第10話 潜入 3

 すると、横で酒をあおっていた黒髪の男が口を挟む。

「何言ってやがる。こいつの言葉は、まどろっこしかったり、足りなかったりでとんでもねえや。おまけに熱っ苦しくてたまんねぇ」

 ジーンが男の頭をポカリと叩く。

「いてぇな!ホントの事言われたからって怒んなよな!」

 男は拗ねたように椅子の上で長い足をたたみ膝を抱く。

「あの・・・・・・そちらの人は?」

 すると、男は苦虫をかみつぶしたような表情となる。ジーンの方は相変わらず、屈託無い表情で答える。

「紹介が遅れて済まない。彼は私の友人だ。名前はヴァンだ。この前まで暗殺者をしていた」

「あ、暗殺者?」

 不穏な響きの職業名に、蛍太郎は思わず身を引き立ち上がる。蛍太郎はグラーダにいた時に、暗殺者に命を狙われた経験がある。その為、暗殺者と聞いた瞬間に身構えてしまった。

 それを見た男は「フン」と鼻を鳴らし、ジーンが手で「大丈夫だよ」と合図を送ってくれたので、赤面しつつ腰を下ろした。それでも、頬や背中の産毛が逆立つようなヒリヒリとした緊張感はすぐには取れなかった。

「彼は幼い頃に暗殺者の里に連れ去られて、そこで暗殺者として育てられた。だが、その里を滅ぼしてきたので、今は暗殺者では無い」

 ジーンがさらりと説明する。

「いや。俺、暗殺以外の事って自信ないんだよ。だから、職業『暗殺者』でもいいんだけどな~」

 男がブツブツ言う。

 蛍太郎の理解が中々追いつかないが、そんな事にはお構いなしのようだ。



「そうだ。これからの予定はどうするんだい?」

 しばらくは無言で食事をしていたが、不意にジーンが尋ねてきた。

 そこで、蛍太郎は志願兵としてアズロイル公爵の軍に潜入して、ルシオールに接触を試みるつもりである事を話した。

 すると、ジーンは驚いたような表情をした後、目を細めて微笑んだ。

「なるほど。君は決断をした訳だ。君の本気と覚悟を見せてもらった気がする。成長したな」

 ジーンに褒められると、胸の奥が熱く高揚してくる。褒められた自分を誇らしく感じてしまう。

「さっきは、君たちを追跡していたと言ったが、それはルシオール殿が攫われるまでだ」

 ジーンが話し出す。

「君たちがこの宿に滞在しているのを突き止めたのは昨日の話だ。それで、今日、ようやくこうして合流出来た訳だ」

 この広いグレンネックの中で、自分たちの所在を、どうやって突き止めたのか分からないが、心強い味方には違いない。少なくとも蛍太郎はそう思った。

「でも、どうして俺たちが苦しんでいた事を知っているのですか?」

 尋ねながら、蛍太郎は先日自分のしでかした、大変罪深い行いを思い出していた。

 それもジーンたちに知られているのかも知れない。


「それは、君を見れば分かる。君は随分やつれている。顔色も悪く、目の下にクマも出来ている。精神的に参っているね。しかも、それは君が地獄で体験した事による心の傷が由来なんじゃないか?グラーダでの君は、心の傷を感じさせない青年だった。ルシオール殿の加護により治療されていたのだろうね。そして、ルシオール殿がいなくなった事により、治療が中断されて、心の病が表面化した。・・・・・・そんなとこだろう」

 蛍太郎はただ驚くばかりである。少し見ただけでこんなに正鵠を射る事が出来るとは、やはりジーンはただ者ではない。

「なに。グラーダにいた時に、キエルアがルシオール殿が君に施している加護をあれこれ研究していてね。その中に、精神操作を防ぐ加護が施されているらしいというのがあったんだよ。これは魔法による操作を受け付けない加護であると同時に、地獄での体験により受けた精神的ダメージから君を守る事を最大の目的とした物なのではないかとの推測もされていたんだ。身体的に健康な君が、そこまでやつれているのは、その加護が消失したと見るのが妥当だ。君は相当に苦しんだのだろう」

 いたわるような眼差しでジーンが蛍太郎を見つめ、リザリエも見つめる。

「君たちの足跡をたどったのは、主に彼の仕事だった」

 ヴァンは面白くも無さそうに方を竦める。

「こいつ、それだけ色々分かるくせに、色んな所抜けてるからな。俺が苦労する」

 ジーンは苦笑する。

「さて、君が兵士として志願するなら、我々も行動を共にしよう」

「ええ!?」

 蛍太郎が思わぬ提案に身を乗り出す。

「その方が都合良かろう。我々もルシオール殿の捜索を今から開始するより、確実に接近できる戦場の方がいい。それにその方が彼女の不安も少なかろう」

 ジーンに視線を送られると、リザリエは顔を赤くしてうつむいた。

 ジーンの美貌に見つめられて照れたのだとしたら、悔しい思いと共感の思いが蛍太郎の胸によぎる。男でも惚れてしまう美貌の傑物。圧倒的カリスマの持ち主ジーンが相手では、とても敵わない。

 無論、リザリエが赤面したのは、蛍太郎との関係が前進したのを思い、照れてしまったのだ。


「安心なさい。私は君の主を守ると約束しよう」

 ジーンが請け負うと、リザリエが微笑んだ。

 つっと、リザリエの頬を涙が伝い落ちた。無意識のうちに涙が溢れてこぼれ落ちたのである。

 不安だった。不安だったのだ。

 突然訪れた幸福と、死地へ向かう蛍太郎。

 不吉な予感がしてずっと不安だったのだ。

 幸福を感じれば感じるほど、恐怖は色を濃くし迫ってくる。

 ジーンと、ジーンが実力を認めるヴァンが蛍太郎を守ってくれるなら、これほど安心出来る事はない。リザリエの不安や恐怖が、確実に小さくなって行くのを感じる。

「あ、ありが、ありがとう・・・・・・ござい・・・・・・ます・・・・・・」

 声を詰まらせながら、リザリエが頭を下げる。

 そういう時も、蛍太郎はおろおろするだけで、ジーンがそっとハンカチを渡す。格の違いを思い知らされるが、反省はするが、嫌な気持ちがしないのも、このジーンの人徳という物だろう。


「あのさ」

 ヴァンが蛍太郎の耳に口を寄せて、リザリエとジーンに聞こえないように囁いた。

「正直、あいつは当てにしない方がいいぜ。でも、俺が必ずお前を助けるからさ。それは絶対約束する」

「は、はあ・・・・・・」

「任されたからには、必ずやる男だぜ、俺は」

 ヴァンはあっけらかんとして後ろ頭に手を組んで笑った。


 その時、蛍太郎はヴァンの言った事の意味が分からなかった。

 しかし、それほど時間を掛けずして、普通に考えれば当たり前の事実に、事件が起こってから気付く事になるのである。


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