第2話 崩壊 2

 空一面を覆い尽くす、低く垂れ込めた黒々とした雲が無数の触手を伸ばすように、漏斗雲が発生し、あちこちに強烈な風の螺旋階段を生み出した。

 海で、本土で巨大な竜巻が林立し、海水を、木々を、家を、道路を、そして人々を飲み込んでは空高くに舞上げて吐き出し、後は重力に任せて自由落下させてゆく。


 東西南北、全てが見渡せる、島の山頂から見るこの景色は、世界の崩壊そのものだった。悪夢にも想像できなかった終末の光景だった。

 周囲を吹き荒れる風と、えぐり取られる地面の悲鳴と、物と物がぶつかり合う音の中に、あちこちから人間の悲鳴が混じっていた。

 竜巻はその巨体をうねらせながら、あちこちに移動したり、消失してはまた生み出され、世界はどんどん壊されていく。


「悪夢だ!」

 蛍太郎は思わずつぶやいた。

「お父さん、お母さん!」

 誰かが叫ぶ。本土には、それぞれの家族や大切な人たちがたくさん住んでいる。恐るべき竜の尾に蹂躙された後には線を引いたような破壊の跡が残されていく。自分たちの家や大切な人たちが無事でいるかどうか、大島にいる蛍太郎たちにはわからない。ただ祈るばかりである。

「ちくしょーーーっ!」

 多田が立ち上がって空に向かって拳を振り上げた。

 突然の理不尽な破壊活動に、恐怖以上の怒りが多田の金縛りを解いた。自分たちの慣れ親しんだ世界が破壊されていく事は、引っ越してきて間もない蛍太郎より、多田たちには受け入れがたく、その心に強烈な感情を生み出していた。

「ふざけやがって!絶対俺たちは助かってやる!」

 川辺も立ち上がる。その言葉で全員がよろよろと立ち上がった。

「そっちに行く方法を考えよう」

 多田の隣で久恵が言うと、きょろきょろと辺りを見回した。

「その松の木、使えないかな?」

 さっきの落雷で所々が焼け焦げた松の木が、根を地面の裂け目の断面から半分さらけ出し、多田たちのいる側から、蛍太郎たちのいる方へ斜めに倒れかかっていた。

「みんなで押し倒して、向こう側に渡し掛けられないかな?」

 

 松の木の高さは、たとえ倒し込む事が出来ても対岸には届かないように思われたが、ほかに方法がないように思えたので、すぐに実行に移す。

 多田と、藤原、森田の男子三人で懸命に松の木を押す。垂直に切り立った裂け目ぎりぎりにある松の木を押すのは、足場も悪く、うっかりすると裂け目に落ちてしまう危険もあった。とても全力で全身を預けて押す事は出来なかった。

 それでも、地面から半分根が出ている松の木は、多少揺れ出す。久恵や、対岸にいる蛍太郎たちはハラハラしながら見守るほかなかった。

 多田たちの側にいる由香は、蛍太郎たちの側にいる中学時代の同級生である夏帆と結衣と協力して他に渡る方法や場所がないかを探してウロウロ見て回るが、足場が狭くなっている太平洋側は、少し下るとすぐに左右を切り立った斜面に寸断されて山頂部分以外には、動き回るスペースも見つけ出せなくなってしまった。

 


 状況は加速度的に悪化していく。

 島のすぐ近くに二本の竜巻が出現したのだ。強い突風が無秩序に吹き荒れた。その拍子に斜面に挟まれた所を見に行っていた由香が風にあおられバランスを崩してしまう。

「きゃあああああああっ!」

 由香の悲鳴に全員がその姿を見た。由香の体は、強い風に押されて、一瞬空中に浮いていた。そして、みんなが見ている中、太平洋側の崖下に落下していった。

 尾を引く叫び声の後、下の方で「グチャ」という、水袋を叩き付けたようで、何とも耳に残ってしまう不吉な音が聞こえた。

「いやあああああ!」

「由香ぁぁぁぁぁ!」

 夏帆と結衣が絶叫する。今まで「死」について深く意識した事も、実感した事もなかったであろう二人は、目の前で友人が迎えた理不尽な「死」をはっきりと実感した。

 自分たちも同じ末路を迎える事を実感せざるを得なかった。

 眼前に巨大な竜巻が迫って来ているのだ。

「地面に伏せろ!何かにつかまれ!」

 叫んだのは森田だった。いつもモゴモゴと自信なさそうに口の中でしゃべっているような男だった。その森田が、はっきりと大声でみんなに指示を出す。

 藤原と森田は、今まで押し倒そうとしていた松の木にしがみつく。多田も由香の死で呆然としていた久恵を地面に押し倒して、そのまま上に覆い被さりかばいつつ、手近な草にしがみつく。下になった久恵も、多田の腕を押さえながら地面に爪を立てて踏ん張る。

