第10話 王妃 3
不自由な点もあった。蛍太郎たちが、町に遊びに行きたいと提案したが、その度に断られたのだ。
あの災害から、町はようやく復興してきたばかりで、その元凶とも言うべき二人が町に出ては、いらぬ混乱を招くというのだ。
確かにあの時、ルシオールと蛍太郎が捕らえられるのを目撃した者は多い。町中に噂が広がっているのだろう。
今、トラブルが起こるのは避けた方がいいというのは間違いではない判断だ。
しかし、ルシオールが毎日することもなくポチと池のほとりにいるのを見ると、なんともかわいそうに思えてくる。
ルシオールは現状については何も言わない。時々服が変わったりするが、ルシオール自身には変化はない。
ルシオールが服を無限に作れるようなら、服屋でも開けるかと甘いことを考えたりしたが、脱いだ服は数日でどこへともなく消えてしまっていたので、安直な考えは早々に捨てる事にした。第一それでは、蛍太郎はまるでヒモ男である。
それに「つるの恩返し」の様な羽目になるのはごめんこうむりたい。
ルシオールの世界は、いまだ「ケータロー」と「リザリエ」と「ポチ」だけだった。他に関わってくる人間はいなかったし、彼女自身それほど大勢の事を認識する必要を感じていないようだった。
だが、ある日、そこに少し変化が訪れた。
蛍太郎は、その日は午後から剣の訓練に行こうと思い、午前中はルシオールと遊んでいた。
もちろんリザリエとポチもいた。
ポチは、未だにルシオールと自分は同格とみなしているようで、ボールをルシオールに渡さない。
それでも、ルシオールは満足してポチと遊んでいた。
無表情なので、楽しそうには見えないが、おそらく楽しんでいるのだろう。
膝丈の薄手のドレスに頭に乗せるだけの様な帽子。いずれも黒が基調で白いレースがたくさん付いている。胸元のリボンと靴だけが真っ赤だった。
髪は蛍太郎が毎日結んだり編んだりしている。今日は左右と後ろの三つを小さくまとめて垂らしている。
まるで西洋人形の様だが、そんな恰好で犬を追いかけて走りまわっていた。
「ルシオール様。そんなに走りまわっては、また転びますよ」
リザリエが声をかける。リザリエは貴族とは名ばかりの貧乏貴族の長女として生まれて、魔導師の弟子になるまでは五人の弟妹の世話を見ていたそうだ。
そのせいか、この頃は蛍太郎やルシオールを弟妹の様に扱う事がある。リザリエには悪気も自覚もないし、蛍太郎にとっても心地よかった。
蛍太郎が、この何気ない一時を楽しんでいた時、背後から声が掛けられた。
「楽しそうですね、お客様方」
蛍太郎が振り返ると、数人の女官を連れた女性が立っていた。その女性は、片手を一人の女官に支えられており、気品ある顔立ちだが頬がやつれて顔色も悪く、一見して体調が悪そうだった。
「王妃殿下!」
リザリエが悲鳴のような声を上げた。すぐに居住まいを正して跪こうとするリザリエを王妃は片手を上げて制した。
「良いお天気だこと・・・・・・。久しぶりの外です」
女官が差し出した椅子に腰を下ろす。そのまま倒れ込んでしまいそうに頼りなげに見える。女官たちの表情は一時として緩まず緊張している。それだけ王妃の体調は良くないのだ。
蛍太郎はルシオールを呼ぶと、王妃にあいさつをした。
「はじめまして。この館でご厄介になっている蛍太郎です。この子はルシオールです」
王妃へのあいさつだが、近所の人にでもあいさつするような言葉しか浮かばない自分に、いまさらながら宮廷作法も勉強しておけばよかったと後悔した。後悔しながら、きっと翻訳魔法がうまく働いてくれているだろうと、甘い期待を抱く。
「かわいらしい子ですね」
王妃はさっきからルシオールを見て、頼りなげに微笑んでいた。
「どちらの国からいらしたのですか?とても素敵な服装です。それに見た事も、想像した事もないぐらいに美しい瞳と髪ですね。とても可愛らしい」
王妃の言葉や表情から、ルシオールへの混じりけのない好意が感じられた。この世界に来て初めての事だった。
それと同時に、王妃にはルシオールたちに関するすべての情報が与えられていない事が窺えた。
事情があるのだろうと、リザリエに目配せすると、リザリエもそれを察して小さく頷いた。
「その、私たちは、それは遠い国から来ました」
蛍太郎はとっさにそう答えた。
「そうですか」
王妃は特に追求するでもなく、あっさりとその言葉を受け入れた。
「ルシオールちゃんはおいくつになられたのかしら?」
「えと、十、もうすぐ九歳になります」
エレスの年齢では、たぶんそのくらいの年齢に見えるはずだ。
「お菓子はいかが?」
女官がお菓子の入ったカゴを差し出す。
「食べる」
ルシオールが答えた。そして、蛍太郎の方を窺い、頷くのを確認すると、かごに手を伸ばす。そして、甘い蜜のかかった焼き菓子を一口食べるとニッコリと笑った。
この頃は、食事やおやつになると、表情が劇的に変わるようになってきた。ブルートパーズの様な瞳を輝かせて、ニコニコ笑うのだ。
「おいしい!」
ニッコリ笑ってお菓子を一つ食べ終わった後で、急に真顔になり蛍太郎の顔を窺いながら呟いた。
「・・・・・・いただきますを言うのを忘れた。手も洗わなかった・・・・・・」
どうやら困っているようだ。
それを見た王妃は、声を上げて笑った。笑った後で激しくせき込み、女官たちを蒼白にさせた。しばらくしてようやく落ち着くと、また口を開いた。さっきより声に力がない。
「本当にかわいらしい、よい子ですね」
王妃の合図で、またカゴが差し出された。
蛍太郎はルシオールの手を濡らしたハンカチで拭いてやった。それでルシオールは、安心したように「いただきます」を言ってお菓子を食べる。
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