第10話 王妃 4

「私は王妃でありながら、こんなにも体が弱い。おそらくもう長くはないでしょう」

 女官たちが色めき立つのを、手を上げて制すると続けた。

「お客様にこんなお話をするのもどうかとは思いますが、ここしばらく、私はあなたたちの元気に遊ぶ姿を部屋から眺めてました。とても可愛らしくて、微笑ましくって・・・・・・。今日は無理を言ってここまで連れて来てもらったのです」


 王妃の部屋は、この館の最奥なのだが、病状の悪化から、少しでも眺めの良い中庭の見える部屋に移り住んだのだ。

 もう魔導師も医者も薬師もどうにもできないぐらいに病は篤かったのだ。

 もっとも、エレスでは医者の技術も知識もかなり水準は低い。

 にもかかわらず、魔法は病に対しては効果が無い。

 それに、王妃は生まれつき病弱だったので、この年まで生きている事の方が奇跡とも言えた。

 だから、余計な心配を与えぬようにと、ルシオールたちの事も王妃には伏せられていた。


「私は子を持てませんでした。ですから、この子を近くで見たかったのです。とても可愛らしい元気なこの子を・・・・・・」

 王妃の声に陰りが生まれる。

「この子に会って良かったと思います。でも、不思議ですね。少し後悔してます。私も子どもを持ちたかった・・・・・・。この子のように元気な子を」

 女官の中には瞳を潤ませるもの、嗚咽を漏らす者もいた。

「どうしたのだ?」

 ルシオールが首を傾げて蛍太郎に訊ねる。それを「静かに」と言って制する。


「私には時間がない・・・・・・。子どもを産むだけの体力も残されていない。そう思うと残念です」

「時間がないのか?」

 ルシオールが王妃の前に立つ。王妃はルシオールの手を取ってニッコリとほほ笑んだ。

「ごめんなさいね。あなたのせいじゃないのよ。可愛らしいあなたに会えた事はとっても幸せだわ」

「時間がないのか?」

 ルシオールは蛍太郎を振り返った。蛍太郎は小さく頷いた。王妃に対して激しく同情している。王妃の切なさは、妹のほたるを守れなかった自分の切なさと通じるものがあるように思えたからだ。

「時間が欲しいのか?」

 ルシオールが訊ねる。王妃はキョトンとしたが、すぐに頬笑みを浮かべて答えた。

「そうね。子どもが産めるくらいの時間と体力があれば、もう充分よ」

「わかった」


 ルシオールがそう言った瞬間、世界の様相が一変した。世界から色が消え、白と黒の二色だけになった。空気が個体になったように体が動かなくなる。

 その変化は一瞬だった。瞬きするよりもはるかに短い一瞬だったがとても長く感じた。色が戻った世界の中でも、大気はいまだに動揺しているのか、肌にピリピリとした緊張を感じさせた。

 蛍太郎も、リザリエも、王妃も放心状態だった。女官の中には気を失う者もいた。

 館の内外も大騒ぎになった。

 そして、時間を置かずに装備で身を固めた兵士や魔導師たちが中庭に駆けつけてきた。

 今の異変の元凶は「深淵の魔王」によるものである事は容易に想像がついたのだろう。「深淵の魔王」に対して何か対抗する事が出来るわけではないのだが、放置しておくわけにもいかず駆け付けたようだった。


 そんな中、王妃が急に立ち上がった。

「そんな・・・・・・。信じられない!」

 王妃が叫ぶ。

「体が・・・・・・軽い。世界が・・・・・・温かい」

 見ると王妃の顔色が鮮やかな褐色となり、表情や声にも力がこもっていた。

 ジーンが駆けつけ、王妃を見つけるとすぐに駆け寄り、その手を取る。

「御無理をなされますな。お部屋にお戻りください、王妃陛下」

 女官たちを叱るような眼で見る。しかし、王妃の表情の変化に気づき、その動きを止めた。

 そこへグラーダ王も到着した。そして、ジーン同様王妃の変化に驚きの表情を浮かべる。

「そなた、病はどこへ飛んで行ったのかな?」

 その王の問いに、王妃は今までに無いような闊達かったつな笑顔で答えた。

「そこの可愛らしいお方が、時間の隙間に隠してくださったのです」

 全員の注目がルシオールに移った。しかし、ルシオールはすぐに蛍太郎の後ろに隠れてしまった。蛍太郎も何が起こったのかさっぱり分からないでいたが、王妃だけはすっかり理解していた。

「治ったわけではないわ。この可愛らしいお客様が私に時間をくださったんです。ほんのひと時ですが、かけがえのない時間を」


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