第9話 獣の狂気 3

 聞き慣れない言葉にリザリエは首を傾げたが、蛍太郎から異世界の進んだ文明の話をよく聞いていたので、話の内容から、何となく言葉の意味は理解できた。

 リザリエは魔導師であり、実に優秀な頭脳を持っていた。

「いや・・・・・・。今はもっと精神を病んでいるみたいだ」

 蛍太郎は頭を振った。

 確かに妹の死に対して塞ぎ込んでいた蛍太郎は、医師からPTSDの診断を受けた。だが、今の蛍太郎の状態はもっとひどい。専門家でなくても症状の悪化は自覚できた。

 少なくとも正気でいる間だけは、である。

「それでも、壊れた俺の心がこれまで無事で済んでいたのは、多分、ルシオールのおかげだ」

 蛍太郎が寂しそうに笑った。

「ルシオールが側にいてくれる事で、俺の心は守られていたんだと思う。でなければ、あの惨劇を見て、正気でいられるはずがない。現に今の俺は正気を保つ事が難しい」

 慰めてあげたいが、本人が認めている現状を、適当な言葉でごまかすのは、かえって蛍太郎に対する侮辱であると考え、リザリエは小さく頷いた。


 それから、リザリエらしく分析して蛍太郎の考えを続けた。

「つまり、ルシオール様の加護は、ケータロー様とルシオール様との距離が大きく影響してしまうと言う事ですか」

 順を追って、自分の考えを説明するつもりだったが、さすがはリザリエと感嘆のため息が漏れてしまう。

「そう。ルシオールが俺の心を守ってくれているとしても、理由は分からないけど、二人が近くにいる事が重要なのだと思う。ルシオールが遠くに攫われたから、俺は精神の均衡を崩してしまったのだろう。それでも、ルシオールと一緒に過ごした時間の中で、ある程度回復していたんだと思う。今は残念だけど悪化している。現状をしっかり理解したおかげで、悪化の度合いは多少はマシになるかもだけど・・・・・・」

 蛍太郎には確信が持てなかった。

 物理的な距離では無く、精神的な距離が問題なのだとすると、今の自分は、ルシオールにとって必要とされなくなっているという事になる。そう断じてしまえば、それだけで精神が崩壊しそうだ。


「大丈夫です。私が側にいます」

 リザリエの精一杯の慰めだった。

 リザリエにしても、精神的な病に対して、どうすれば良いのかという知識は持ち合わせていなかった。魔法が存在するこの世界でさえ、精神疾患の治療に関しては、まだ、歴史が始まってすらいなかったのである。

 ただ、溢れんばかりの愛情と、無償の献身はリザリエには十分すぎるほどあった。

「ありがとう」

 久々に見せる、蛍太郎の心からの優しい笑顔に、リザリエも励まされた。


「でも、このままじゃいけない。またリザリエを傷付けてしまうかも知れない。そうなったら、君が許してくれても、俺は自分を許せなくなる。そうすると、また心が病んでしまう。悪循環だ」

 椅子に腰掛けた蛍太郎は、膝の間で組んだ手をギュッと握りしめる。指の関節が白くなるほど力が籠もっており、それが蛍太郎の心の苦しみを表していた。

 リザリエがその手を包み込もうとベッドから身を乗り出そうとすると、蛍太郎はそれに気付いて手の力を抜き微笑んだ。

「大丈夫だよ。そのままで聞いて」 

リザリエが動くと布団がはだけそうになる。

 昨夜はあれほどの無法をした蛍太郎であったが、正気の今は気恥ずかしい。リザリエも同じで、布団の下が全裸である事を思い出すと、何とも恥ずかしくなり、布団の中で膝を摺り合わせた。


「だから、俺は、もっと真剣にルシオールを探さなきゃいけないんだ。探すために覚悟を決めたよ」

「覚悟?」

「俺の世界は戦争なんて無い世界だった・・・・・・。あ、これは前も言ったかな?実際には戦争はあって、世界中あちこちで戦争してたんだけど、俺の国は幸い、戦争をしてはいけないって法律で決められていたから、もう何十年も戦争をしていない平和な国だった。犯罪はあるけど、他の国に比べればとても少なく、人を殺すような事件は希だったんだ。もし誰かが人を殺したりしたら、国中が大変な騒ぎになるほど、平和な国。そんなところで育ったんだ。」

 リザリエからすれば、それは理想郷だった。にわかには想像出来ない世界である。

「俺は人を傷付けたり、殺したりなんて怖い。とっても悪い事だと教えられてきたから、戦になっても人を傷付けるなんて出来ないと思っている」

「エレスでも殺人は罪です」

 リザリエは蛍太郎の考えを賞賛したいと思っている。そんな考えの蛍太郎が好きだ。

「でも、君を傷付ける事の方が、今は怖い」

 リザリエの鼓動が一つ大きく鳴り、鼓動の力で体も跳ね上がった気がした。


「俺は軍隊に志願する」

 喜びから戸惑いへと、リザリエの心は激しく昇降を繰り返す事になった。

「アズロイル公爵が集めているという軍に兵士として志願する。ルシオールを攫ったのがアズロイル公爵であり、ルシオールを兵器として実験するのが今回の戦の目的なら、必ずルシオールはその場に来るはずだ。だから俺は、戦場でルシオールを見つけて助け出す」

 このままグレンネックを当てもなく探していくより、確実な手段ではある。

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