第4話 魔王誘拐 1

 あまりにビショビショになり、また、生臭くなったギダをルシオールがしきりに嫌がるので、上着だけ脱がす。一本一本丁寧に金メッキ加工したような、美しく輝く髪が露出してしまうが、こんな天気では人もあまり外出していないので、大丈夫だろうと判断しての事だ。

 ルシオールは不機嫌な様子で先頭を歩いている。早く宿に戻って体を洗いたいのだろう。


「ありゃ!?お嬢さんどうしたんですか?」

 見ると、前から宿屋の店主が娘と篭を持って歩いてくる。

「いや・・・・・・。波をかぶってしまって」

 蛍太郎が苦笑すると、明らかに不機嫌そうなルシオールが海を指さして言う。

「海は嫌いだ!」

 その様子に店主が笑う。

「じゃあ、お嬢さん。今度はカロンの海を見に行くと良いですよ。あそこの海は、お嬢さんの目と同じくらい綺麗に輝いているし、波も無いから泳いで遊んだり出来る」

 言われてルシオールが首を傾げて考える。

「でも臭くてからい」

 店主は尚も笑う。

「ここの海は臭いですよ。海の辛さも苦さも、多分一番酷いだろうね。でも、カロンの海はそうでも無いらしいですよ」

 ルシオールが困った様に蛍太郎を見る。

「ル、ルシオール。もう一度チャレンジしてみようよ」

 空を見た時の感動を、海でもう一度感じて欲しいとの思いから、蛍太郎は必死だ。

 ルシオールは、鼻にしわを寄せながらも、小さく頷いた。

「じゃあ、次の目的地はカロンだな」

 蛍太郎が言うと、リザリエも頷く。

「では、早速手配してきましょう。あと、石けんと、ルシオール様の機嫌が直るように、お菓子も」

 リザリエが優しく微笑む。

「それは助かるよ」

 手を口元に当ててクスリと笑うリザリエの仕草に、蛍太郎ならずとも健全な男子高校生なら見とれてしまう事は間違いないだろう。

「じゃあ、俺はルシィと先に帰ってるから」

 リザリエの配慮に蛍太郎は心から感謝する。お菓子があればきっとすぐにルシオールの機嫌も直るだろう。

「親父さんもありがとう」

「いいえ」

 食材の仕入れに行くのだろう、店主は会釈をすると、親子で市場の方に歩いて行った。



 リザリエには買い物を任せて、蛍太郎は先に行くルシオールの後を追った。

 ちょっと話をしている間に、ルシオールはさっさと歩いて行き、もう大分先に進んでいた。

 建物の角を曲がって行く金色の髪が見えた。蛍太郎も急いで追い付こうと走り、その角を曲がった。時間にして十秒といったところだ。

 だが、ルシオールの姿はそこにはなかった。


 町並はそれほど入り組んではおらず、この道も建物に挟まれて一本道になっていた。

 王都グラーダの町並と違い、建物もそれほど数がないので、密集してはいない。見失う様な作りではないのだ。

 

 そんな町中に一つ異彩を放つ物がある。

 道の端に停まっている、大きく立派な二頭立ての赤い馬車である。この町に入る時に、町の入り口で見かけた馬車だ。

 赤い馬車には、派手な銀の装飾が至る所に施されていた。

「ルシオール!」

 蛍太郎が叫ぶと同時に、二頭立ての馬車が突然に走り出す。

 頭で考えるより早く蛍太郎は走り出し、その馬車を追いかける。その馬車にルシオールが乗っている事が直感的に理解できた。

 見れば御者台には、一昨日の夜、宿で見かけた黒いマントの男が乗って、馬にむちを打っている。

 

 蛍太郎は追いかけて走りながら、「誰が?」、「目的は?」、「何でルシオールを?」等と、様々な疑問が押し寄せてきたが、回答は得られなかった。

 蛍太郎が、もっと真剣にルシオールは「魔王」である事について考えていれば、少なくとも掠われる理由などいくらでも思いついた事だろう。

 ルシオールは「魔王」でありながらも、無垢な子どもである。

 それ故に、こうも簡単に誘拐可能な「魔王」なのだ。

 「魔王」である事を知らなかったとしても、ルシオールの類い希なる外見だけで、充分誘拐する理由になる。

 蛍太郎は都合良く、ルシオールを「魔王」として見ていたようだ。

 「魔王」だから誘拐などとは無縁だと。何があっても、結局は安全なのでは・・・・・・と。

 「魔王」である事をしっかり受け止めつつ、慎重に行動する責任が、蛍太郎にはあったのだ。


 混乱する頭で、激しい後悔に打ちのめされつつも、蛍太郎は遠ざかっていく馬車を懸命に追いかけた。

「ちくしょう!!」

 馬車はどんどん速度を増してゆく。派手な装飾が施された赤い馬車の後部がどんどん小さくなる。

 とても追いつく事は出来そうにない。

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