第3話 地獄 8

 明るくなり、次の階層に着いた。やはり空は、赤黒い光を放つ奇妙な靄が一面を覆っていた。

 靄を横目に見ながら周囲を見渡す。

 さっきの階層よりも、遥かに地上が遠いのがわかった。まるで、人工衛星や、宇宙から映された地上のように見えた。

 そして、大地も果てしなく続き、やがて赤黒い闇に飲み込まれ、その先まで見通せなくなっていた。

 

 この大地はどこまでも真っ直ぐで、空と大地は平行に続いていた。そこから推し量ると、この世界は、地球の様に丸い星ではないのだろうと思わせる構造だった。

 どうやら、下の階層に行くほど、広くなっている様だった。

 しばらく歩くと、白く霞みかけてはっきりと見えなかった地上の様子が、ようやく分かるようになってきた。

 遠くには、海だか湖だかが広がっていて、緑に覆われた所もあるが、茶色の土らしき地面の所や、白っぽい砂漠の様な所も見られた。

 遠くの方を、何かが群れになって飛んでいるのが見えたが、決して近くで見たいなどとは思わなかった。

 上空にいる時は感じていなかったが、実際に歩いた距離より何十倍もの距離を進んでいく現象は、まだ続いていた。

 それでも、かなりの時間歩いて、クタクタになった頃、ようやく地上が近付いて来た。土がむき出しの地面に、青緑の道が滑走路のように伸びているのが見えた。

 しかし、目をよく凝らすと、それは長大な蛇の様な体をもつ生き物で、ウネウネと蠢いているのがわかった。想像をはるかに超えたスケールだった。

 はっきりとはわからないが、数十キロ単位の大きさの化け物の様で、実際にその眼で見ても、信じられない、自分の正気を疑わざるを得ない大きさだった。




 地上につくと、すぐに真っ暗になった。また不思議なトンネルの中を進んでいく。

 そして、また明かりのある世界へと出る。




 明るくなったとたん、何かが蛍太郎のすぐ目の前にあった。しかし、見ている物がなんだか分からず、思わず立ち止まった。

 少し上には、やはり靄が不気味な光を放っていた。そして、目の前には真白な何かがあった。

 ゆっくり歩き出すと、白い何かが動いたようで、一瞬のうちに黒くなる。その黒は、茶色や赤などをちりばめてテカテカと光沢をもっていた。

 

 突然稲妻が閃いた。蛍太郎は思わず尻もちをついてしまった。

 目の前にあった何かが遠ざかり、ようやくそれが何だったか悟った。

 それは、巨大な目玉だった。直径で三キロはあろうかという、馬鹿げたスケールの目玉だけが、黒い雲に囲まれて、ギョロギョロと蛍太郎を睨んでいた。

 雲から、何度も蛍太郎めがけて稲妻を発していた。稲妻は、蛍太郎をすり抜け、全くダメージを受ける事はなかった。

 しかし、それは蛍太郎を狙って放たれた攻撃である事は間違いなく、化け物が蛍太郎の事を認識出来ている証拠だった。

 これまでは、化け物に気付かれもしなかった蛍太郎だったが、この階層では見つかっているのだと思うと、急に背筋がゾクリとし、耐えがたい恐怖を感じた。

 立ち上がろうにも足に力が入らず、歯の根も合わなくなる。周囲を見回して、さらに恐怖が増大した。


 何かと比べるのも馬鹿らしくなるような、超巨大な化け物たちが、群がっていた。一体一体が全体像も分からないぐらい巨大で、おそらく、五体ほどいるようだった。

 その化け物たちは、蛍太郎を取り囲んでいた。そして、皆が蛍太郎に危害を加えようとしているのがわかった。

 蛍太郎は、震えてもつれる足を励まして、転げるように走り出した。息が切れるほど走ったが、地上はまるで見ることが出来ない。

 見渡す限り、赤黒い光を放つ靄で覆われている。

 上も、下も、すっかり靄に覆われているので、高さも、広さも掴めない。


 走った距離よりも、実際には何十倍、いや、何百、何千倍も速く周囲の景色は流れ去って進んでいるのだが、それでも地上までは遠かった。

 それに、化け物たちはぴったりと蛍太郎の横を飛んでいて、引き離す事など不可能だった。

 人の頭をもつ化け物がカッと口を開いた。牙が何層にも生えたその口だけで、街一つ飲み込めるのではと言うくらい大きかった。そして、

 その化け物が蛍太郎めがけて何かを吐きつけた。

 目の前が真っ赤になる。巨大な火球が蛍太郎を飲み込み、蛍太郎に焦げ目一つつける事なく、後方に飛んで行った。蛍太郎は地面を転がりながら、その火球の行方を目で追った。

 火球は靄に飲まれて行ったが、その直後に真っ白に光って、一瞬視力を麻痺させると、爆音らしいものが聞こえ、そのままこの世界から音そのものを消滅させてしまった。

 ようやく白い光が収まると、蛍太郎の眼に巨大なキノコ雲が写った。轟音の残響が、聴覚を回復しつつある蛍太郎に、ようやく聞こえてきた。

 化け物の一撃は、まるで核兵器の様な、すさまじい威力を持っていた。化け物は、さらに新しい火球を吐きだそうとしていた。

 蛍太郎は、あまりの事に呆然と座り込んでしまった。たとえ攻撃がすり抜けたとしても、閃光と爆音だけで、蛍太郎は死んでしまうのではないかと思った。



 その時、再びあの声が聞こえた。


『来て』


 今までで、一番はっきりと、近くで聞こえた。


『来て。早く』


 蛍太郎のすぐ隣に人がいて、話しかけられているかのようだった。しかし、はっとして周囲を見回すが、声の主はいなかった。

 代わりに、巨大な化け物たちが動揺しているのが分かった。

 ブルブルと震えるように落ち着かず、蛍太郎の様に周囲を見回して、何もいないにもかかわらず、慌てていた。そして、化け物たちは蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。

 化け物たちの大きさは、遠ざかって行く間にも、ついに測ることができなかった。


 ノロノロと力なく立ち上がったが、今度は歩き出さなくても、勝手に急速に下降しているのがわかった。

 すさまじいスピードで進み、幾層かの靄を一気に突き抜けると、ようやく地上の姿が見えてきた。

 ちょうど、衛星軌道上から地球の様子を写したような距離が感じられた。


 遥か足元の地上は、ひたすら視界の果てまで森林が続いていた。

 足を動かすと、さらに大地が早く迫ってくる。映画で見る戦闘機のようなスピードだった。

 すさまじい勢いで、地表が迫って来た。そして、大地に激突するかのような勢いで地上に到達すると、そのまま再び闇に飲まれた。

 何度目の暗闇のトンネルだろうか。しかし、今度のトンネルは長かった。

 数分間歩き続けているが、まだ闇は続いていた。進む速さが、自動的に加速されている事を考えると、その長さがいよいよ終着点が近いのを予感させた。


 さらにしばらく歩き続けた。

 暗幕を通り抜けるように、明るい世界に飛び出した。

 そこには、これまでの階層とは違って、青空が広がっていた。

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