第3話 地獄 2
蛍太郎は涙が溢れるのを感じた。
あの大崩壊の最中、地割れに飲まれ、死んでしまったのだと思っていた友人たちの声が聞こえた。みんな生きていたのだ。
そして、自分を探してくれているのだ。
蛍太郎は勇気づけられて立ち上がり、夢中で声の聞こえてきた方へ走り出す。
「おーい!みんな!」
大きな叫び声を上げて、自分の無事を知らせようとする。
絶望の中、僅かな希望の光が蛍太郎の心に差し込んで来ていた。
涙をぬぐい、暗闇の中を必死に走った。
川辺も結衣も夏帆も美奈も多田も千鶴も小夜子もいるらしい。
森田もいて、命は取り留めているらしかった。多田たちや千鶴たちは、蛍太郎が地割れに落ちた後、結局落ちてしまったのだろう。
藤原は、最後に見かけたのは、山頂部から離れようとしている後姿だった。
彼だけは地割れに落ちずに済んだのだろうか。
どうか無事でいてくれる事を願わずにはいられなかった。
少し走ると、急に辺りが明るくなった。
まるで暗闇の中から暗幕を開けて昼間の屋外に出たようだった。
ただし、その明るさは、どこか赤黒く淀んでいて、夏の日差しとは程遠く、ぼんやりとした重苦しさを感じさせていた。
空を見上げると、太陽はなく、はるか上空は赤黒い靄で覆われていた。その靄が、ぼんやりとした明かりを放っているようだった。
ごつごつとした、尖った岩があちこちの地面に突き刺さっていた。木々はなく、少し先には地面がむき出しの岩だらけの切り立った山がそびえているのが見えた。斜面に突き立った無数の尖った岩は、まるで地獄の針の山を連想させた。
蛍太郎のすぐ背後には、高く切り立った崖がそびえており、そのまま、急斜面な岩山となっていた。つまり蛍太郎は、この岩山の岩壁の中から飛び出した事になる。
何故そんな事が可能だったのか、考える事など出来ないぐらい、この場の状況は異常だった。
蛍太郎たちは、大島にいたはずだ。外に出たなら、大島か、少なくともその近くになるはずだった。
しかし、こんな景色は見た事がなかった。
やはり、蛍太郎たちは皆死んで、揃って地獄に落とされたのだろうか・・・。
一瞬、驚きのあまり立ち尽くしてしまったが、蛍太郎は慌てて周囲を見渡す。
すると、林立する大きな岩の間に、みんなの姿が見えた。
森田が地面に倒れている。
裂け目に落ちた時に、何度か岩壁に叩きつけられたせいで出来た傷だろう。遠目からでも明らかにわかる形で、右腕と右足が折れている。その足からは、骨が飛び出し、血が溢れ出して来ており、意識を失っているようだ。
その森田を手当しようとしながら、ただオロオロするばかりで結局何も出来ないでいる結衣と夏帆。
久恵は、放心状態で座り込んだままの小夜子を慰めようとしていた。
全員が傷や泥で全身ボロボロな様子だった。水着に上着を引っかけただけの彼女たちは、むき出しの手や足に無数の擦り傷や切り傷を作っており、見るのも痛々しい。
多田と川辺、美奈と千鶴の四人の姿がない。
「おーい!山里!藤原!いるか?」
「いたら返事しろ!」
「山里くーん!山里くーん!」
大きな切り立った岩の向こう側で声が聞こえる。蛍太郎を探しているのだ。
「おーい!みんな!ここだぞ!」
蛍太郎も大きな声を出した。
しかしその声は、すぐ近くにいる久恵たちにさえも届いていないようだった。
誰一人として、蛍太郎の声に反応を示さない。
蛍太郎は何度も声を張り上げながら駆け寄って行った。もう三十メートルも離れていないというのに、誰も蛍太郎に気付かない。
キョロキョロと、不安そうに周囲を見回している久恵の視界には確実に入っているはずなのに、こちらに目を向けても、蛍太郎の姿が全く見えていないかのように、その体を透かして、背後の景色を窺っているようだった。
そして蛍太郎は、そこより先には進めなかった。
壁があるわけではないのに、さっきと同じように、どうしても進むことができない。
「俺はここだ!本庄さん。根岸さん」
結衣と夏帆の名前は覚えていなかったが、大きな声で呼びかけた。しかし、やはり誰一人として蛍太郎に気付かない。
なぜ進めないのか分からないもどかしさに、見えない壁を蹴りつけた。しかし、足は何も触らぬまま弾き返されるような、脱力してしまったような、奇妙な感覚で元の位置に戻されていた。
多田や千鶴が、蛍太郎を呼ぶ声が遠ざかって行く。
「多田!多田ぁ!田中さん!俺はここだ!」
必死になって声を張り上げた。
その時、蛍太郎の足もとが薄暗くなった。
ギョッとして、体が強張る。
蛍太郎に影を落としかけた物は、ズルズルと重い物を引きずるような音を立てながら、蛍太郎のすぐ背後に来て、そのまま、蛍太郎の体の中を素通りして行った。蛍太郎の体には何も触れず、何も感じぬまま、巨大な何かが通り過ぎて行ったのだ。
自分が、まるで気体で出来ているかのような錯覚に陥り、思わず身震いした。
しかし、真の恐怖は、まだ始まっていなかったのである。
蛍太郎の体を通り抜けて行った物の姿を確認した時、激しい恐怖と生理的な不快感が蛍太郎の全神経を満たした。
それは今まで見た事もない姿の化け物だった。
あまりにも現実離れした姿に、蛍太郎は吐き気をすら感じた。
大きさは、像のように巨体で、四本足で歩き、太い胴に短い首。長く伸びた大きめの頭の横から、巨大な鉤爪の生えた太く長い腕が突出していた。頭には、目も耳も見つからず、かわりにそのほとんどが口だった。尖った先端から、腕の生えているあたりまで裂けていて、その裂け目いっぱいにビッシリと尖った牙が並んでいた。体毛はなく、代わりに、正体のわからぬ不潔そうな液体で、ヌメヌメとした光沢を放っていた。
さらに生理的な不快さを増大させたのは、久恵たちを見つけると、その巨大な口の端を引きつらせて笑みを浮かべた事だった。考えたくもない事だったが、これほど異常な化け物だというのに、知性が備わっているというのだ。
また声が聞こえた。
頭の中で響くあの声だ。
『来て』
声はか細く、今にも途切れてしまいそうだったが、耳元で囁かれたかのように、近くに感じた。
無機質で、気だるそうな感じの声だが、その声には蛍太郎が来る事を切望している思いが感じられた。
だが、蛍太郎はその場を動く事など出来なかった。恐るべき怪物が、久恵たちに向かってゆっくりと近付いて行っているのである。
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