第9話 グラーダ国 4

 ルシオールは、そんな遊びが気に入り、しばらく続けた。

 続けながら蛍太郎がちょっとした思いつきを口に出してみた。

「この犬を飼う事って出来ないのかな?」

 リザリエは僅かに眉をひそめた。いろいろ懸念することがあってのことだが、犬が苦手だと言うこともリザリエの表情筋の動きに干渉したのは否めない。

「出来ない事はないでしょうが、飼ってどうされるおつもりですか?」

「いや、特に考えはないんだけど、ルシオールにとっていい事なのかもって思ったんだ。ダメならいいんだ。僕も考えなしに言っただけだから。大体、これから先の事も全く分からないんだから、さすがに無理っぽいですね」

 少し冷静になると、犬を飼う余裕などない事に気づき、蛍太郎は苦笑した。リザリエも笑うべきではないとわかっていてさえ、思わずクスリと笑ってしまった。


「でも、いいですね。飼うまではいかなくても、ここに遊びに来た時はいっぱい遊んであげたらいいでしょう。餌付け行為になってしまいますが、私が良いように取り計らいます」

「ありがとう。じゃ、遠慮なく利用させてもらうよ」

 蛍太郎は、自分たちの問答に、先行きの不安定さを感じたが、その影を押し退けて、今の時間を平穏に過ごす事にした。

「ルシオール。この子に名前をつけないかい?」

 蛍太郎の提案に、ルシオールは小首を傾げた。

「名前?『犬』・・・・・・ではないのか?」

「違うよ。『犬』は、この動物の種類の名前だ。俺が蛍太郎、君がルシオールと言うように、この犬にも名前を考えてあげないかって言ってるんだよ」

 理解しただろうかと、ルシオールの顔を覗き込むと、ジーッと犬を見ている蒼眼がくるりと動いた。

 蛍太郎は悪い予感がした。その通りにルシオールは犬を指差して「ケータロー」と言った。蛍太郎はがっくり肩を落とした。

 リザリエは、成り行きを見守っているが、ルシオールが何をどう理解してしゃべっているのか、まったくつかめていない様子だった。

「違うって。蛍太郎は俺の名前。ルシオールは君の名前。だから、犬には違う名前をつけなきゃだめなんだ」

「そうか。でも、名前など付けた事がない。どんなのがあるのだ?」

「そうだね。・・・・・・えーと。ポチ。ジョン。ゴロー。タロー。ベス。昔近所にいたのがブライアンだったな。俺もセンスないな・・・・・・。ってか、こいつオス?メス?」

 改めて蛍太郎は子犬を見てみる。

「オスですね」

 角度的に、先に確認したリザリエが答える。

「そっか。じゃあ、かっこいい名前がいいかな」

 ルシオールがジーッと蛍太郎を見つめる。蛍太郎が決める事を要求している思いが込められた眼差しだ。蛍太郎はあれこれと考えを巡らせた。が、出てきた答えは投げ遣りなものだった。

「・・・・・・じゃあ、『ポチ』で・・・・・・」

 我ながら情けなくも安直だと反省した。しかし、ルシオールは「あい」と、満足げに頷いた。


 しかし、リザリエは首を傾げていた。

「子犬なのに『おじいちゃん』なんですか?」

「おじいちゃん?」

「だって、『フォシィ』って言いましたよね」

「いや、『ポチ』だけど・・・」

 リザリエは眉をひそめる。うまく聞き取れなかったようだ。

「ポ・シィ?フォシィ?」

 蛍太郎もリザリエも頭が混乱してきた。

 しかし、蛍太郎がその原因に思い至った。

 蛍太郎を助けている、不思議な翻訳能力によるものだと。


 この翻訳は、蛍太郎の理解に合わせた翻訳を自動で選択して行われているようだった。名詞にしてもそうだ。

つまり、今は『ポチ』と言う名詞はリザリエにはそのままの発音で届いたのだ。

 しかし、「ポチ」と言う発音がリザリエの本来の言語(エレス公用語だろうか)では聞き取りづらく、発音もしにくいものなのだろう。そこで、「フォシィ」と間違えて聞こえた。

「フォシィ」は、リザリエの使っている言語では「おじいちゃん」と言う意味なのだろう。

この翻訳能力は自動で行われている不思議な力だが、非常に使い勝手が良いようで、これを応用すれば、この国の言語を学習することができるかもしれない。

「そうか。『フォシィ』はおじいちゃんか」

 蛍太郎は呟いた。リザリエは困った表情で、曖昧にほほ笑んでいた。


「ポチ」

 ルシオールが犬の名前を呼んでみていた。

 犬を指差して「ポチ」。蛍太郎を指差して「ケータロー」。自分を指差して「ルシオール」。

 そして、リザリエを指差して・・・・・・「ポチ?」と小首を傾げるルシオール。思わずマンガの様なずっこけ方をする蛍太郎。ポカンと口をあけるリザリエ。

「違うよ。この人は『リザリエ』だよ!」

「あい。リザリエ」

 素直に頷くルシオール。

 それを見たリザリエは声を上げて笑う。ツボにハマったようで、大笑いも大笑い。涙を流して笑い続けた。蛍太郎が心配になり始めた頃、ようやく笑いが収まったリザリエは「失礼しました」と言って表情を引き締めた。


 そして、ルシオールの前に跪いて宣誓した。

「私はリザリエ・シュルステン。魔導師末席ですが、ルシオール様をお助けいたします。何なりとお申し付けください」

 跪く美しい魔導師に、その宣誓をジッと受け取るルシオールの二人の姿は、とても絵になる光景だった。

 と、蛍太郎が息を飲んだのも束の間、ルシオールがスッと蛍太郎の背後に回り込んで「ケータロー」と、無表情の中にも困ったような雰囲気が漂った瞳で訴えてきた。

 ルシオールは今はじめてリザリエの存在を認識したのかもしれなかった。そして、突然の接近に、子犬の登場時と同じ様に戸惑ったのだろう。

 蛍太郎は、苦笑して、ルシオールの頭をなでる。

「遊んでもらうと良いよ。ポチと一緒にね」

 ルシオールは、蛍太郎の了承を得ると、とたんに素直になる。

 スッと蛍太郎から離れると、リザリエの手を取ってハンカチボールを手渡して、ポチとの遊びに誘った。犬が苦手なリザリエは一瞬緊張したが、すぐに表情を軟らかくしてルシオールと遊び始めた。

 蛍太郎は黙ってその様子を眺めながら、これからの事へ思いを巡らせた。

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