第7話 虚構 1
エレスには、地上に人間族、エルフ、ドワーフ、ハーフ・フッド、獣人に亜人が住んでおり、総じて「地上人」と呼ばれている。
エルフの上位種であり、謎に包まれている精霊族のハイエルフは、「エルフの大森林」と呼ばれる精霊界に住んでいる。
他に、天界に神、魔界に魔神が住んでいる。
神や魔神は、地上人の上位種と言われている。
更に、その上位種である神や魔神などよりも遥かに超越した「創世竜」が十一柱存在している。
その創世竜の白竜と黒竜は、ルシオールが地上に出現した際にグラーダ国に出現し、巨大な腕や目が出現した空間に凄まじい炎を吐き、空間自体を浄化するかのような動きを見せた。
当然、その巨大な腕や目よりも強大な力を持ったルシオールの存在に気付いているが、それ以上の一切の動きを見せていない。
精霊族の意志は不明だが、神や魔神も、ルシオールの存在に気付いているようだが、同じく接触を図る様子も見せなければ、監視を付ける事もせず、只ひたすらに気付かぬふりをしていた。
地上人では、ルシオールの存在を知るのは、グラーダ国のごく少数と、キエルア率いる魔導師一団だけである。
そして、上位種を恐怖させている張本人たる、「深淵の魔王」、「魔王の中の魔王」ルシオールは、相も変わらず微睡(まどろ)みの世界にいた。
目が覚めるとベージュのカーテンが天蓋からベッドを覆って、その視界を埋め尽くしていた。
カーテンの向こうからは甘い焼き菓子の香りがして、ルシオールを微睡みから引き離そうとする。
ルシオールの意識はあまりはっきりしない。
活動している時でさえ、後になると記憶が曖昧になったり、夢なのか、そうでないのかがはっきり分からない。
目覚めていようが、眠っていようが、常に微睡みの中にいた。
とても大切な事がたくさんあって、ぼんやりしていてはいけないと、頭の片隅は常に焦燥に駆られているが、どうしてもしっかりと目を覚ます事が出来ないのだ。
おいしい食べ物や、楽しい出来事、悲しい出来事。
忘れてはいけない約束。
大切にしなければいけない言葉。
ルシオールの「究極の願い」すらも、ずっと深い靄の中に隠されてしまっていて、いくらもがいてもその靄を晴らす事は出来ない。
それは、蛍太郎に解放してもらった時から、あるいはそれ以前からずっと続いている。
早く目覚めたいが、目覚められずもどかしい。
焦ったからと言って、この半覚醒状態を何とか出来るものではない。
頭の隅では「大切な時間が、またどんどん無駄に過ぎてしまう」、「もったいない」と叫んでいるが、一方で「永い眠りから覚めたばかりなのだから、寝ぼけていても仕方が無い」と、あきらめのため息も出てしまう。
ルシオールが一番嫌なのが、一番大切な「究極の願い」自体が思い出せない事だ。
彼女はその為に生まれて、その為に眠り、その為に目覚めたというのに、身を切り裂かれるような強い願いが、いったい何なのか分からないというのが「悲しい」。
そして、そんな「悲しみ」も、ぼんやりとした靄の中に閉じ込められて、しばらくすると鈍磨して頭の中から抜け落ちてしまうのだ。
ルシオールは天蓋付きのベッドから降りて、きれいに整えられた大きな個室に出た。カーテンをくぐるとすぐに声がかかる。
「おはようございます、お嬢様。よく眠られましたか?」
若い女の声だ。聞き覚えがある気がすると、ルシオールは思った。
馬車で連れ去られてから、今に至るまで甲斐甲斐しくも世話をしていたメイドであるが、ルシオールはぼんやりとしか覚えていない。
そのうち思い出すのかも知れないが、大して興味を惹かれないのも事実だった。
それでも外見上は、コクリと頷いて、スリッパを履き、テクテク歩いて行儀良くテーブルに付く。
そんなルシオールの姿に、メイドはうっとりと目を細める。
手間を掛けたり、わがままも全く言わない、実に行儀の良い素直な主人である。そして、この世のものとも思えないほどに愛くるしい主人である。
テーブルには、色とりどりの焼き菓子が大きな皿に並べられている。
焼き上がったばかりのパンも別の皿に乗っており、甘い香りが部屋中に満ちていた。上等な茶葉で入れた紅茶が目の前のカップに注ぎ込まれる。
メイドの少女は、鼻歌交じりに給仕して、上機嫌にあれこれと独り言のようにしゃべりかけてくる。
この時のルシオールは、夢のような色をした、良い香りを放つお菓子に集中しており、メイドの話はほとんど耳に入っていない。
それでも、準備が済むまで、じっと手を膝において待っているのは、蛍太郎が「いただきますをするまでは、食べてはいけないよ」と言っていたからである。
チラリ、チラリと、おしゃべりをやめないメイドの顔を伺うと、ようやくそれに気付いたメイドが、にっこりと笑って「どうぞ」と言ってくれた。
無表情だったルシオールの表情が和らいで、笑顔を浮かべると「いただきます」と言って、お菓子に手を伸ばす。
小さな口を懸命に動かして、ほんの少しずつお菓子をかじり取って、味わい、顔をほころばして食べていく。
食事以外では全く表情を変えないこの愛くるしい主人を、メイドはうっとりと眺めていた。
「本当になんて可愛らしいのかしら」
つい、声に出てしまう。
その声もルシオールには届いていない。
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