第二巻 蘇る狂気

第1話 狂気の兆し 1

 暗闇に、ちらちら揺れる蝋燭の炎が、僅かばかりの明るさをその部屋に与えていた。

 石造りのその部屋は、一つの大きなテーブルと、壁に大きな本棚が並んでおり、革装丁の古い本や、羊皮紙に記された書の束がずらりと並んでいる。

 蝋燭の煙と、何やら鼻を突く匂いが漂うその部屋の中央の床に、一人の男が座り込んでいた。

 男は、足の踏み場もなく、紙や本が散らばった床に座り、何処か虚空を眺めているように茫然としている。そして、時々ブツブツと何かを口の中で呟いていた。

 全身に纏う雰囲気や表情は、既に平穏な精神状態を大きく逸脱していた。

 着ている服は汚れており、髭も伸び放題で、体や服を清めたのは遥か遠い過去の話である事が窺える。


「ついに・・・・・・」


 男がようやく意味のある言語を放ったのは、精神が彼岸からこの現実世界へ帰ってきた証左であろうか?

 蝋燭一本の薄明かりでは、その天井はただ黒々としている。

「私は・・・・・・地獄に辿り着いた」


 男の名はアヴドゥル・ビヴイエ。

 三ヶ月前まではグラーダの王宮で「訪客博士」、つまり客員研究員として、占星術や薬学、数学、歴史学、その他様々な研究をしていた。

 しかし、グラーダ国がこの男に対して最も期待したのは、「地獄」の研究にこそあった。そして、それはこの男にとっても、最も感心のあるテーマだった。

 互いの利害の一致により、これまでアヴドゥルは精力的に研究に励んできていた。


 エレスの歴史を紐解いていくと、様々な歴史的事件や歴史の転換点の裏には、「地獄」が関わっている事実が浮かび上がってくる。

 しかし、「地獄」に関しての情報は少なく謎に満ちており、生者のうちに深く知りえた者は、これまでいないとされていた。

 ただし、グラーダ国が保有する預言書「エクナ預言書」は、かつて地獄に生きて落ちた者が、魔王から授かった預言の書であり、その存在も、内容も来歴さえも、前王朝時代から秘されて引き継がれた遺産である。


 それを以て、アヴドゥルは地獄の研究していた。


 アヴドゥルの研究に変化が訪れたのは三ヶ月前。

 グラーダ国に、一人の青年と黄金の髪を持つ少女が現れたのだ。2人は地獄の最下層から地上までの道のりを歩いて登って来たのだと言う。

 青年はごく普通の青年だったが、問題は少女の方だった。

 少女はただ一人で世界を滅ぼせる程の力を持っているという。

 

 その少女は地獄の深淵に眠っていた魔王らしいのだ。

 しかし、彼女自身は自らの事を何も知らず、ただ青年に従っており、ただの無垢な少女の様でもあった。

 

 しかし、実際には、その少女が巨大な魔王を地上世界に召喚し、また、多数の魔物も地獄から出現させた。

 そして、騒動の後に、少女は青年と共にグラーダ国から姿を消してしまった。


 だが、その前にアヴドゥルは、青年から地獄の姿を、事細かに聞いていた。

 それによって、アヴドゥルの研究は大きく前進したのだ。


 アヴドゥルは、その少女が最初に出現した地点を「地獄の門」と仮定して、研究を進めていた。

 砂漠のただ中に、研究施設を建築させて、地下室に閉じこもる事数週間。

 アヴドゥルの研究は、想定以上の成果を出す事に成功したのである。


 つまり、地獄へ生身で墜ち、帰って来たのである。

 ただし、その過程で、元々常軌を逸した雰囲気のあったアヴドゥルだったが、ついに最後の大きなたがが外れてしまった様だ。


「!!!!!!!!!!!!!」


 アヴドゥルは、天井に向かって表記出来ない不気味な叫び声を上げた。

 そして、何かに取り憑かれたかの様に、研究結果を紙に書き留めていった。


 こうして、アヴドゥルの2冊の書が完成するのが、これから一年二ヶ月後である。

 1冊は、青年から聞いた地獄の話と、自らが見てきた地獄の描写を綴った「地獄見聞録」。

 そして、もう一つは「狂人の書」とも呼ばれる、「エレドナグア」である。「エレドナグア」には、魔王からの密告が記されていると言う。

 「地獄見聞録」は他国にも知られてしまったが、「エレドナグア」は「エクナ預言書」と同じく、グラーダ国最大の禁書として、王城の最奥に封印されている。


 

 「エレドナグア」をまとめ上げた後、アブドゥルは死亡した。

 その死にざまは凄惨で、両手足を大きな獣に食いちぎられたように裂かれて、顔の皮を胸元まで引きかれていた。

 腹部も引き裂かれ、部屋一面に内臓が飛び散っていた。

 さらに恐ろしいのは、その状態で三日間も生き続けていたらしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る