオールも小さな口を精一杯広げると、料理にかじりついた。そして、ゆっくり噛んで味わう。

「うむ!うまいな!」

 これまではほとんど無表情だったルシオールだったが、料理が来てからは、実に生き生きとした表情を見せてくれていた。

 今はこぼれそうな笑顔を浮かべていた。瞳も潤み、青い宝石がその瞳からポロポロと零れてきても不思議には思わない位に輝いていた。

 ルシオールは、果敢に次の料理に手を伸ばした。蛍太郎も肉料理に手を伸ばす。肉の表面はカリカリに焼かれており、その上にココナッツソースがトロリとかけられており、これも美味しかった。

「うまい!」

「うまい!」

 二人は夢中で料理を平らげて行った。スープは少し酸味があったが、甘いココナッツソースの後には、ちょうどよかった。そうしたことをちゃんと計算されたメニューなのだ。

 蛍太郎は、男子高校生らしくガツガツ食べるが、ルシオールは、夢中になりながらも、小さい口で少しずつかじって食べる。


 全部食べ終わると、二人は満足そうに唸った。

 ルシオールは蛍太郎の方を見つめると、ニコリと笑いかけた。

「ケータロー。うまかったな。私は初めて食事をした」

 蛍太郎の胸が痛んだ。

 この少女は、あの小さな小屋に閉じ込められ、生まれてから一度も外に出た事も、食事をした事もなかったのだ。

 どうやって生きてきたのかは不思議だったが、それ自体は些細な事の様に思えた。重要なのは、この少女が、胸の痛む境遇にあったという事だ。無論、蛍太郎に責任があるわけではなかった。しかし、それでも胸は痛むものなのだ。

「ありがとう」

 ルシオールは礼を言った。また蛍太郎の胸が痛んだ。この少女が何者であっても構わない。何としても守りたい。改めてそう思った。




 蛍太郎は女将に、ゲイルという男が来たら知らせてほしいと告げると、二階の部屋にルシオールを伴って入った。

 部屋に入ると、粗末なベッドが二つあった。小さな部屋で、ベッドの他には、鏡台が一つとテーブルに椅子が二つあるだけだった。部屋の隅には、大きな桶にたっぷりの水が入っていた。

 女将によると、風呂はないので、この水で体を拭うのだそうだ。どうしても体を洗いたかったら、広場の端にある共同浴場があるので、そこに行かなければならない。

 

 桶の水は地下水ではないので、飲むなら、テーブルの水差しの水にしなければならないとの事だった。タオルも用意されていたので、さっそく蛍太郎はそれを水に浸す。

「これで体を拭くんだ。出来るかい?」

 ルシオールにタオルを差し出したが、ルシオールは小首を傾げて、タオルを受け取ろうとしない。

「服を脱がなきゃならないんだ。自分でやった方がいいだろ?」

 説明したが、ルシオールは何も言わないまま、蛍太郎の目の前で服を脱ぎだしてしまった。

「お、おい!女の子なんだから、人前で裸になったらいけないだろ!」

 あわてて蛍太郎が止めて、服を掛け直す。

「いけないのか?」

 不思議そうにルシオールが尋ねる。

 考えてみれば、ルシオールはずっとあの小屋で服を着ないで拘束されていたのだから、なぜ裸になるのがいけないのか分からなかったのだろう。

 蛍太郎としても、相手はまだ子どもだから、蛍太郎が体を拭いてやっても構わないような気もしたが、ここはちゃんと教えておかなければならないと、妙な責任感が湧いてきた。

「そうだよ。君は女の子だから、人前で裸になっちゃいけないんだ。裸になるのは、風呂に入る時と、一人でいる時。あ、一人でいる時は裸になっていいって事じゃなくって、その、難しいな・・・・・・。着替えたり、こうして体を拭いたり、必要な時だけだよ。・・・・・・分かった?」

 説明しつつ、蛍太郎にも訳が分からなくなってきた。ルシオールもそれは同じ様だったが、それでも小さく頷いた。

「わかった。一人で体を拭けばいいんだな」

「そうだよ。俺は外に出ているから、終わったら教えてくれ」

 安堵のため息をつきつつ、蛍太郎は部屋の外に出た。

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