第6話 魔導師の館 4

 薄曇りの夜空は、墨を流したような深い闇をたたえている。

 しかし、大きな町中であるため、家々の窓から漏れ出る明かりと、この館のあちらこちらで焚かれている篝火は、空の黒さを地上にもたらす妨げとなっている。

 この闇梟館イールエルドベルンの近隣の住人は、今夜の篝火の多さに首を傾げていたが、ジーンにとってはその理由は厳然としている。

 ルシオールの身柄を確実に確保する為である。

 

 蛍太郎が、すぐにこの場所を突き止めて奪い返しに来る事はキエルアも考えてはいないだろうが、慎重であっても度が過ぎる事はないとは考えているだろう。


 門前には四人の男が武装して槍を立てて警備している。

 数分おきに三人一組の歩哨が、別の組と声を掛け合いながら、中庭を交差していく。

 中庭の一棟には、不寝番の警備兵が数十人待機しており、時間で見回りを交代している。

 建物内も同様の警備がなされているだろう。

 公爵所有の館の中では小さいが、それでも中庭には噴水や東屋もあり、三階建ての建物は大小の部屋が三十ばかりある、一般的な館としてはかなり大きいものである。

 この規模では、兵士たちは百人は詰めているに違いない。

 それほどの兵を配置する慎重な男ではあるが、キエルアの思考の中にジーンの存在は計算されていないだろうと言う事は、警備の度合いから分かる。

 もし、ジーンが来る事を想定していたなら、この程度の警備では、とてもではないが足りない。

 これまでのジーンの伝説がそれを充分に証明していた。

 事実、すでに館の二階のテラスに、ジーンの姿があるのだ。




 ジーンは「無我」を使って、テラスから室内に侵入する。

 気配を殺し、物音も立てずに潜り込んだ室内を横切り、廊下へ続くドアに身を寄せる。周囲の気配を探る「無明」の技を使い、この館の半分以上の範囲の人間の気配と動きを察知する。

 想像通り、かなりの数の人間が絶えず動き回っている。この二階にも十人ばかりの警備兵が見回りをしている。

 次にジーンは、魔法探知を行う。

 ジーンは騎士で、魔法は使えないとほとんどの人は思っているが、実は魔法の才も卓越している。

 精霊族であるハイエルフに、ハイエルフの使う魔法を伝授された、エレス史上でも希な人物であった。

 普段は技で魔法を無効化しているが、魔法による結界を抜ける為には、こうして魔法を使う事もあった。


 館の最上階、東の最奥の部屋周辺に、特に魔法の防御結界が施されている。

 逆に、西館の最奥には、極端に魔法の気配がない。


 これが示すのは、東の最上階にキエルア、西の最奥にルシオールがいるという事である。


 それがわかれば、即行動に移す。

 ジーンはおもむろにドアを開けて、廊下に出るとドアを閉めた。ドアは軋む音すら立てずに開閉する。

 そして、ちょうどドアの前を通過した見回りの兵士の背後にピッタリと張り付いて、廊下を進んで行く。間違いなくジーンはドア越しにタイミングを合わせたのだろう。

 しばらく進むと階段に行き着くので、するりと見回りの兵士から離れて、階段を上っていく。

 階段の上からも見回りの兵士が降りてくる。

 ジーンは踊り場の角に静かに立つ。兵士はジーンの目の前を通過するが、ジーンには気付かない。


 そして、ジーンは易々と三階にたどり着き、東の最奥の部屋に向かう。

 ジーンはルシオールの救出よりも、キエルアの抹殺を優先していた。

 三階でも見回りの兵がいる。更に、立って警備している兵士も少なくない。

 周囲を警戒している場合には、ジーンの「無我」にも、反応する可能性がある為、ジーンは無理はせずに、近くの部屋に滑り込む。

 キエルアがジーンの存在を知ったなら、すぐにでもこの館から逃走するだろう。そして、見失ってしまえば、再びここまで接近する事は難しくなる。気付かれずに、確実に殺せるところまで近づく必要があった。

 魔法の防御はジーンは突破できる。

 

 キエルアのいるであろう部屋には、窓から入ろう。そう計画を立てて、この部屋の窓に近寄ろうとしたジーンは足を止めて静かに剣を抜く。



「ヒュ~~~ウ」

 賞賛の色を感じさせる口笛が室内で吹かれた。ジーンは室内の闇の中に視線を送る。

「うわ!かわいくないな~。簡単に俺の気配を察して、尚見つける。オマケに全く驚かない」

 部屋の書棚の陰からスラリとした黒衣の人影が滑り出た。

「あんたただ者じゃないな~?」

 黒衣の男は、愉快そうに低めた声で言って、「クックッ」と嗤う。

 ジーンは答えずに一歩前に進み出る。何気ない足取りだが、たったの一歩で彼我の距離が一気に縮まる。

「のわ!てめぇ、動くんじゃねぇ。大声出して騒ぐぞ!」

 騒がれて困るのはジーンである。声を出させぬまま相手を葬り去る事も考えたが、相手もただ者ではない。

 ジーンの無我を見破り、かつジーンに気取られずにこの部屋に潜伏していたのだ。

 ジーンが足を止めると、男はさっと動いて回り込み、窓を背にして立つ。

「ふう。油断も隙もあったもんじゃない」

 男も今度は気を抜く事なく立つ。

 

 片手はだらりと垂らし、もう片手を背後に隠す。恐らく何らかの武器を持っているはずだが、その正体を相手に気取らせない事で、間合いも取り難くしている。

 男が取った距離から推測するに、飛び道具ではないかと思われるが、ジーンは黙って男を見据える。外からの明かりで、逆光となるように位置取りをしている。

 男が叫べば、ジーンの背後のドアからは、兵士が殺到してくる上、退路となる窓は男がふさいでいるのだから、普通なら絶対絶命の状況とすら言えるが、ジーンは覚悟を決める風でもなく、ただ涼しげに黙って立っている。

 その余裕すら感じる雰囲気に、男の方が不安を覚えたようで、しゃべり始めた。

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