第9話 グラーダ国 5

 その夜、蛍太郎は呼び出しを受けた。リザリエの師匠、魔導師キエルアからの招請である。


 呼び出しを受けたのは蛍太郎一人であった。食事も済んで、ルシオールはすでにベッドで寝息を立てている。

 蛍太郎は、この招請の使者であるリザリエに、断る意を伝えた。ルシオールを一人で寝かしておくわけにはいかないと考えたからだ。

 それを聞いたリザリエは、少し困った表情をした。彼女にしてみれば師匠の顔を立てなければ面目が立たないのだろう。

 しかし、この国の最重要な賓客である蛍太郎たちに無理強いする事など出来ない以上、戻って師匠に蛍太郎の意を伝えねばならない。

 今は重要な仕事として、蛍太郎たちの側付きの役割を与えられてはいるが、それは年若い女だからと言うだけの理由である事はリザリエにはわかっていた。

 魔導師末席は、同じ魔導師たちの間では肩身が狭いのだ。


 「承知しました」と答えながらも、その表情が曇るのが隠せなかった。さすがに気の毒に思った蛍太郎は、リザリエに提案をした。

「わかりました、会いますよ。でも、その間ルシオールについていてほしい」

 リザリエの表情が明るくなる。

「ありがとうございます。それでは、ルシオール様は私が責任を持ってお守りいたします」

「頼みます」

「それでは、案内の者を別に呼びますので少々お待ちください」

 リザリエは頭を下げると、走って本館の方へ戻って行った。

 リザリエはすぐに、別の案内役を連れて戻ってきた。


 リザリエにルシオールを託すと、蛍太郎は案内係に連れられてキエルアの待っている部屋に向かった。

 キエルアは、蛍太郎たちが逗留している館の見える露台バルコニーで待っていた。

 そして、蛍太郎の到着を告げられると、「やあ」と声を掛けて来る。

 キエルアは露台に用意されている簡素な椅子に腰かけており、向いの席を手で指し示し座るように促した。


「このような時間にお呼び立てして申し訳ありませなんだ。ご足労痛みいる」

 年は地球の時間換算で五十台後半か、六十台と言ったところか。鼻が高く彫りが深い、あごに短いひげを蓄えた深い知識を感じさせる哲学者の様な風貌だ。厳しい表情を和らげようと努力している様子が窺えた。

「ルシオール様もお休みとの事ですが、我が弟子はお役に立ててますかな?」

 なるほど。この場所を会談の場として選んだのは、館が見える位置で、蛍太郎の警戒を少しでも和らげるための配慮と言うわけだ。

 蛍太郎はそう推測しながら、その配慮に感謝するよりは、より警戒心を抱いた。蛍太郎は、リザリエの師キエルアに対して、不快な先入観を抱いていたからである。

 彼はリザリエに体を差し出させるつもりで蛍太郎にあてがったのだ。彼女の人権や意志を無視して命じたのだ。

 それは、国、世界の存亡にかかわる一大事であるための緊急措置としてやむを得ず取られた処置だと聞かされてはいたが、若い蛍太郎には納得できない事だった。

 特に平和な日本に育った蛍太郎にとっては。

 だが、そんな蛍太郎の心中など、老練な魔導師には見通されていた。

「そう構えんで下され。私としても、ケータロー殿が立派な青年だと分かり、正直ホッとしておるのです」

「はあ」

 曖昧な返事をして、勧められるままに椅子に腰を下ろした。

 

 キエルアは茶を用意させると、案内の者をすぐに下がらせた。

 狭い露台には蛍太郎とキエルアの二人があるばかり。

 眼下には犬と遊んだ池が見える。壁を見ると、この露台が天然の岩をくりぬいて作られたものだとわかる。

 下から見た時は手摺の装飾が、張り出した岩に隠されるので、単なる穴にしか見えないだろう。中庭から岩壁を見ると、そうした穴がたくさん開いていたのを思い出す。

「なに、お呼び立てしたのはいくつか聞きたい事があったからです。無論大切な事もありまするが、単に私の好奇心からお尋ねしたいのです。ケータロー殿の体験もさる事ながら、なんと言っても蛍太郎殿の住んでいた異世界の様子も、大変心そそられる奇談ですからな」

 そう言ったキエルアの様子に嘘はないように見えた。キエルアには王たちとの会談の時に、一通りの事は話していたので、いまさら異世界人だと隠す意味など事もない。

「なんでしょうか?」

 キエルアは、ゆったりとした姿勢で、茶をすすり、肩眉を上げて蛍太郎を見た。

「まあ、まずは大切な話をさっさと済ませてしまいましょう。私としては、好奇心を抑えるのに辛抱しきれないところまで来ておりますでな」

 いたずらっぽい表情に、蛍太郎の最初に抱いていた警戒心が薄らいでいく。


「正直なところ、ルシオール様は何をなさるおつもりか、ご存じですかな?」

 静かにキエルアが話し出す。

「我々は今日一日を費やして様々な議論を戦わせましたが、結論など出るはずもなく。・・・・・・と言って、誰もそれを直接訊ねようという勇者もおりませなんだ。実を言うと私も、先刻にリザリエからの報告を受け、ケータロー殿の人物を知るに至るまで、恐ればかり抱いておりました」

 キエルアの言葉に、蛍太郎は素直には喜べなかった。

 しかし、そんな蛍太郎の思いとは裏腹に、キエルアは感嘆の眼差しで蛍太郎を見つめている。

「リザリエによると、ケータロー殿は、類まれなる高潔の士と聞きました。であれば、正直に訊ねる事が一番であると判断した次第です。無論、ルシオール殿も一緒なら良いかとも思いましたが、よく眠られる方なので、起すのはやはり恐ろしいものでして、蛍太郎殿にお尋ねする次第です」

 キエルアの言い分により、蛍太郎は納得するよりなかった。

 また、リザリエにそれほど評価されていた事を知り、耳まで熱くなるのを感じた。どう返事をすればよいのか分からず、ただ曖昧な相槌を打つ事しかできなかった。

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