第8話 あの夏 1
「ありがとう、山里君」
背の低い少女が顔を背けながらつぶやいた。
手には、大きなゴミ袋が握られている。
蛍太郎の手には、それよりも大きなゴミ袋があり、二人で放課後の人気の無い校舎の廊下を歩いていた。
彼女は同じクラスの田中千鶴。
普通の人より茶色がかった髪は生まれつきの髪の色である。
赤い縁の眼鏡で顔を隠すようにしているが、白い肌と小さくも整った鼻、大きな目はとても印象的だった。
自信なさげにすぐに顔を背ける彼女は、クラスの男子からは人気が高く、クラス以外からも注目を浴びる存在だった。
注目を浴びてはいるが、彼女には、護衛のように張り付く友人がいて、浮いた話は無いようだ。
その友人やクラスメイトたちとは楽しく話しているので、性格は明るいのだろう。
男子から人気がありつつも、女子からも受け入れられていて、彼女の周囲には嫌な雰囲気は感じられないのだから、これは人徳とでも言うものがあるのではないかと感じていた。
蛍太郎がこの学校に転校したのは六月下旬で、まだ半月ほどだったが、そのくらいは把握できた。
蛍太郎から見ても彼女はかわいい。
自然と目に入り、そうした事が分かってくる。
「それにしても、嫌われているのか、避けられているのか・・・・・・」
蛍太郎は背の低い同級生の背中を見つめる。
背を向けたまま振り返らずに、大きなゴミ袋を一つ抱えている。
この半月、同級生とは大なり小なり会話を交わしてきたが、彼女との会話はこれが初めてだった。
もっとも、距離を取って人に接しているのは蛍太郎の方なのだから、彼女を責める気にはなれない。「怖い人」と思われていたとしても不思議ではないぐらい、蛍太郎は無愛想だった自覚がある。
それでも、少しずつ友人は出来ていったのだから、この学校の生徒たちは、みんな穏やかで人が良いと、妙な感心をしていた。
彼女は今週の清掃係だった。蛍太郎のクラスは清掃係の役職が毎週持ち回りでやってきて、三人の係が放課後にクラス内と担当教室の清掃を行っていた。
彼女は今週の担当だった特別教室と、一階のクラスから回収したゴミ袋を、一階中庭のゴミ収集場所に運んでいるところだった。
転校してきた蛍太郎は、ほぼ毎日、クラス委員長の根岸小夜子に勉強を見て貰っていた。
これは、蛍太郎が勉強が出来ないわけでは無く、前の学校との授業内容の差、違いがあるため、その摺り合わせをしていた。
小夜子は熱心に、だが淡々と教えてくれていた。
その勉強が終わって、小夜子が帰った後、蛍太郎も荷物を整えて教室から出ようとした。
その時、突然の衝撃があった。大した衝撃では無かったが、続く音に驚いてしまった。
見ると、一人の女生徒が廊下に倒れ込んでいた。その女生徒の周囲にはゴミが散乱していた。
それが千鶴だった。
「ご、ごめん。大丈夫?」
蛍太郎は思わず謝った。だが、どちらかと言えば、千鶴の方が教室に駆け込んできたので、蛍太郎は被害者と言えた。
ただ、被害は明らかに千鶴の方が悲惨である。スカートも危険領域までまくれ上がっている。
眼鏡を掛けている顔がぶつかったらしく、酷く痛そうにしている。
蛍太郎は散乱したゴミを集めてから、まだ痛そうにしている千鶴をのぞき込んだ。痛みでか、涙を流しているので、持っていたハンカチを手渡した。
今日は慌てていたので、妹が使っていたハンカチを持ってきてしまっていた。黄色い花柄のハンカチだった事に、渡してから気付いてものすごく恥ずかしくなった。
だが、千鶴はそれを笑うでも無く受け取った。
放って置く事も出来ず、蛍太郎は千鶴のゴミ出しを手伝った。
ごく自然な成り行きであったが、千鶴は動揺しつつも蛍太郎に礼を言ったのである。
それから無言である。
千鶴に限らず、蛍太郎はクラスの誰とも、大して会話をしてこなかったので、多少の会話は交わしたが、すぐに会話は途切れてしまう。
しかし、千鶴にとっては気まずい沈黙だったに違いない。
千鶴は、時々ため息をついていたが、何とか会話の糸口を見つけ出そうと口を開いた。
「あの。ごめんなさい、山里君」
「うん?」
「思いっきりぶつかっちゃって。山里君は痛くなかった?」
痛くなかった。それよりも千鶴の方が痛そうだったし、ゴミとか、色々大変な事になっていた。その驚きの方が大きかった。
それから、少し話が出来た。千鶴も少しは蛍太郎に慣れてきたようだ。
それから、千鶴が尋ねてくる。
「ねえ、なんで山里君はこんな田舎に引っ越してきたの?お父さんの仕事の関係?」
蛍太郎は思わず足を止めて千鶴の顔を見つめた。
千鶴には悪意など全く無いのは分かる。
当然の質問だが、蛍太郎は誰にも話していない。
いつも誤魔化しているので、その内誰も聞いてこなくなった質問である。
半月たったこの時期にその質問をしてくる人間は皆無だった。暗黙の禁句となっている質問なのだろう。
蛍太郎は言い淀む。
だが、この時はつい、本当の事を答えてしまった。
「妹がいてさ。家の近くで事故に遭って死んじゃったんだ。だからさ・・・・・・」
千鶴が息を飲む。顔が見る見る青ざめていくのが分かったが、話し始めてしまうと、止まらなかった。
「俺の代わりにお使いに出かけて、家のすぐそばで車にはねられて・・・・・・」
人が聞きたがるような話ではないし、こうして人にしゃべるのもどうかと思ったが、自分はこの事故に向き合っていかなければならないのだ。
今までは逃げて来たし、この引っ越しも、転校も逃げだった。
しかし、新しい環境に移った事をきっかけに、逃げずに妹の死とその責任についてしっかりと向き合っていこうと決めたのだ。
「俺が殺したようなもんだよ・・・・・・」
口の中でつぶやくように言いながら、自嘲気味な笑みが
浮かぶ。己を責める気持ちは、あれから少しも変わっていない。
向き合うと決めつつも、気持ちは前向きにはならないものだ。こうした台詞がつい口に出てしまうのが証拠である。
あれは避けられない事故だったのだと言えれば、どれだけ救われるだろうかと想像した事もあったが、そのとたんに自分への憎悪にまみれて耐えられなかった。
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