第9話 獣の狂気 2

 朝が来た。

 リザリエは床の上で壁にもたれるように眠っている。頬には乾いた血が張り付いており、その下には赤紫の大きなアザが出来ていた。

 蛍太郎はリザリエより先に目が覚めており、その傷跡を眺めると、激しい罪悪感が胸を押しつぶす勢いで襲ってくるのを感じる。

 しかし、奇妙な清々しさも感じていた。

 リザリエの献身的な行為と、純粋な愛の告白が、蛍太郎の心の崩壊を止めてくれた事を実感している。


 正気に戻って、改めて現状を確認すると、とんでもない状況にある事に気付いた。

 蛍太郎を優しく抱きしめてくれているのは、全裸のリザリエである。蛍太郎はリザリエの豊かな胸に、顎を埋める形で挟まれているのだ。

 蛍太郎の右手はリザリエの背後に回りおしりを触っている。

 左手はなめらかな内腿に挟まれている。蛍太郎のおでこにはリザリエの寝息がかかっていた。

 

 昨夜は狂気の内に、これよりひどい性的な行為をしたにもかかわらず、正気に戻ると、よりソフトな状況にあってさえ、恥ずかしさを感じてしまう。

 蛍太郎は慌てて、しかし、リザリエを起こさないように注意しながらゆっくりと体を引きはがした。未練を感じないと言ったら嘘になるが、それでも、出来るだけ素早く体を離し、立ち上がった。

 布団がはだけて丸見えになっている裸体に、そっと布団を巻き直す。

 隠してしまう瞬間にも、じっくりと眺めたい欲求がジリジリと押し寄せてきた。

 見ると、己のむき出しの下半身も、その欲求を如実に語っていた。

 昨夜の行為を思い出すと、激しい罪悪感と、後悔を感じるが、同時に興奮と先のものとは別種の後悔も感じてしまう。

 あと少しで二人は性的交渉を交わせたはずであった。

 結果としてはリザリエは処女のままだし、蛍太郎も童貞のままである。

 だが、それで良かった。

 リザリエは蛍太郎を愛してくれている。

 蛍太郎もリザリエの事は嫌いではない。好意を抱いている。

 だが、千鶴たちの事を考えると、どこか後ろ暗い気持ちにもなってしまう。

 千鶴も蛍太郎の事を最後まで心配し、思い続けたまま命を失ってしまったのだ。この二人の蛍太郎に対する思いは同等で同質なのではないだろうか?

 そう考えると、再び頭がおかしくなりそうな気がしてしまい、頭を振ってベッドに腰掛けた。足下には脱ぎ捨てた自分のズボンと下着が転がっていた。

 モソモソと服を着直すと、蛍太郎はカーテンを持ち上げ、明るくなった窓の外を眺めた。

 すると、背後で身動きをする音が聞こえた。


 振り返るとリザリエが微笑みながら蛍太郎を見つめていた。

「おはようございます」

 リザリエが少しかすれた声で言った。そして、自分の声がかすれているのに驚いた表情をした後、クスリと笑った。

 蛍太郎も「おはよう」と言って笑いかける。

 リザリエを愛おしいと感じる自分に気が付いた。同時に急に照れてしまう。


「その・・・・・・夕べはごめん。俺・・・・・・」

 蛍太郎がつぶやくと、リザリエは布団を巻き付けたまま歩み寄り、傷ついた蛍太郎の両手を取ると、口の中で呪文を唱える。

 リザリエの手が青白く光りを放ち、たちまち蛍太郎の拳の傷が癒えていく。

 続けてその手を蛍太郎の頬に当てる。裂けた頬の傷もみるみるふさがり、後には乾いた血が張り付くばかりとなった。

 そこでリザリエの手の光が消えた。蛍太郎は慌ててリザリエの頬を触る。

「ここも!」

「ああ。そうでしたね」

 リザリエは愛おしそうに、自分の頬に触れる蛍太郎の手をなでる。

 それから、自分の頬の傷さえも愛おしい物であるかのように触れると、治癒魔法で癒やしていった。治療が済むと、リザリエが口を開いた。


「ケータロー様は優しい方です。夕べの事でご自分を責めていらっしゃるのでしょう? でも、お気になさらなくって良いんですよ。私はとっくに身も心もケータロー様に捧げております。人として、一人の男性として、私はケータロー様をお慕い申し上げておりました。一緒に過ごす時間が増えるほどに思いは大きくなり、今は心から愛しております」

 蛍太郎は息を飲む事しか出来なかった。

「でも、出来れば次はもう少し優しくしてくださいね」

 クスリといたずらそうに笑うリザリエが、どうにも愛おしくて仕方が無かった。

 蛍太郎はリザリエの体をきつく抱きしめた。

 口づけしたい衝動を懸命に堪え、体を離したとき、リザリエは少し不満そうに唇をとがらせた。

 蛍太郎は曖昧な笑みを浮かべたが、次に決然とした表情を浮かべた。



「一つ分かったことがある」

 蛍太郎が言った。

「俺は元々壊れていたんだ」

 話は長くなる。リザリエをベッドに座らせると、蛍太郎は室内にある椅子に腰を下ろし、リザリエと向かい合う。

「地獄で俺は友達が魔物たちに惨殺される様を、ただ見ている事しか出来なかった。その時に心に深い傷を負ったんだろう。『PTSD』って奴だ。妹が事故で死んだ時にも医者で言われた心的外傷後ストレス障害」


 PTSD-心的外傷後ストレス障害。災害や事故を目の当たりにした強いショックが原因となって、様々な精神的症状を引き起こす障害の事である。

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