第8話 あの夏 3
彼らの質問攻勢は、数日続いたが、その内、質問は減っていき、代わりにどうでも良いおしゃべりにスライドしていった。
彼らの不屈さは、蛍太郎が自分でもどうかと思うくらい素っ気ない対応をしても「クールじゃん!」で済まして、平気で蛍太郎の精神的外堀の中に踏み込んくる程である。
最初はひどくイライラしていたが、やがて蛍太郎も、彼らの飾らない好意をありがたく感じる様になってきた。
そしてある日、これまでずっと言えずにいた事を打ち明けたのだ。
「なあ、多田。」
「ん?どうしたクール山里」
多田の呼び名に頭の中で「センス壊滅的だな」と毒付きつつ、気を取り直して続ける。
「あのさ。お前いつも「じゃん」「じゃん」言うけど、東京の人間はあんまり「じゃん」って言わないんだぜ」
「なっ!?」
その時の多田は、細めの目をまん丸に開き、口が器用に菱形に開いて、自分が受けた驚きによる衝撃の凄まじさを、顔全体で物語っていた。
そして、瞬時に顔を朱に染めて叫んだ。
「うそだろおおおおおおおぉぉぉぉ!!」
その様子に、周囲にいたクラスメイトたちは呆気にとられたが、蛍太郎は思わず吹き出してしまった。
そして、実に一年半ぶりに蛍太郎は心から笑った。
笑う蛍太郎にさらにギョッとしたクラスメイトたちも、いつしか共に笑い合っていた。
なぜかは分からないが、その場にいた全員が涙を流して泣き笑い、肩を叩き合っていた。
蛍太郎の心の氷が溶け始めたのは、まさにその瞬間からだった。
次はホームルームの時間である。
自分がもたもたしていたからかも知れないが、どうにも視線が冷たく感じてしまう。
担任からのプリント配布。
学校生活の中ではごく当たり前に起こるイベントである。
夏休みを前に、大量のプリント配布が為されるに当たって、数人の生徒が手分けして座席の縦列枚数ずつにプリントを置いていく。
最前列の生徒から一枚自分の分を取って、後ろに手渡していく手順だ。
最後列の生徒はただ受け取るだけになるので、必然的に配布の手伝いに回る事になる。蛍太郎も転入生であるため、最後列で手伝いの役目を負わされていた。
それにしても、手が乾燥していて、プリントを数えるのに時間がかかる。
蛍太郎のすぐ後ろでプリントを配るのは、クラス委員長である根岸小夜子だった。彼女は絵に描いたような委員長であり、実にてきぱきとしていた。
プリント配布も慣れた手つきで、蛍太郎が作業を終えるのを待っている。
蛍太郎が配布して、次の列に移動を終えるまでに、そのテーブルにプリントの束を置き、蛍太郎の作業完了を無言で待っているのだ。
後頭部あたりの気温が冷たく感じてしまうのも、気のせいばかりではないだろう。
根岸小夜子。
黒い髪を後ろに束ね、紺色のブレザーを一分の隙も無く校則に合わせて着込んでいる。
テンプレートに眼鏡まで掛け、アニメやゲームに出てくる委員長像とぴったり重なる。さらに定番だが、クラスメイトからは「委員長」と呼ばれたりしてた。
無愛想で口数少なく、口をきいてもキツいしゃべり方をする。
放課後に勉強を教えてくれている時は、それ程キツくは無いが、無言で見られていると思おうと、やはり何となくプレッシャーを感じてしまう。
全てのプリントを配り終えた時には、蛍太郎は思わず大きく息を吐き出していた。
「お疲れ様」
後ろから声を掛けられて驚いた。振り返ると無表情、無感動に小夜子が立っていた。
「ああ・・・・・・。お疲れ様」
そう返事してから頭を掻く。
「もたもたしちゃって悪かったね」
蛍太郎の言葉に小夜子は少し首を傾げた。それから、少し慌てたように首を振った。
「ああ。あの、いいの。私が早過ぎちゃっただけだから。ごめんね。プレッシャーだったりした?」
どこかイントネーションに訛りを感じるが、ほとんどの人が東京の標準語でしゃべるのが、蛍太郎には逆に驚きだった。
「うん。実は・・・・・・」
蛍太郎は正直に言った。
すると、小夜子はクスリと小さく笑うと「ごめんね」と言って自分の席に戻っていった。
蛍太郎は軽い驚きと、自分の認識の変更を考慮する必要性を感じていた。あんな風に笑うのは見た事が無かったからだ。
同時に、いつも勉強を教えて貰っているというのに
、随分と失礼な事を言ったのではないかと、軽く後悔もしていた。
そう思って小夜子を目で追いかけると、隣席に座った小夜子と目が合った。
蛍太郎は何となく口だけに笑みを形作ると、小夜子は慌てて目を伏せた。
まあ、これからも一緒のクラスなんだから、話す機会はあるだろうと思っているうちに、夏休みが到来したのである。
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