第2話 崩壊 3

 蛍太郎たちがそうしている間に、対岸にも変化があった。

 さっきの竜巻の影響で、もろくなった地面が崩れた。その拍子に森田と藤原がしがみついていた松の木は、蛍太郎のいる方に倒れかかったのだ。対岸にまでは届かないが、斜めになった松の木の上の枝まで行けば、距離にして対岸までは四メートルもない。

 高さと、距離が短くなったぶん、ぎりぎり飛び移れるかも知れない。望みうる限り、これが最も良い形となっている。

 地面が崩れないでいる今を逃すわけにはいかなかった。四人はすぐに決断を下す。


「俺が最初に飛び移ってみる」

 藤原はそう言うと、倒れて斜めになった木の幹を、手を付きながら歩いて上る。

「山里!無事なら手を貸してくれ!これからそっちに飛び移るから、サポートしてくれ!」

 藤原の声がし、蛍太郎は小夜子をふりほどく。

「俺、行かなくちゃ!根岸さんはここにいてくれ。逃げてもいい!」

 そう言い残して蛍太郎は裂け目に駆け寄る。松の木に上った藤原が飛び移る体勢で待っていた。

「気をつけろよ!」

 状況を理解した蛍太郎が藤原に言った。

 そして裂け目ぎりぎりに立って手を伸ばし、捕まえる準備をする。


 仮に藤原の跳躍が届かなくて、蛍太郎がその手を掴んだら、恐らく二人とも裂け目に落ちてしまうだろうと言う事は蛍太郎にも藤原にもわかった。

 それでも、現状では他に方法が思い浮かばない。

 すると誰かが蛍太郎の腰にしがみつく。見ると千鶴が全力で蛍太郎の腰をつかんで、その千鶴の腰を美奈がつかみ、さらにその美奈の腰を小夜子がつかんでいた。

 これなら踏ん張りがきくし、よりギリギリまで手を伸ばせる。

「助かるよ」

 蛍太郎が三人に声をかけた時、藤原が「行くぞ!」と気合いを入れて松の木を蹴って裂け目の上空に身を投じた。


 「山里君、山里君」と、腰にしがみついている千鶴が繰り返しつぶやいているのが聞こえた。

 飛び出し位置の高さから考えても飛び移れない距離ではないだろうが、足場は不安定な木の枝で、すぐ足下は先も見えない底なしのクレバスだ。


 飛ぶ方はもちろんだが、手を差し伸べる蛍太郎たちも命がけだ。やり直しもきかない真剣勝負だった。


 藤原は足からの着地を完全に捨てる選択をして、ヘッドスライディングの体勢で裂け目を飛んできた。

 それでも対岸まではギリギリ届きそうもなかった。

 しかし、互いに伸ばした手をしっかりと握る事に成功した。

 蛍太郎は藤原の手を掴むと同時に渾身の力で引っ張った。反動で崖の裂け目に体半分以上落ちかかったが、千鶴たちが引き戻してくれたため、藤原と一緒に平坦な地面に倒れ込む事に成功した。


「大丈夫か!」

すぐに多田からの声がかかる。

「大丈夫だ!」

 すぐに返答したが、肘をすりむき、肩を地面に打ち付けていた。

 藤原も同じような状態だったが、よろよろと起き上がった。顔面蒼白で、全身が目に見えて震えている。あの崖の上を飛んだのだから、その恐怖は計り知れなかった事だろう。

 蛍太郎の腰には、千鶴がしがみついたままだった。倒れた拍子に美奈と小夜子は別々に地面に転倒していた。千鶴は結果として、蛍太郎の下敷きになってしまっていた。

「わっ!た、田中さん、ごめん。ケガない?」

 蛍太郎が慌てて尋ねると「うん」と、小さくつぶやいたが、膝をすりむいていた。肩や腰を打ってもいるだろう。着ていたパーカーの肩口がすり切れていた。痛くないはずないのに、小さく微笑んだ。


