第2話 千鶴 7
見ると千鶴の太ももに、化け物の触手が絡みついていた。
触手には棘があり、それが太ももに刺さっていた。
そして強い力で千鶴の体を化け物の方に引き寄せていく。
見たくもないのに、つい化け物の方を見てしまった。化け物がおぞましい姿に変身していったのだ。
ドリルのような形の先端から、花が開くように肉が開いていった。四つの肉の花弁が開くと、中にはぽっかり空洞が空いていた。
そして、肉の花弁にはびっしりと細い針のような棘が付いていた。
触手はその花弁の中央の空洞から生えていた。
さらに複数の触手が伸びて来て、千鶴の胴体に巻き付いた。
細い触手なのに、信じ難い力で千鶴を持ち上げると、そのまま花弁の中央の空洞の中に、千鶴を足から取り込む。
やがてゆっくりと花弁が閉じていく。花弁には内向きにびっしりとトゲが生えているので、まず足に激痛が走る。そして、すね、太もも、下腹部、胴体と、激痛が這い上がってくる。
「きゃあああああああ!」
千鶴は絶叫をあげた。頭だけがドリルの先端から飛び出ている形で、体中隙間無く細い針に刺し貫かれていた。
おぞましい事にその針から、体中の血をゆっくりと吸い取られているのが感じられた。
「山里君、助けてぇ!」
必死になって叫ぶ。無意識のうちに山里の名前を連呼していた。
だが、痛みがあったのはそこまでだった。針から麻酔でも出ているのだろうか。千鶴の体中から不思議な程痛みが消え去っていた。
この化け物の恐ろしいところが、正にそれであった。
獲物を長生きさせて、長く食事を楽しむ、そう、楽しむのだった。
この地獄の化け物たちは、食事の為に必要だから殺すのではない。無論それもあるのだろうが、どう見ても殺戮や残虐行為、また、こうして苦しんだりしている姿を見るのを楽しんでいるのだ。
許せない気持ちが湧いて来るが、もはやどうする事も出来ない。
引きちぎられたパーカーの残骸を見て、千鶴はぼんやりと思った。
「あのハンカチ、置いてきて良かった。持ってきてたら、あのパーカーと一緒に破られちゃったかも」
次の瞬間、世界が大きく揺れて暗転した。
千鶴は化け物に体を包まれたまま、激しく上下左右に何回転も転がっていく。目をぎゅっと閉じたが、しばらくして揺れが収まったのでゆっくり目を開けた。
周囲はかなり暗いが、赤黒い僅かな光があるようで、すぐ近くのものは見る事が出来た。頭だけを回して周囲を見回す。
体は化け物に包まれていて、少しも動かす事が出来ない。
すると、すぐ近くに多田と久恵が倒れていた。二人ともすさまじい衝撃にあったのだろう、首や足の向きがおかしい。にもかかわらず、千鶴が最後に見た時のまま、二人で抱きしめ合った状態で事切れていた。二人共、即死だったのだろう。
それを見た時、千鶴はここがどこだかわかった。
あの巨大な鯨のような化け物の腹の中だ。よく見ると、多田も久恵も体が溶け始めている。
自分はどうなのだろうと、顔を自分の体の方に向ける。見ると、自分の体を包み込んで血を絞り尽くそうとしていた化け物は、飲み込まれた時の衝撃で死んでいるようだった。
皮肉な事に化け物の体がクッションとなって千鶴は助かっていた。いや、助かったとは言えない。
化け物は死んでも、肉の花弁が開く事はなく、千鶴の体も麻痺して全く手足が動かせないのだ。このまま生きたまま、化け物の腹の中で溶かされるのを待つばかりであった。多田たちが即死であった事が羨ましく思える。
「ふふ」
つい、千鶴は笑ってしまった。痛みを感じないのがせめてもの救いだが、これほど悲惨な死に方もないものだと思った。
即死を羨ましく思うなんて、ほんの数時間前には想像もしなかった。
あの時は不安と期待に満ちていて、幸せな気持ちでいっぱいだった。
この地獄の化け物たちは、やはりどこまでも意地悪で、悪意に満ちた喜びを持った魔物だった。ふと視線を上げると、赤暗い光の中に肉の壁が見え、その壁に巨大な目玉が光っていた。
つまり、この化け物は、食べた生き物が自分の腹の中で溶ける様を楽しんで見学するのだ。その為に、腹の中なのにほんのり明るいのだ。
なんと醜悪な世界なのだろうか。
千鶴はそっと目を閉じた。痛みを感じないのが幸いだ。もう、これ以上怖い事は考えないようにしよう。
「山里君・・・・・・」
あの、一番幸せを感じた瞬間を、それから、山里と出会ってから、自分の気持ちが膨らんでいった時の高揚感を思い出してみよう。
山里と過ごした時間はとても短かった。話した回数も数えるほどしかない。顔を見つめた時間もとても短い。
でも、今はその一つ一つが鮮明に思い出せる。
「あ、山里です。初めまして?」
「田中さん」
「このハンカチをあげるよ」
「かわいいよ」
山里の言葉が次々と思い浮かぶ。
自然と千鶴は笑顔になった。まぶたの奥に次々と山里の顔が思い浮かぶ。
遠くの席から、そっと眺めた姿。喫茶店で覗き見た横顔。淋しそうに笑った顔。
全てが愛おしい。
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