第10話 王妃 5
十日ほどが過ぎた。
ルシオールの周囲は少し変化が見られた。
時々、王妃が中庭に来て、少しの時間だがルシオールと遊ぶようになった。他に、数人の女官が話し掛けて来たり、笑顔を向けるようになった。
変化がない事もある。
館の外には未だに出られない。それと、ポチはまだルシオールにボールを渡してくれない。いつもリザリエか蛍太郎に手渡して、それをルシオールが投げるのだ。時にはボールを取り合ったりしている。
一度、ボールを追いかけたルシオールが池に落ちてしまったことがあった。
深さとしてはルシオールの膝より少し上ぐらいなのだが、ルシオールはびっくりした表情で「あや~~!」と叫んだ。
冷たいのと、何が起こったのか理解できなかったようで、水から起き上がって一声叫んだあと、さらに混乱した様子で、池の中から蛍太郎にしきりと何か訴えてきた。
「ケータロー。冷たい水だが、風呂か?しかし、人前では裸になってはいかんし、私は冷たい風呂より暖かい方がいい。外に出たいのだが、冷たい水もよいものだ。でも、私は服を着ているし、風呂では服を着てはいけないのだから・・・・・・」
二人でいる時は、ルシオールも口数が増えるものだが、ここまで混乱した話し方をするのは初めてだったし、なにより、無表情なルシオールが、多彩な表情を浮かべて、見ただけでも困りきっているのがわかる有様に、蛍太郎は新鮮な感動を覚えた。
「ケータロー!」
助けを求めるルシオールに答えるため、蛍太郎も池に足から飛び込んだ。
盛大に水しぶきが上がる。
「服を着たままでもいいよ。これは風呂じゃない。水遊びだ!」
言うなり蛍太郎はルシオールに水を浴びせかける。
オアシスから引いてきている池の水は、とても澄んできれいな水だった。暑いこの国での水浴びは、とても気持ちのいいものだった。
「あや~~!」
ルシオールは、またびっくりしたように、おかしな叫び声を上げたが、すぐに新しい遊びに夢中になった。
しかし、外の騒ぎに気付いたリザリエが部屋から出て来ると「この池で遊んではいけません」と叱られた。それでも、ルシオールの楽しそうな様子に、蛍太郎も若さ故の大胆さを刺激されて、二人で協力してリザリエも水の中に引きずり込んだ。
それ以来、時々三人は人目を忍びつつ水遊びを楽しんだ。
変化と言えば、宮廷内の議論にも変化が表れていた。
まずは王妃の事だ。地獄の魔王の力を受けた事が議論となった。
地獄の魔物たちは、人間に何か利益をもたらしたあと、代償を求めるものである。そして、その代償はほとんどが惨事・惨劇を生んでいた。
報酬以上の恐ろしい代償を支払う事になるのが常であった。
今回は魔導師はおろか、神でさえ治せぬ病を一時的にでも退けた以上、支払うべき代償を思っただけで、魔導師や文官を筆頭に、皆が不安に駆られていた。
アヴドゥルもこの件では恐ろしい警告ばかり国王に吹き込んでいた。
その事で、ルシオールを何とか追放できないかと言う話も上がった。もっともこれはそれによる報復の方が恐ろしく、誰も本気で追及する者はいなかった。
そんな中、王妃だけがそうした議論を一笑に付していた。
「馬鹿馬鹿しい話です。私はあの子に大切な時間をいただいたんです。私が後悔しないでこの世を去れるように、力を貸してくださったんです。感謝こそすれ、それを理由に糾弾するなどあってはなりません。もっとも、糾弾するような勇者はこの国にはジーン様以外にはおられますまい」
王妃の言葉を受けて、グラーダ王が返す。
「辛辣だな。それはわかるが、やはりルシオール様とて地獄の住人。力を与えてくださった事には感謝する。私もそなたがこれほど元気になった事を何より嬉しく思っている。しかし、やはり代償が心配なのだよ。この国に不幸が起きてはならんのだ。それは一個人ではなく、国王の義務として心配せねばならぬのだ」
深刻な表情を浮かべるグラーダ王に反して、王妃は平然と朗らかに笑う。
「あら。私は代償はもう支払いましたよ」
「な、何?いったい何を支払ったというのだ?」
「お菓子です」
この話は、奥の院で国王と王妃の二人だけで交わされた言葉だったのだが、どういう訳か後に広く知れ渡る事となった。
ともあれ、そんな王妃の強力な援護射撃もあり、ルシオール達が不利益をこうむる事は起こらなかった。
蛍太郎自身は、日常特に変わりはなかった。
王妃との対面時に思った、宮廷作法の学習については、のど元過ぎれば結局学ぶ事はなかった。
剣の訓練では、あまり才能のない自分に気付いていたが、それでも木剣から、刃を落としただけの練習用の剣を使うようになった。
剣の重さが増した事により、さらに扱いが難しくなり、そのあたりに壁を感じるようになっていた。できればもう一度、ジーンに稽古をつけて貰いたかったが、ジーンが他人を教えること自体が極めて稀な事だそうで、その様な機会には恵まれなかった。
その機会が巡ってきたのは、さらに五日ほど過ぎた頃だった。
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