 これほどの絶望的な惨状の中でも、人を気遣い微笑む事が出来る千鶴に、蛍太郎の心の奥が激しく動揺した。

 千鶴は強い。美奈とは違う強さと優しさを持っている。こんな人が自分に好意を向けてくれている事が信じられない。


「怖くって、手が離れなくなっちゃった」

 蛍太郎の腰に回された手は、蛍太郎の腹の前で左右の腕が互いに白くなるぐらいきつく掴んでいた。

「痛くない?」

「わかんない」

「あと三回助けてくれる?」

 対岸には多田と森田と久恵がまだいるのだ。

「はい」

 他の人より大きく輝きがある魅力的なダークブラウンの瞳に決意の光を閃かせつつ、千鶴は短く答えた。

「藤原!次だ!手を貸してくれ」

 恐怖の震えから立ち直った藤原が「おう!」とすぐにやってくる。


 藤原が今度は先頭になり、藤原の左腕と蛍太郎の右腕をクロスさせて組み、さらに蛍太郎の左手でクロスさせた腕をがっちりと掴む。こうする事で、藤原は崖の上にほぼ全身をさらして体を伸ばす事が出来た。

 藤原の体を支える蛍太郎を千鶴と美奈が引っ張る。小夜子は腰を抜かしてしまって、蛍太郎たちの助けにはならなくなってしまった。

「ごめんね。ごめんね」

 小夜子は何度も繰り返した。

「竜巻の様子を見ていて」

 美奈が小夜子に役割を与える。それも重要な仕事なのは間違いない。

「次は本庄が行く!」

 多田からの声が対岸から届く。地面が鳴動し、崖の端が崩れ始めており、もはや一刻の猶予もない。久恵は、もう無理でも何でも跳ぶしかないところまで追い詰められていた。藤原が跳んだ松の木の枝まで、多田も一緒に上り、久恵を支える。森田はそのすぐ下で、かなり横倒しになってしまった木の幹の上に寝そべり多田の足首を両手で掴む。


 作戦としてはこうだ。

 多田は久恵がジャンプするのを補助して加速させる。多田はおそらく全力で久恵を押し出すだろうからバランスを崩してしまうので、転落を避けるために森田が足首を掴んでいるのだ。

 男の藤原でもギリギリの距離だったのだ。運動神経がいいとはいえ、久恵が同じ跳躍が出来るとは思えない。さっきよりキャッチする側が前に出ているが、成功するには久恵が怖がらずに全力で飛び出すしかない。

「わ、わ、私・・・・・・行く!」

 真っ青な顔で、それでも覚悟を決めて木の枝の上で、跳躍するために体をかがめ、全身のバネの力を蹴り足に集めた。


 その瞬間、小夜子の叫び声がその場を支配した。

「空が!」

 全員が頭上の空を仰ぎ見る。そして想像だにしてなかった光景を目撃して、一瞬の金縛りに遭う。


 蛍太郎の頭の奥の『来て』という声が強くなって、蛍太郎の意識に上がるレベルになった。

 


 蛍太郎たちの頭上の雲がドス黒い渦を描いており、その中心、渦の目が底知れぬ闇のように陥没し、その渦の奥から黒くて細い物がウネウネとうねりながら地上めがけて伸びてきていた。

 その細い物は無数にあり、こちらに向かってゆっくりとその触手を伸ばしてきていた。

 それでさえおぞましく恐怖を抱かせるに十分だったが、なお嫌悪感をそそられたのはその触手らしき物一本一本の先端が人の手の形をしていたのだ。

 この世ならざる光景に誰かが、あるいは自分自身が発したのかも知れない絶叫があたりを包む。

 触手のように長く伸びた先端にある黒い手は、人の手と同じくらいの大きさであると、間近に迫って来た時にわかった。

 その手の群れは、蛍太郎たちがいる付近の上空にのみ出現した。

 そして、何らかの意思を持っているかのように、うねりながらもまっすぐに蛍太郎たちに迫ってきてる。全員が理解する事の出来ない現象に恐怖し、何の行動も取れずにいた。

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