 蛍太郎側には、松の木が二本あり、蛍太郎はうまく歩けない小夜子をひっぱり松の木の所に連れて行く。千鶴と美奈も同じ木にしがみつく。千鶴は恐怖に顔を引きつらせながらも、蛍太郎の服を松の木と一緒に持って、蛍太郎が飛ばされないようにと力を入れる。

「大丈夫だ!」

 蛍太郎は言ったが、根拠も自信も全くなかった。

 

 川辺は、パニック寸前の夏帆と結衣の所に走る。川辺は陸上部で運動神経抜群だが、強風に、鳴動する地面、そして、竜巻が迫って来ている恐怖など、こんなコンディションで走った事はなかった。転ばずに二人の所にたどり着けた事が奇跡に思えた。しかし、たどり着く事までしか出来なかった。

 島をかすめた竜巻は、川辺が観念したように夏帆と由香を抱きしめた直後、三人の姿をその巨大な竜の胴体で飲み込んでしまったのである。そして、飲み込んだと同時に、竜巻は霧散して消えてしまった。竜巻があった空間には、その竜巻が巻き上げた様々な物がそれまで回転させられていた運動の進行方向へ慣性に任せて飛び、重力に引かれて落ちていった。その中に川辺と夏帆、結衣の姿があった。


 川辺が二人をしっかりつかんだまま上空から落下して来る。

 松の木にしがみついていた森田が三人に向かって手を伸ばす。

「こっちだ!手を伸ばせ!」

 三人は森田たちの方に流されて落ちて来ていた。「もしかしたら」という気持ちにさせられたが、一瞬のうちにその望みが消えていくところを目の当たりにしなければならなかった。


 三人とも気を失っているようで、森田の絶叫にも反応をせず、三人ひとかたまりとなって、森田と藤原のいる松の木のすぐ脇を通って、落雷で出来た深淵の裂け目に吸い込まれるように落下していき、無限の暗闇の中に消えてしまった。

 由香の時のような、不快な衝突音は聞こえなかった。


「だめだぁぁぁぁぁ!死ぬなぁぁぁ!」

 限界まで手を伸ばしながら、叫んだ森田の目に涙が浮かんでいる。そういえば、森田の父親は、森田が小学校の時に事故死したのだと聞いた事があったのを蛍太郎は思い出した。


 眼前の竜巻が消えたこの時を逃しては、取り返しのつかない事になると、蛍太郎は思った。

「田中さん、川島さん、根岸さん。今のうちに三人で山を下りるんだ。多田たちは俺が何とかするから、先にどこかに隠れていてくれ」

 どうにか出来るか自信はなかったし、自分も一緒に避難したい気持ちはあったが、多田たちを放って逃げる事など出来なかった。

 川辺もいなくなっては、こちら側では蛍太郎が手助けするしかない。


「いや!私も手伝う!」

 意外な力強さで千鶴が反論してきた。その目にはどこか覚悟が決まったような光が見えた。蛍太郎には、どうしたらこんな目が出来るのか理解できなかった。

「だめだよ!山里君の足手まといになったら、余計に山里君を危険に巻き込む事になるんだから」

 美奈からの援護が蛍太郎には嬉しかった。それでも千鶴は頭を振る。仕方なく蛍太郎は提案をする。

「根岸さんがうまく歩けないみたいなんだ。ここにいて守っていてやって欲しい。大丈夫、無茶はしないよ」

 思いを寄せてくれている千鶴の前で小夜子をかばう行為だと、すぐに蛍太郎も気づいたが、千鶴は嫌な顔一つせずに頷いた。

「それと竜巻に気を付けていて欲しい。変化があったら大声で知らせてくれ」

 そう言って、松の木から離れようとした時、蛍太郎の足に小夜子がしがみつく。

「いやよ!行かないで!山里君が死んじゃったらいや!」

 この状況で冷静でいる事など出来るはずがない。小夜子は必死に泣きじゃくって懇願する。

「今すぐみんなで逃げましょう!お願い!助けてよぉ!」

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