第10話 王妃 6

 その日、蛍太郎が綿入りの上着を着込んで、脛当て、手甲を装着して練習場に入った。薄暗いトンネルの様な一本道の廊下を抜けると、そこが練兵場だった。

 練兵場は野球場ぐらいの広さがあり、中央は広く取ってあるが、端の方はいくつかの柵で仕切られていた。

 その柵の中が剣の練習場だった。

 いつもは中央の広場で行進や隊列、陣形などの様々な練兵を行っていて、大規模な練習が行われているが、練習場はそれぞれに練習する所なので、それほど人はいない。

 

 しかし、その日は広場での練兵は行われておらず、代わりに練習場が見えないくらいの人だかりがあった。

 何事だろうかと、人垣をかきわけて前に進み出ると、そこに一枚の絵画があった。ジーンが練習場の真ん中に佇んでいたのだ。

 練習場の中にいてさえ、一分の隙もなく磨かれた鎧を身に着け、黒地に銀糸で刺繍されたの盾十字のマント。練習用の剣を手に、静かに剣先を下げて構えていた。

 肩まで伸びた白っぽい金髪に、鷹の様に鋭い眼は、それでも静かな深みを感じさせた。男が見てもそれは美しく、惚れ惚れと見とれてしまうほどであった。

 周囲の兵士たちも、練習を忘れて息さえひそめてその一挙手一投足を見つめていた。


 すると、ジーンが蛍太郎に気付いた。

「やあ、待っていたよ」

 ジーンは蛍太郎の事を待っていたのだ。周囲の兵士たちも蛍太郎に注目する。

「頑張っているそうじゃないか」

 ジーンは優しく微笑んでいる。今日、久しぶりに見るジーンはとても友好的な雰囲気だった。

「一つ稽古をつけてやろうかと思ったんだが、どうだい?」

 否応もなかった。

 ジーンが急に友好的になった理由は、蛍太郎には想像がついた。リザリエからジーンがなぜこの国にいるのか、そして、国王と親交が厚いのか聞いたからだ。


 グラーダ国王の王妃、カザ・フェリーナは元々病弱だったが、数年前から死の病に、その身を蝕まれていた。すでに魔法は苦しみを和らげる役にしか立たなかった。

 神の力も及ばなくなった王妃に、グラーダ二世は「知恵ある竜」、「創世竜」の力を求める事にして、国を開けて一人旅に出たそうだ。

 その途中でジーンと出会い、苦楽を共にして旅をしたが、結局「知恵ある竜」にたどり着く事が出来なかった。

 その理由は王妃の容体が悪化したとの知らせを受けたためだった。竜の巣での探索でグラーダ二世自身も傷ついていたので、探索を打ち切り、国へと帰ったのだが、すべてを見届けるためにジーンも共に来たのだという。

 彼にとっては、見ず知らずだった王妃の事も、すでに自分の家族の様に思っていたらしく、衰えゆく王妃と、それを見て苦しむグラーダ王をみて、とても胸を痛め、それからグラーダ王を補佐してきたのだという事だ。

 それが、先日ルシオールによって王妃が元気な姿となったのだ。彼にとって、ルシオールや蛍太郎は恩人であった。



 夢の様な一時だった。

 蛍太郎が剣を繰り出すと、ジーンが剣で受ける。音は一度として「ガン」「ギャリギャリ」と鈍い音は立てず、よく切れるハサミを動かしたように「シャッ」「チリリン」と心地よい音色ばかりが響いた。ジーンが受けると、蛍太郎の剣は導かれるように流れ、そのままの勢いで次の攻撃が繰り出せた。

 足はよろける事もなく、誘導されるように次々とステップを踏んだり踏み込めたり出来た。

 蛍太郎はひたすら攻めた。そのすべては受け流されたが、それでも、今まで想像もした事がないくらい無駄のない連続攻撃が繰り出せた。

 ジーンも時々攻撃を仕掛けてきたが、剣が剣に吸い寄せられるように、ジーンがやるような受け流しが蛍太郎にも出来た。

 端から見ていると達人同士の剣舞に見えるかもしれないと、自惚れた自信がこみ上げてくる。

 ジーンからの指示はなく、二人とも無言で、時々鋭い呼気を発しながら小一時間ほど剣を振るい合っていた。普段の練習と比べて、何倍も激しく動いたはずであるのに、蛍太郎の手や足はそれほど疲れていなかった。

 さすがに息は上がっていたが、まだまだ剣を振るうだけの力はあった。

 互いが剣を縦に構えて礼をすると、練習が終了した。周囲で見ていた人たちが拍手を送る。そして、今見た動きを忘れないうちにと、我先にそれぞれ練習場や、広場に出て剣を振りに行く。


「上達したものだ」

 ジーンがほほ笑みながら言う。ジーンは全く息を乱していない。重い鎧を身に着けていながら、何と言う体力だろうかと感心する。それが表情に出たようで、ジーンが笑う。

「この鎧はそれほど重くはないんだよ。鉄ではないからね。これは竜の鱗を精製した魔法鎧なんだ。だから、とても軽くて丈夫だし、鎧特有のガチャガチャうるさい音もしないんだよ」

 鎧は光輝いていて、鱗が原料だとは信じられなかった。しかし、そう言えばあれだけ動いてもガチャガチャと鎧が鳴る事はなかった。

 蛍太郎は知らなかったが、この鎧一つで、グラーダ国一つぐらい買えるという代物だった。

「その・・・・・・。僕が上達したわけじゃなく、ジーンさんの腕で、うまく誘導されてたような感じでした・・・・・・」

 蛍太郎は正直に感想を言った。自分があんなに動けるはずがない事はわかっていた。

「なに。相対していればわかる事もあるんだよ」

 そう言うと、ジーンは練習場を後にした。

 蛍太郎もそのまま練習場を出る事にした。すでにどの練習場も人がいっぱいで使えない状況になっていたからである。

 ジーンとの練習での動きがまだ体を興奮させており、体が覚えているうちに練習をしたかったので、練習用の鉄剣を持ち帰り、中庭で練習しようと思った。

 持ち出したら咎められるのかもしれないが、自分の身分であれば許されるだろうと勝手に判断しての事だ。

 

 練習用の鉄剣には鞘がないが、刃も付いていないので、右手で柄を持ち、柄元を左脇で挟んで、切っ先を下にして運ぶ。刃は付いていないと言っても、切っ先は鋭いので人に当たったら危ないからである。

 喧騒と活気ある練兵場を後にして、暗い長いトンネルの様な廊下に差し掛かった。兵士たちは現在勤務・訓練時間なので、普段ならこの時間に練兵場を出入りする者はいない。

 自由な時間に練習をする蛍太郎は全く人気のない廊下を、一人で歩いていた。

 暗がりの柱の陰から、音も気配も消して、ヒョロリとした長身の、影そのものの様な男が現れ、蛍太郎の背後に迫ってきた事に、蛍太郎は全く気付いていなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る